1.はじめに
インドでは、連邦と州に極めて多数の労働関連法が存在し、その適用関係が複雑かつ不明確であったことから、これまでインドに進出する日系企業の頭を悩ませてきた。モディ政権はこれらの労働関係法のうち主要な連邦法を4本の法律に再編することを提唱し、約6年をかけ、労働組合、雇用主、州政府および労務に関する専門家等の利害関係者間で協議が行われた結果、昨年、4本の法律の一つである2019年賃金法(The Wages Act, 2019)が成立した(2019年賃金法の概要は、インド最新法令情報2019年10月号を参照されたい)。その後、本年9月、残りの3本となる2020年労働安全衛生法(The Occupational Safety, Health and Working Conditions Code, 2020)、2020年社会保障法(The Code on Social Security, 2020)および2020年労使関係法(The Code on Industrial Relations, 2020)が連邦議会において可決された(以下これら4本の労働関連法を「改正労働法」と総称する。)。
改正労働法により、「従業員」(“employee”)、労働者(“worker”)、「請負労働者」(“contract labour”)、「請負業者」(“contractor”)、「雇用主」(“employer”)といった重要な用語の定義が統一される等、労働関連法が整理され、その透明性が飛躍的に高まった。
本号では、改正労働法のうち、2020年労働安全衛生法を取り上げてその概要を紹介する。
2.2020年労働安全衛生法(以下「労安法」という。)の概要
労安法は、連邦議会で可決後、9月28日に大統領の承認を得た法律であり、施行日は中央政府により通知されることとなっている(なお、段階的な施行も可能となっており、すべての条項が同じタイミングで施行されるとは限らない。)。その内容は、1948年工場法(Factories Act, 1948)(以下「工場法」という。)、1970年請負労働(規制及び廃止)法(Contract Labour (Regulation & Abolition) Act,1970)(以下「請負労働法」という。)、1979年州間出稼ぎ労働者雇用及び役務条件法 (Inter State Migrant Workmen (Regulation of Employment and Conditions of Service) Act, 1979)(以下「出稼ぎ労働者法」という。)、並びに10本の特定分野(建設工事、鉱山、湾港、プランテーション、運送、報道、販促、タバコ/酒、及び映画館)の労働安全衛生及び労働条件に関連する法律を統合するものであり、統合された13の法律は同法の施行に伴い廃止される予定である。
労安法の適用範囲、雇用主の義務等主要なポイントを紹介する。
項目 |
概要 |
適用範囲 |
・原則として、10名以上の労働者を雇用する事業所(工場および商業施設)に適用される。 ※「労働者」(“worker”)には、「月給が18,000ルピー以上であり監督者として雇用された者、又は主として管理のために雇用された者が労働者(”worker”)」が含まれないことが明確にされた(一方、工場法は、管理又は監督者が「労働者」(“worker”)に含まれるかにつき明確な線引きを欠いている)。 |
事業所の登録義務 |
・原則として、該当条項の施行日から60日以内に事業所の登録をしなければならない。 ・登録内容に変更が生じた場合や事業所の所有者が変更した場合、変更から30日以内に政府の登録担当官に通知しなければならない。 |
雇用主の義務 |
・全従業員に対する雇用通知交付が義務化された。 |
労働条件に関する定め |
・1日の労働時間の上限が工場法に規定されていた9時間から8時間に短縮された(運送業従事者他特定分野における例外規定あり)。 ・政府が別途定める残業時間内であれば、労働者の同意を条件に残業をさせることができることとなった(工場法で求められている当局の許可は不要)。 ・有給休暇付与に必要な勤務日数につき、工場法が定める240日から180日に縮減された。 |
女性の深夜労働 |
・労働者の書面に基づく同意があれば、女性は6時~19時以外の時間帯にも勤務することができることとなった。 |
福祉施設の提供 |
・50人超の労働者が雇用されている工場および鉱山において、男性、女性およびトランスジェンダーのための休憩室やトイレの設置が必要となった。 ・100人以上の労働者が雇用されている工場において、食堂施設が必要となった。 ・500人以上の労働者が雇用されている工場、鉱山、その他建設現場において、医務室又は救急処置室(“ambulance room”)の設置が必要となった。 |
非正規労働者に関する規制 |
・非正規労働者に関する規制の対象が、(i)50人以上の「請負労働者」(”contract labour”)を受け入れている、又は過去12カ月の間に請負労働者を受け入れていた事業所(派遣先・発注等)および(ii)「請負業者」(”contractor”)(派遣元・受託者等)になった(請負労働法上は、20人以上を受け入れている場合に規制対象とされている。)。 ※なお、日本のように派遣と請負が法律上明確に区別されておらず、contract labourには日本法上の派遣と評価できる場合と、請負と評価できる場合の両方を含む。 ・受入企業は、事業所における請負労働者の健康と労働環境に配慮し、福祉施設を提供することが義務付けられた。なお、受入企業の義務は、請負労働法上は、請負業者が義務を履行しない場合に課される二次的なものであるのに対し、労安法上は、受入企業が一次的な義務を負う点で規制が強化されている。 ・受入企業は、請負業者が請負労働者への賃金の支払いを遅延した場合、請負業者に代わって当該請負労働者へ賃金を支払う義務を負う。 ・賃金の支払いは原則として、銀行送金その他の電子的方法によるものとされた。 ・請負業者は、ライセンスの取得が義務付けられているが、ライセンスを取得していない請負業者と契約した受入企業は、労安法違反とみなされる(deemed to be in contravention)と規定されているため注意が必要である。 |
他州からの出稼ぎ労働者 |
・現行の出稼ぎ労働者法の適用対象は、A州からの出稼ぎ労働者が、A州以外での就労を目的としてA州で請負業者に雇用された場合に限られるが、労安法上は、A州からの出稼ぎ労者が結果的にA州以外において就労すれば、出稼ぎ労働者に関する規定を適用される(なお、規制の適用は10名以上の出稼ぎ労働者を直接又は間接に雇用した場合に限られる)。 ・労安法の出稼ぎ労働者に関する規定が適用されると、州外の出身であることに配慮した就労環境の整備、両州の当局への届出、帰省費用の負担、事故発生時の近親者への報告義務等が課される。 |
3.コメント
労安法の制定により、労働安全衛生に関する規制の簡素化と統一化が図られた。これにより、法令違反に対する予見可能性が向上し、日系企業の労務管理が容易になるとともに、コンプライアンスにかけるコストの削減にもつながることが期待される。一方、労安法は、あくまで連邦法が統合されたものであり、各州の施設店舗法(Shops & Establishment Act)といった労働者の安全衛生に関する重要な州法は存続する。また、労安法の多くの条項について州政府による適用条件の変更等が認められているため、実際の法適用においては、自らの事業所が置かれている州における独自の規制を併せて確認する必要がある点に留意すべきである。
以上
TMI総合法律事務所 インドデスク
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