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【裁判例】令和2年(行ケ)第10049号 作業機事件
2021.11.05
判決の内容
実施可能要件違反を理由に特許を無効とした審決を取り消した事例。
事件番号(係属部・裁判長)
知財高裁令和3年2月24日判決(判決要旨)(判決全文)
令和2年(行ケ)第10049号(知財高裁第3部・鶴岡稔彦裁判長)
無効審判請求成立審決に対する審決取消訴訟
事案の概要
発明の名称を「作業機」とする特許第5976246号に係る無効審判請求事件において、特許庁が、本件明細書の発明の詳細な説明は、特許請求の範囲の請求項1の「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少する」との構成(以下「構成要件G」という。)を当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されておらず実施可能要件違反があるとして、特許無効審決をしたことに対して、特許権者である原告が取り消しを求めた事案である。
本判決は、当業者であれば、特許請求の範囲、明細書及び図面と力学的な技術常識によって構成要件Gを裏付ける理論的説明を理解することができたものと認められるなどとして、審決を取り消した。
主な争点に関する判断
(1) 結論
構成要件Gについて実施可能要件違反があるとした本件審決の判断は誤りである。
(2) 理由
ア.構成要件Gを裏付ける理論的説明について
本件審決は、本件明細書の記載からは、構成要件Gの「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少する」を裏付ける理論的説明を理解できないと判断した。しかし、この判断は誤りである。
構成要件Gの理論的説明は、本件無効審判においては、被告が、本件発明に係る作業機の構造と力学に関する技術常識に基づいて提示し、原告は、それに基づいて、構成要件Gを実現する具体例をシミュレーションし、構成要件Gが実現できることを具体的に示した。
そうすると、構成要件Gの理論的説明は、力学に関する技術常識を勘案し、請求項1及び本件明細書の記載により把握される本件発明に係る作業機の構造を参照するならば、当業者であれば認識できるものであったと認められる。
イ.構成要件Gを実現する作業機の傾きについて
本件審決は、構成要件Gが実施可能であるというためには、構成要件Gが少なくとも耕うん作業時の作業機の傾きのときに実現できることを説明する必要があると判断した。しかし、この判断は誤りである。
エプロンを跳ね上げるためのアシスト動作が必要になるのは、耕うんロータに付着した土を掻き落としたり、耕うんロータに設けられた耕うん爪を取り替えたりする作業を行うときであり、これらの作業は、その目的、性質や手順等に照らし、「耕うん爪が圃場に侵入した状態」ではなく、作業機が前傾している「作業機全体(刃を含む)が地上から引き上げられた状態」で行うのが通常であり、証拠によれば、かかる状態で構成要件Gを実現することができると認められる。
ウ.エプロンを跳ね上げる力の減少の程度について
本件審決は、耕うん作業時の姿勢において、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、エプロンの操作者が明確に知覚することができる程度に減少しなければならない判断した。しかし、この判断は誤りである。
上記イのとおり、「作業機全体が地上に引き上げられた状態」で構成要件Gを実現することができるのであれば、構成要件Gは実施可能である、審決の判断はその前提において採用できない。証拠によれば、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、エプロン角度の増加に伴って、一般的な作業者が感じることができる程度に徐々に減少することが認められるから、構成要件Gは実施可能である。
エ.発明の構成の実施に過度な試行錯誤を要するかについて
本件審決は、原告が主張する式及び説明に基づいて本件発明を実施するとしても、当業者に過度の試行錯誤を要するものと判断した。しかし、この判断は誤りである。
原告は、明細書の図2に記載された各支点の基本的な位置関係に基づき、構成要件Gの「エプロンを跳ね上げるのに要する力」と「エプロン角度」の変化曲線をシミュレーションし、このシミュレーションにより、構成要件Gの実施が可能であることが立証されたものと認められる。これらのシミュレーションは、コンピュータを用いたものと推認されるが、その実施が特に困難であったとは認められず、上記の結果を得るために過度の試行錯誤が必要であったことを窺わせる事情はない。
被告は、本件発明に係る作業機を自ら開発した原告ですら、明細書の図7のグラフのデータを得た日に存在していた「当時の作業機」を再現できないのであるから、構成要件Gが実施不可能であることは明らかであると主張する。しかし、特許発明が実施可能であるか否かは、実施例に示された例をそのまま具体的に再現することができるか否かによって判断されるものではないから、本件特許の原出願時に当業者が本件明細書の記載に基づいて本件発明を実施することができたか否かは、図7のグラフのデータを得た「当時の作業機」自体を再現できるか否かによって判断されるものではない。
オ.原告の主張の変遷の有無について
本件審決は、無効審判における原告の説明が矛盾していることや説明が二転三転していることからみても、発明が実施可能であったということはできないと判断した。しかしこの判断は、誤りである。
審決が、本件発明の説明と整合しないと指摘する箇所は、本件発明と同様の支点の位置関係を有する作業機であっても、本件発明の構成要件Gのようにエプロン角度の増加に伴ってアシスト力が増加するのとは異なる構成も設計できることを述べた箇所にすぎず、原告が本件発明の理論的説明や技術的意義を誤って説明したものとも、原告の本件発明に関する説明が二転三転しているとも認めることはできない。
コメント
機械分野では、明細書に記載された図面等から発明の内容を当業者が具体的に把握できることが多く、特許庁の審査を経て特許された後に、実施可能要件違反を理由として特許を無効にすることは一般的には容易ではない。本件では、請求項の構成要件Gの記載が機能的な表現であり、かかる機能を実現する具体的な構成が明細書等の図面から直ちに把握できるものではなかったため、その理論的な裏付けや解釈(作業時の姿勢か地上から引き上げられた状態の姿勢か)が問題になった。
本判決では、原告が、明細書の図2に記載された各支点の基本的な位置関係に基づき、構成要件Gの「エプロンを跳ね上げるのに要する力」と「エプロン角度」の変化曲線をシミュレーションし、このシミュレーションにより、構成要件Gの実施が可能であることが立証されたものと認められた。実施可能要件については当業者が「過度の試行錯誤」を要するか否かは重要な判断基準であるが、上記程度のコンピュータシミュレーションは、「過度の試行錯誤」とまではいえないとされた。また「特許発明が実施可能であるか否かは、実施例に示された例をそのまま具体的に再現することができるか否かによって判断されるものではない」ことが確認された。
なお、実施可能要件違反が問題になる場合は(明細書に明示的な記載がないがゆえのことが多く)出願時の技術常識の認定が争点になりうるが、本件においては、当事者間の認識に実質的な差異はなかったようである(本判決では、被告が提示した「本件発明に係る作業機の構造と力学に関する技術常識」に基づいて、原告がシュミュレーションを行って構成要件Gを実現できることを示したと認定されている)。また、本件では最終的には問題ないとされたものの、発明の意義や技術常識にかかる主張が審判及び訴訟の過程で一貫している(=主張が矛盾ないし二転三転しているという心証を審判官や裁判官に与えない)ことが望ましいのは言うまでもない。
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