はじめに
2024年4月19日に投票が開始されたインドの下院選挙(545議席)は、6月1日に全投票日程が終了し、ナレンドラ・モディ氏が所属する与党・インド人民党(BJP)が240議席を、BJPが率いる与党連合(NDA)として293議席を獲得した。与党連合として353議席を得た2019年の前回選挙とは異なり、与党連合は過半数を確保するに留まったものの、モディ政権は3期目に入ることが決定した。
モディ政権は、第2期において、Make in Indiaなどの産業政策を掲げて世界からのインド製造業への外資誘致を図る一方で、関税率の引き上げや地域包括的経済連携(RCEP)の交渉からの離脱など、保護主義的な通商政策を実施した。期中には世界的なコロナウイルスのパンデミックにも直面し、米国に次ぐ世界第2位となる4370万人もの感染者が発生し、2020年の経済成長率はマイナス5%となった。このような事態にもかかわらず、膨大な人口と生産可能年齢の継続的増加(いわゆる人口ボーナス)、IT技術者の育成の成功などの諸要因が重なり、インド経済は2020年を除き継続的成長を続け、本年にはGDPで日本を抜き世界第4位の経済国になることが予想されている。
本号では、2024年総選挙の結果及び第3次モディ政権において実行が予想される主要な政策について解説する。
インドの政治システム及び選挙制度
インドでは、普通選挙権を有する国民が、選挙により議員を選出し、当該議員らにより構成された議会で信任された首相が行政権を担う、という英国流の議会制民主主義を採用している。
議会は二院制であり、今回の総選挙においては大統領(インドの国家元首であり、首相が権限を持つインドにおいては名目的な機能を果たす。)が指名する2名を除く、下院の543議席が争われる格好となった。
世界最大の民主主義国家と形容されるインドにおいては、有権者だけでも約9億6900万人いると言われている。また、広大な国土面積を有する都合上、日本のように、期日前投票などの例外はあるものの、原則として1日で投票と開票を終える選挙システムとは異なり、総選挙は複数日にわたって行われる。今回の総選挙でも、もっとも早い地域では4月19日、もっとも遅い地域では6月1日に行われ、6月4日に結果が発表されることになった。
2024年総選挙の結果
改選前303議席と、単独で議会過半数を押さえていたBJPは、過半数を下回る240議席と大幅な議席減となった。与党連合が過半数を押さえていることには変わらず、モディ政権が3期目となったのは上記のとおりであるが、国内外のメディアからはこの選挙結果はモディ政権の敗北と受け止められている。
敗因は種々語られているが、昨今の物価高で貧困層の生活状態が悪化していることに加え、20-24歳の失業率が40%台、25-29歳の失業率が13~14%台と若年層の失業率が高いことなどが指摘されている。また、欧米メディアを中心に、モディ政権がヒンドゥー至上主義を掲げて権威主義化していることを懸念する声も高まっており、今後この敗北が権威主義的傾向の抑制につながるかについても注目される。
第3次モディ政権において実行が予想される主要な政策
(1).Make in Indiaの継続的実行
BJPの2024年マニフェストによれば、モディ政権10年間の成果としてインド製造業に重大な進歩があったこと、そしてインド製造業のさらなる拡大を掲げるMake in India政策は今後も継続されることが明記されている。インド政府としては、電気製品、防衛装備品、携帯電話、自動車、薬品など高付加価値生産品の製造業の拡大を志向するとともに、半導体製造業も誘致することで、世界の製造業のハブになることを目標としている。
(2).統一民法典の施行
マニフェスト内には、統一民法典の施行が目標として掲げられている。これは、インドが植民地時代から、宗教別に民法典を保有しており、特に家族法の分野において宗教別の独自性を認めていたため、現在においてもインド国民全体に適用される民法典が存在しない、という問題意識が背景にある。このような統一民法典の施行の動きに対して、インド国内のイスラム教徒は、イスラム教徒に適用される家族法としての要素も持つシャリーアで認められている一夫多妻制を禁止するなど、宗教的伝統を害する要素を含む統一民法典の施行には反対し続けている。しかし、ヒンドゥー至上主義傾向があるモディ政権は、イスラム教徒の反発に対して、統一民法典の施行は女性の権利を十分に保護していない現状の体制を改善するものであると主張し、施行を進めようとしている。
