はじめに
インドにおけるAI市場への期待は引き続き高まっている。2025年6月にボストンコンサルティンググループが発表した報告書(注1)によれば、インド国内にはすでに60万人のAI人材が確保されており、これは世界AI人材の16%を占めるほか、2027年までにインド国内AI市場は170億米ドルへ到達し、AI人材も125万人に増加する見込みであるとされており、AIを巡る国際的議論をインド抜きでは語ることはできない。AIの発展を巡り、米国、中国、EU及び我が国においてもAIルール作りに関する議論が取り沙汰されており、インドも例外ではないことについては前稿で述べた(注2)。このような法的議論の中で、国際的に注目され、インド国内でも議論されている論点の一つが「AIと著作権」を巡る問題である。
1.経緯
OpenAI社の「ChatGPT」に代表されるように、LLM(大規模言語モデル)技術を応用した生成AIサービスの開発にあたっては、膨大な学習データを取り込むことが必要である。そのため、一部の例外的なモデルを除いて、生成AIに含まれる学習モデルの開発にあたって、特定の時点におけるインターネット上でアクセス可能なデータを取り込んで機械学習させることを前提としている(注3)。この過程において、技術上、学習時にインターネット上のデータを複製することや(開発・学習段階の問題)、学習データとして組み込まれた結果、コンテンツ生成時に学習元のデータが何らかの形で出力される可能性があることから(生成・利用段階の問題)、かねてより著作権侵害の問題が指摘されている(注4)。学習対象となるあらゆるデータについて許諾を得ることは現実的に不可能であり、その適法性の判断は、各国の既存の著作権法を含む現行法の解釈に委ねられる場合が多い。
各国の新聞社・出版社等のメディア事業者は、日々多くのコンテンツをインターネット上で発行しているため、大量の創作物を無許諾で学習素材とされる点を非常に問題視している。そのため、米国においては、ニューヨークタイムズ社等がOpenAI社等のAI事業者に対して著作権侵害訴訟を提起しており、現時点においても数十件の訴訟が係属するほか、一部では判決も出始めている。この問題は、インドにおいても例外ではなく、後述のとおりインドの大手通信社がOpenAI社に対する著作権侵害訴訟を提起した。
2.インドにおけるAI事業者に対する著作権侵害訴訟
(1)インド著作権法の概要
ベルヌ条約を含む主要な著作権条約に加盟するインドでは、日本や米国等と同様に、無方式主義を採用し、排他権としての複製権を中心とする著作権法体系を有している(インド著作権法第14条)。一方で、権利制限規定(著作権の排他的効力を制限する規定)については、米国著作権法に代表されるフェアユース(fair use)のような包括的規定は有しておらず、日本と同様に権利制限規定を個別に列挙しながら、フェアディーリング(fair dealing)と呼ばれる柔軟な規定を定めている点が特徴的である。フェアディーリングは、イギリス法などにもみられる規定であり、著作物を利用する行為であっても、一定の目的があれば権利制限を認める比較的柔軟性の高い規定とされている。インド著作権法においては、具体的なフェアディーリング規定として、以下のとおり定められている(注5)。
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52. Certain acts not to be infringement of copyright.
(1) The following acts shall not constitute an infringement of copyright, namely,
(a) a fair dealing with any work, not being a computer programme, for the purposes of—
(i) private or personal use, including research;
(ii) criticism or review, whether of that work or of any other work;
(iii) the reporting of current events and current affairs, including the reporting of a lecture delivered in public.
