1.はじめに
2021年8月13日、インド政府は、外国法人がオフショアに設立した子会社にインド内国法人の株式を保有させ、かかる子会社を海外で別の外国法人に譲渡することで、インド内国法人の事業を、インド国内取引を介さず譲渡する取引(以下「オフショア間接譲渡」という)に関する課税につき注目すべき法改正(以下「本法改正」といい、以下3.で紹介)を行った。本法改正は、オフショア間接譲渡課税に関する長年にわたる法廷闘争に終止符を打った2021年8月5日付けのインド最高裁判所の判決(以下2.で紹介)に従うものである。本稿では、ボーダフォン事件のポイントを概観したうえで、本法改正及び租税条約を踏まえた課税関係につき検討する。
2.「ボーダフォン事件」とインド最高裁判所の判決
「ボーダフォン事件」は、英国のボーダフォン・グループが、インドで携帯電話事業に進出するため、当時インドにおける業界シェア4位であった香港のハチソン・グループから同社のインドにおける携帯電話事業の譲渡を受けるにあたり、オフショア間接譲渡を行った事案において、ハチソンが得たキャピタルゲインがインド所得税法に基づく課税対象となるか(ボーダフォンに源泉徴収義務が発生するか)が問題となった事案である。
2012年1月20日、インド最高裁判所は、ボーダフォンの主張を認め、インド所得税法が課税対象とする株式譲渡によるキャピタルゲインには、オフショア間接譲渡により外国法人に生じたキャピタルゲインは含まれないとして、インド所得税法に基づく課税権(ボーダフォンの源泉徴収義務)を否定する旨の判断を下した(2012年判決)。しかし、その直後の2012年5月28 日に、インド政府は、インド所得税法に新たなExplanation(解釈指針)を追加し、外国法人が保有する株式の価値が実質的にインド国内資産に由来する場合、オフショア間接譲渡もインド所得税法の課税対象となる旨の解釈を示した。さらに、インド政府は、かかるExplanationはあくまで解釈の明確化であり法改正ではないという立場をとり、オフショア間接譲渡への課税はインド所得税法が制定された1962年(50年前)より可能であった旨の見解を明らかにした(2012年解釈指針)。これにより、結果として1962年に遡ってオフショア間接譲渡への課税が行われることとなり、インドに投資する外国法人に激震が走った。
その後、2012年解釈指針の追加により課税対象となった多数の外国法人により、裁判や投資仲裁を通じ課税の当否が争われてきた。これに対し、2021年8月5日、インド最高裁判所は、ボーダフォンが原告となる訴訟において、2012年解釈指針の2012年5月28日以前の事案への遡及適用を否定し、再度ボーダフォンの源泉徴収義務を否定する旨の判断を下した(2021年判決)。
3.本法改正の内容
2021年判決後、インド政府は速やかに以下の内容を含む法改正案を国会に提出し、本法改正は大統領の承認を得て成立した。
・2012年5月28日より前に行われたオフショア間接譲渡(以下「対象間接譲渡」という)は課税されない
・対象間接譲渡への新たな課税手続(調査結果通知等)の禁止
・納税者による訴訟の取下げ等一定の要件を満たすことで、対象間接譲渡に対してすでに行われている課税手続の破棄(当該課税手続は無かったものとみなされる)
・対象間接譲渡に対し既に納税された納税額の還付(但し還付金に対する利息無し)
4.租税条約を踏まえた課税関係
次に、本法改正を踏まえた課税関係について、インド内国法人であるW社の株式をシンガポールの法人(X社)を通じて間接的に保有する日本法人(Y社、インド国内に恒久的施設(PE)を有さない)が、X社の株式を韓国法人であるZ社に譲渡(以下「本件譲渡」という)するという事案で整理しておく。
まず、本件譲渡が2012年5月28日以降に行われたものであると仮定すると、本法改正によったとしても、Y社が保有するX社株式の価値が実質的にインド内国法人であるW社に由来する場合、Y社が得るキャピタルゲインはインド所得税法に基づく課税対象(Z社は源泉徴収義務を負う)ということになる。次に、租税条約の有無及びその内容によっては、当該インド所得税法に基づく課税が回避できる場合があることから、適用される可能性のある租税条約を特定する必要がある。この点、譲受人であるZ社や譲渡対象株式の発行体であるX社の居住地国(韓国及びシンガポール)とインドとの租税条約は関連性を有しておらず、あくまで譲渡によりキャピタルゲインを得るY社が所在する日本とインドとの租税条約を確認する必要があることになる。この点、日印租税条約第13条5項によると同条1項~4項に規定する財産以外の財産の譲渡によって取得する収益に対しては、日本においてのみ租税を課すことができる旨規定されており、オフショア間接譲渡は第13条1項~4項に規定する財産の譲渡ではないため、同5項に基づき日本においてのみ租税を課すことができる(=インドで課税されない)という結論になる。
【日印租税条約第13条】 1 略 |
このように、具体的な事案において、実際にインド所得税法の課税対象となるかを判断するには、租税条約の確認が不可欠となるところ、日印租税条約とは異なり、譲渡人の居住地国による課税を規定しているものや、正面からオフショア間接譲渡へのインド所得税法による課税を認めている租税条約等も存在するため、租税条約の存否及びその内容に応じて、インド所得税法によるオフショア間接譲渡への課税が異なってくる点に留意する必要がある。
加えて、専らインドでの課税を回避する目的で行われた取引に関しては、一般的租税回避否認規定(General Anti Avoidance Rule, GAAR)により、租税条約の適用が排除されるリスクも存在するため、取引のストラクチャリングの段階でインド税務の専門家に相談しておくことが望ましい。
5.おわりに
本法改正は、これまでインドに投資又は進出する企業の頭を悩ませてきたオフショア間接譲渡への課税に関する紛争に終止符を打つものであり、歓迎すべき法改正である。
一方で、納税者が7割勝訴する(日本では約1割)と言われるインドにおける税務訴訟の総数が減った、あるいは、当局の勝訴率が上がったという話は聞かない。そのため、インドに投資又は進出する企業は、インド税務当局によるアグレッシブな(ときには無理な法解釈を通じた)課税は依然として存在することを念頭に置くべきであり、不合理な判断に対しては徹底して争う姿勢が大切である。幸いにもインドでは他のアジア諸国に比べ裁判所の信頼性が高く、税務訴訟において比較的合理的な判断が下されている。また、訴訟の他にも二国間協定に基づく投資仲裁の活用も進んでおり、複数の解決手段が用意されている。インドに投資又は進出する企業は、不合理な課税は常に起こりうること、また、争えば勝てる事案も相当な割合であることを常に念頭におくことが肝要である。
以上
TMI総合法律事務所 インドデスク
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