(3).デジタル個人データ保護法の規則の制定
インドでは、昨年2023年の8月にデジタル個人データ保護法が制定されたところ、当該法令の下位規則の制定が予定されている。(なお、デジタル個人データ保護法に関する過去の記事として、「インド最新法令情報(2023年8月号)2023年デジタル個人データ保護法の成立」を参照されたい。)デジタル個人データ保護法においては、インド国民のそれぞれの個人データに対する権利として、個人データにアクセスする権利や修正や消去を求める権利などを認めているものの、その具体的な内容について下位規範に委任されている。今回、デジタル個人データ保護法の下位規則の制定が行われることで、法運用が本格開始となる。
(4). 労働関連法の施行
マニフェスト内には記載がないものの、モディ政権が改正労働法の施行も検討しているとの報道もある。2020年以前は13もの労働関係法令があり、また解雇規制などが厳しく、労働者寄りの法制となっていた。これをモディ政権下の2020年に改正し、4つの労働関連法(賃金法(Code on Wages, 2019)、社会保障法(Code on Social Security, 2020)、労働安全衛生法(Occupational Safety, Health and Working Conditions Code, 2020)、労使関係法(Industrial Relations Code, 2020))に統合したところであるが、賃金法の一部を除き、これらの労働関連法の施行には至っていない。これは、労働関連法が解雇規制を緩和するなど、事業側優位な改正点を持つ改正労働法に不満を持つ労働組合側の反対の声も根強いため、モディ政権としても施行に慎重な姿勢となっていることもその要因に挙げられている。今回の総選挙におけるモディ政権の敗北を受けて、労働法の早期の施行が可能であるかについては不透明な情勢となっている。
(5).交通インフラの整備
第2期までのモディ政権においても、脆弱な交通インフラにより、インド経済の効率性が削がれていることは認識されていた。マニフェストにおいても、世界基準のインフラを整備することが目標として掲げられている。具体的には、電車網のさらなる拡充と乗客可能人数の向上、駅の整備、高速鉄道(Bullet-Train)の拡充などの鉄道インフラの改善を挙げているほか、道路網の整備、空港・海港の整備なども掲げている。
(6).オリンピックの招致
マニフェスト内には、2036年のオリンピックの招致と、それに向けたスポーツインフラの整備が掲げられている。インドは、1900年のパリオリンピックにおいて、アジア諸国の中で初のメダルを獲得した歴史を持っており、東京オリンピックではインドの歴史上最多の7個のメダルを獲得するなど、インド全体としてもスポーツ政策に成果が出始めている。2036年の招致国としては他にも、インドネシアやトルコ、チリなどが名乗りを上げているところであり、今後の活動が注目される。
コメント
今回の総選挙は、与党連合が獲得議席数目標を400議席としており、かつその可能性もあると予想されていたところ、この事前予想を覆す予想外のものであった。モディ政権が3期目に入ることは決まったものの、インド政府の改革実施能力が鈍化することを懸念したインド株式市場は一時7%下落して、過去6か月では最低の水準に達するなど、予想外の事象を反映する結果となった。
インドが膨大な人口と豊富な資源を抱え、今後も有望な市場を有する国であるという事実には変わらず、今後の経済成長に対する期待は高い。しかしながら、このような政治的不安定さが、日本企業がビジネスを行ううえでの予測可能性を阻害する可能性も高まっているところであり、今後のモディ政権の政権運営に注視が必要である。
以上
TMI総合法律事務所 インド・プラクティスグループ
茂木信太郎/小川聡/山田怜央
info.indiapractice@tmi.gr.jp
本記事は、一般的なマーケット情報を日本および非インド顧客向けに提供するものであり、インド法に関する助言を行うものではありません。