※本記事は、一般社団法人日本ブラジル中央協会発行のブラジル特報(2024年11月号)に掲載されたものであり、特段の注記がない限り、当該雑誌掲載日時点の情報に基づいている。
1.はじめに
近年、企業活動が社会にもたらす負の影響について国際的な関心が高まっており、2011年には国連人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則」が合意された。日本政府も、2020年に「ビジネスと人権」に関する行動計画を策定した。この中では人権デューディリジェンスの必要性にも言及されており、日本では各業界団体なども人権に関する取り組みを推進している。
ブラジルにおいても、同テーマに対する関心が徐々に高まっているため、本稿では、同テーマに関するブラジルにおける現時点の状況を具体的な事例を紹介しつつ解説する。
2.既存の法律
ビジネスと人権という観点では、奴隷労働、人身売買及び児童労働は憲法又は法律においてすでに禁止されている。また、近年のビジネスと人権というテーマは、自社の事業活動による人権侵害だけではなく、下請企業やサプライヤーによる人権侵害も含む形で議論・法制化されている。この観点で言えば、ブラジルにおいては、労働法上、自社業務を下請企業に委託した場合、当該下請企業の従業員の労働債務について発注者が責任を負うため、労働債務についてはすでに一定程度カバーされている。
ただし、下請企業やサプライヤーによる人権侵害を防止するためのデューディリジェンスの実施義務や人権侵害が生じた場合の発注者などの第三者による補償義務を規定する法律は存在しない。
3.人権とビジネスに関する国家基本法案
2022年3月、人権に関する公共政策を推進するための基本方針を定める人権とビジネスに関する国家基本法(Lei Marco Nacional sobre Direitos Humanos e Empresas:Projeto de Lei nº 572/2022)という法案が国会に提出された。本法案に関する議論はまだ初期段階にあるため、実際に法制化されるとしても内容が大きく修正される可能性があるが、ビジネスと人権に関してブラジルでどのような議論が現在行われているか、また、今後どのような義務が制定され得るかの参考として、本法案の概要を紹介する。
(1)基本原則
基本原則として、以下の9つの原則を規定する。
- 人権の普遍性、不可分性、不可侵性、相互依存性
- 国家による人権の尊重、保護、保障
- 人権に関するルールがあらゆる協定(経済、貿易、サービス、投資などに関する協定を含む)に優先する
- 企業による人権侵害に対して被害者や地域社会が完全な補償を受ける権利
- 影響を受ける人が、事前の、自由で、十分な情報に基づいた誠実な協議を受ける権利と同意を行う権利の確保
- 人権に関するルール間に矛盾がある場合、影響を受ける人に最も有利なルールが優先される
- 人権に関するあるルールに複数の解釈がある場合、影響を受ける人に最も有利な解釈が優先される
- 本法に定めるルールの遵守の実施、監視、定期的評価
- 人権侵害の影響を受ける人や地域社会、労働者、市民、団体、社会運動並びにそれらのネットワークや組織の不処罰・不起訴
(2)企業の義務
企業の義務として以下を規定する。
- 人権侵害の特定、防止、管理及び是正するためのデューディリジェンスの実施
- 予防、監視、救済システム(6か月ごとに人権報告書の作成、損害賠償が完了するまでの企業による基金の創設など)
- 企業活動における人権の促進、尊重及び確保(児童労働や強制労働を禁止する国内外のルールの尊重、1989年の原住民及び種族民条約の尊重、人権尊重に関する企業の体制や方針の公表、事前かつ十分な事前の情報提供に基づく影響を受ける人々との協議及び同意の取得など)
(3)連帯責任
サプライチェーンに含まれるすべての企業が人権侵害について連帯責任を負うことが規定され、これには、支配企業、被支配企業、投資家、下請業者、当該ビジネスに投資を行い又は当該ビジネスから利益を得ている国内外の金融機関が含まれ、また、直接的な契約の有無は問わない。
(4)個人やコミュニティの保護
影響を受ける個人やコニュニティの保護を目的として、立証責任の転換の可能性、企業との交渉における社会的弱者への支援(公選弁護人よる支援など)、司法手続への無料アクセス、原住民などの影響を受ける人々が、事前の、自由で、十分な情報に基づいた誠実な協議を受ける権利と同意を行う権利の確保が規定されている。
4.実際の事例
ビジネスと人権の観点で最近ブラジルで問題となった事例をいくつか紹介する。
- 2024年2月、ワイナリーがブドウの収穫を外部業者に委託していたところ、受託会社の労働者が奴隷のような待遇で働かされていることが発覚した。
- RSPO(持続可能なパーム油のための円卓会議)が、2023年3月、先住民が有する土地を侵害している可能性があることを理由にブラジルで唯一RSPO認証を有しているAgropalma社の認証を一時停止した。
- 食肉メーカーであるJBSが、2024年2月、ニューヨーク州司法省から、グリーンウォッシング(環境配慮をしているように装うこと)を理由に提訴された。