※本記事は、一般社団法人日本ブラジル中央協会発行のブラジル特報(2025年11月号)に掲載されたものであり、特段の注記がない限り、当該雑誌掲載日時点の情報に基づいている。
1.はじめに
2025年9月11日、連邦最高裁判所(STF)の第一法廷(5人合議)は、4対1の決議で、2023年1月8日にブラジルの首都ブラジリアで発生した国家機関中枢への襲撃事件に関して、ジャイル・ボルソナロ前大統領に対して禁固刑27年3か月の有罪判決を下した。本件は、ボルソナロ前大統領及び共謀者(政府の元高官や軍幹部)が2022年に行われた大統領選挙結果を覆し、自らの権力維持を図ったクーデターとして大きな注目を集めた。さらに、本件はブラジル国内にとどまらず国際関係にも影響を及ぼし、米国のトランプ大統領は「政治的迫害」と批判した。そして、本件が米国による最大50%の関税措置を導入する口実の一つとなったとも指摘されている。
本件の審理を主導したのは、ボルソナロ前大統領と長年にわたり対立関係にあったアレシャンドレ・デ・モラエス判事である。同判事はフェイクニュースや民主主義への攻撃に断固たる対応を取ってきたことで知られ、本誌2025年9月号でも触れたように、Xが削除命令に従わなかった際に同サービスの利用停止を命じた判事である。
2.連邦最高裁判所による審理・判決
通常の刑事事件は第一審→控訴審→上告審という三審制度であるが、憲法上、元大統領がその任期中に犯した行為に対する刑事事件は連邦最高裁判所が第一審として直接審理すると規定されている。そのため通常の三審制は適用されず、連邦最高裁判所での審理が第一審かつ最終審となる(後述の異議申立は可能)。
3.有罪判決
ボルソナロ前大統領は、以下の罪で有罪判決を受け、禁錮刑27年3か月を科せられた。さらに、同判決は公民権の停止(選挙権や被選挙権の剥奪)も伴っており、ボルソナロ前大統領は長期にわたり政治活動から排除されることになった。

注目すべきは、ボルソナロ前大統領の側近であった当時の大統領補佐官が司法取引(delação premiada)に応じた点である。同側近は、2022年の選挙前からクーデター計画が議論されていたと具体的に証言し、その供述が判決の根拠として大きな役割を果たした。司法取引により、彼には自由刑2年という大幅な減刑が認められている。
4.今後の流れ
本判決はまだ確定していない。ボルソナロ前大統領には、まず連邦最高裁第一法廷に対する異議申立(embargos de declaração)の道が開かれている。これは、判決理由に不明確な点や矛盾がある場合に補正を求める手続である。さらに、判決を変更する可能性のある異議申立(embargos infringentes)も検討されている。これは少数意見が存在する場合に利用でき、多数決で決した判決に対して再審を求める手段である。一方、今回の判決は第一審かつ最終審にあたるため、通常の控訴制度は適用されなし。ただし、憲法上の権利侵害を理由とする人身保護令(habeas corpus)の請求や、国際人権規約を根拠にした米州人権裁判所(Inter-American Court of Human Rights)への提訴といった手段が理論上残されている。
なお、ボルソナロ前大統領は判決後、肺炎、貧血などで入院を繰り返しており、弁護団は健康上の理由から収監回避や自宅軟禁を求める可能性がある。ブラジル司法では重篤な健康状態が認められれば収監回避の措置が取られることもあり、健康上の理由が今後の刑執行に影響する可能性がある。
5.ブラジルの裁判の特徴
今回の事件で改めて注目されたのは、ブラジル司法の公開性である。連邦最高裁判所の審理・判決は、特別チャンネル「TV Justiça」を通じて全国に生中継される。今回の審理でも、担当判事のモラエス判事が事件の経過と証拠を報告した後、他の4名の判事がそれぞれ独自の見解を述べ、その場で賛否を明らかにした。ブラジルの裁判では、判事たちが事前に合意形成するのではなく、公開の場で討論し、個別に賛否を表明する仕組みが特徴である。このため、判決に至る過程が透明化されている。また、各判事の発言時間には上限がなく、今回も最長で約7時間にわたり意見を述べた判事がいた。こうした透明性は、民主主義社会における「司法の説明責任」の一環といえる。一方で、政治的事件においては、司法判断が国内外の世論や国際社会の注視を強く受けることにもつながる。
6.政治的分断
本件はブラジル社会の深い分断を象徴している。ボルソナロ前大統領の支持者は彼への刑事訴追を政治的な迫害だと強く非難する一方、反対派は民主主義の防衛に不可欠な措置であると訴えている。