<仮訳>第52条 著作権侵害とならない行為
(1) 以下に定まる行為は、著作権の侵害を構成しないものとする。
(a) 以下の各号に定める目的のための、コンピューター・プログラムを除く著作物の公正な取引(fair dealing)
(i) 研究を含む私的または個人的な使用、
(ii) 当該著作物と他の著作物に関する場合とを問わず、批評または論評、
(iii) 公の場で行われた講演会の報道を含む、時事問題や事件の報道
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(2)インドにおけるAI事業者に対する著作権侵害訴訟
2024年11月、インド国内の大手通信社Asian News International(ANI)は、自社の有料記事を含む多くのコンテンツがChatGPTによる機械学習等に利用されているとして、OpenAI社を被告とする著作権侵害訴訟をデリー高等裁判所に提起した(注6)。同訴訟は、インド国内における生成AIと著作権侵害の問題について初めて提起された訴訟であり、その後、複数の新聞社・放送局等のメディア事業者やコンテンツホルダーが訴訟参加の意向を示すなどして、インド国内で最も注目されている著作権侵害訴訟の一つである。
同訴訟においては、論点は以下の4つに整理されている。
①被告(OpenAI社)が原告(ANI社)のデータ(ニュースの性質を有するものであり、1957年インド著作権法により保護されると主張する)をChatGPTというソフトウェアのトレーニングのために保存することが、原告の著作権の侵害に該当するかどうか。
②被告が原告のデータをユーザーへの回答生成に利用することが、原告の著作権侵害に該当するかどうか。
③被告による原告のデータ利用が1957年インド著作権法第52条に定める「公正な利用」に該当するかどうか。
④被告サーバーが米国に所在していることを考慮し、インドの裁判所が本件訴訟を管轄する権限を有するかどうか。
裁判所は、本件訴訟で先例性の高い判断を行う可能性が高いため、法的手続を支援するために本件訴訟に係る法廷助言者(Amici Curiae)として、Adarsh Ramanujan弁護士及びArul George Scaria博士(National Law School of India University教授)を任命し、専門的な意見を求めている。④管轄権の問題については、本件訴訟において実体判断を行うか否かに関わるため、先行して整理・検討することが予想されるが、少なくとも法廷助言者の両名ともインドに裁判管轄を認める意見で一致している。なお、2024年10月時点で、OpenAI社は(本件訴訟に係るいかなる権利放棄でないことを前提に)ANI社のドメインである「www.aninews.in」をブロックリストに追加しており、すでに当該ドメインは機械学習の対象からは除外されている。
AI事業者による著作権侵害論に関する国際的趨勢からすれば、論点①②についてインド特有の問題はなく、論点③が中心的な争点となり、かつ最も注目に値するように思われる。日本においてはこれまでに国内事業者がAI事業者に対して著作権侵害訴訟を提起した先例は確認されていないが、これは平成31年に導入された権利制限規定(著作権法第30条の4)により、機械学習が広く許容されていることが大きな理由の一つであると思われる(一方で、米国においては包括的規定(フェアユース)に委ねられるため、訴訟上争う余地が大きいとされる。)。
インド著作権法には、個別列挙された権利制限規定に機械学習を明確に想定した規定はなく、米国のように包括的といえる権利制限規定もない。前記第52条第(1)項第(a)号や、同項第(b)号ないし第(z)号を一見する限りでは、少なくとも文理解釈として同規定が適用されると解することは困難であるようにも思われる。インド商工省・産業国内取引振興局(Department for Promotion of Industry and Internal Trade:DPIIT)の公式見解においては、著作権侵害該当性については同第52条の適否に委ねるとしており、生成AIに関連した著作権法改正は予定していないことを表明しているため(注7)、本件訴訟がその道筋を示すこととなる。なお、本件訴訟に係る法廷助言者においては、この問題について見解の相違がみられるようである。
近時のインド国内の裁判例においては、第52条に定める権利制限規定の判断にあたって、トランスフォーマティブ・ユース(transformative use)の法理を含め、米国著作権法に定めるフェアユースの4要素や、米国の裁判例の考え方をも考慮する傾向がみられる(注8)。米国で先行する著作権侵害訴訟においては、AIによる機械学習について一部でフェアユースを認める判断もなされており(注9)、米国の動向はインドにおける本件訴訟にも影響する可能性がある。
3.むすび
AIを巡る国際的議論については、米国やEU等が先行する印象があるが、前記の市場規模からすると、インドの状況を踏まえることが発展的な議論を行う上で不可欠であり、むしろインドにおける議論が今後のAIを巡るルール作りをリードする可能性すらある。米国の著作権侵害訴訟の動向を見据えながら、TMIインド・プラクティスグループでは、インドにおける「AIと著作権」の問題も引き続き注視していきたい。
