はじめに
Guy Carpenter & Company Pte Ltd v. Choi Okmi & Ors[2025]SGHC 241は、従業員が退職を見据えながら移籍先と関係を構築する場面において、どこまでが許され、どこからが法的に問題となるのかについて、シンガポール高等裁判所が明確な指針を示した注目すべき判決です。
事案の概要
本件は、再保険ブローカー業界において、2名の従業員とその移籍先となった新たな雇用主の行為が問題となった事案です。
原告は、当該2名の元従業員が在職中から、韓国の競合他社及び彼ら自身が設立に関与したシンガポール法人と連携し、特定の顧客との取引を原告から切り替える動きを進めていたと主張しました。裁判では、将来の雇用主のために事前に行動を重ねる「計算された行為の積み重ね」があったかどうかが争点となりました。
本判決の意義
本判決は、雇用主が正当に期待できる忠実義務及び誠実義務の重要性が強調されました。従業員は、たとえ退職通知期間中であっても、又は次の職務に向けた準備を進めている段階であっても、現職に対する忠実義務を軽視することは許されないと明確に示されました。
特に裁判所は、他の分野でどれほど高い献身性や勤勉さを示していたとしても、特定の分野で忠実義務や誠実義務を怠ったことを正当化する理由にはならないと指摘しています。
また、本件では、雇用契約に定められた勧誘禁止義務(non-solicitation)及び取引禁止義務(non-dealing)について、その内容が具体的事情に照らして合理的であるとして、実際に執行可能と判断されました。これにより、シンガポール法の下で、こうした制限条項がどのような場合に有効とされるのかについて、改めて裁判所の考え方が示されています。
注目すべき点として、当該条項には地理的範囲が明示されていなかったものの、元従業員が原告の「韓国デスク」に所属していたという事実関係から、実務上どの地域を対象とするかは明らかであるとして、地理的範囲の合理性が肯定されました。
さらに、顧客や市場との結び付きが事業上極めて重要な業界においては、雇用主が築いてきた顧客関係や市場とのネットワークは、勧誘禁止義務及び取引禁止義務によって保護されるべき正当な利益に該当することが改めて確認されました。
加えて本件では、新雇用主が元従業員による旧雇用契約の違反を積極的に教唆したとまでは認定できない一方で、元従業員と新雇用主との間に共謀があったと認定するには十分な証拠が存在すると判断されました。この点について裁判所は、「違法手段による共謀」の成立には、共謀者のうち少なくとも一人が違法行為を行っていれば足りるという原則を再確認しています。
さらに、他人に損害を与える目的での共謀について明確な直接証拠がない場合であっても、複数の状況証拠を積み重ね、それらを全体として評価することで、単なる偶然ではなく共謀が存在したと推認し得ることが示されました。裁判所は、こうした証拠の積み上げを「一枚のタペストリー」に例え、その全体像から結論を導いています。
なお、被告は当該判決に対して不服申立て中のため、更なる判断が注目されます。
本稿は、Simmons & Simmons JWS Pte. Ltd.が執筆した記事( full article )を翻訳したものであり、弊事務所又はSimmons & Simmons JWS Pte. Ltd.がシンガポール法に関するアドバイスや法的意見を提供するものではありません。