注1 WHITE PAPER India’s AI Leap
https://media-publications.bcg.com/India-AI-Leap-BCG-Perspective.pdf
注2 インド最新法令情報(2025年3月号)人工知能(AI)をめぐるインドの状況~「AIガバナンス・ガイドライン策定に関する報告書」の公表~
https://www.tmi.gr.jp/service/global/asia-pacific/2025/16864.html
注3
本稿執筆時にChatGPT(2024年5月公開のGPT-4oバージョン)に尋ねたところ、同モデルにおいては、
「2023年10月頃までの公開データを使用して訓練されています。」
「なお、個人情報や非公開の有料データベース(例:有料新聞記事全文など)は使用されていません。」
とのことであった。
注4
「AI と著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日・文化審議会著作権分科会法制度小委員会)https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/pdf/94037901_01.pdf
日本政府における議論においても、AI開発事業者やサービス提供事業者による著作権侵害の懸念については、①開発・学習段階、②生成・利用段階における問題を主軸として整理している。
注5
インド国内の文献(判決文を含む)においては、「公正な取引」との文言を具体的に含む第52条1項(a)を示してフェアディーリング(fair dealing)とする場合と、権利制限規定第52条1項(a)~(z)全体を総称してフェアディーリングとする場合のほか、フェアディーリングや第52条全体をフェアユース(fair use)と呼称する場合もあり、文脈ごとに意味が異なるため留意が必要である。
注6
ANI Media Pvt Ltd v OpenAI Inc & Anr, CS(COMM) 1028/2024
https://delhihighcourt.nic.in/app/showlogo/760734241732511325460_14045_10282024.pdf/2024
注7
GOVERNMENT OF INDIA MINISTRY OF COMMERCE & INDUSTRY DEPARTMENT FOR PROMOTION OF INDUSTRY AND INTERNAL TRADE RAJYA SABHA
UNSTARRED QUESTION NO. 845. TO BE ANSWERED ON FRIDAY, THE 09TH FEBRUARY, 2024
https://sansad.in/getFile/annex/263/AU845.pdf?source=pqars
注8
Super Cassettes Industries Limited vs Mr Chintamani Rao & Ors. on 11 November, 2011
https://indiankanoon.org/doc/576454/
Syndicate Of The Press Of The Universtiy ... vs B.D. Bhandari & Anr. on 3 August, 2011
https://indiankanoon.org/doc/565788/
The Chancellor, Masters & Scholars Of ... vs Rameshwari Photocopy Services & Ors. on 9 December, 2016
https://indiankanoon.org/doc/114459608/
注9
米国では、メタプラットフォーム社に対する著作権侵害訴でフェアユースの適用が認められたほか、Bartz v. Anthropic PBCにおいては海賊版を学習素材とする機械学習については違法とするなど、複数の判決が出ており注目されている。
Kadrey et al v. Meta Platforms, Inc.,(3:2023-cv-03417)
https://law.justia.com/cases/federal/district-courts/california/candce/3:2023cv03417/415175/598/
Bartz v. Anthropic PBC (3:24-cv-05417)
https://storage.courtlistener.com/recap/gov.uscourts.cand.434709/gov.uscourts.cand.434709.231.0_2.pdf
以上
TMI総合法律事務所 インド・プラクティスグループ
平野正弥/奥村文彦/呉竹辰
info.indiapractice@tmi.gr.jp
インドにおける現行規制下では、外国法律事務所によるインド市場への参入やインド法に関する助言は禁止されております。本記事は、一般的なマーケット情報を日本および非インド顧客向けに提供するものであり、インド法に関する助言を行うものではありません。