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【中国】【特許】重大な専利侵害紛争に対する知財局による初の行政裁決~新たな権利行使ルートについて
2022.10.07
はじめに
中国国家知識産権局(CNIPA)は2022年8月5日、重大な専利侵害紛争に対して知的財産局が行政裁決を行った初めての事例2件を公表しました。
このうちの国知保裁字[2021]1号は、ドイツの製薬大手ベーリンガーインゲルハイム社が、2型糖尿病等の治療に用いられるDPP-4阻害薬「リナグリプチン」に関する自らの特許権に基づき、広東東陽光薬業有限公司(以下、「東陽光社」とします)によるジェネリック薬品の製造・販売等の差し止めと、複数省の薬品調達プラットフォームへの掲載取り消しを求めて、CNIPAによる行政裁決を請求したものです。東陽光社は中国の大手製薬会社であり、2020年7月より中国の国家薬品監督管理局の販売許可を得て、リナグリプチンのジェネリック薬品を各省の薬品調達プラットフォームに掲載し、一部の省では既にプラットフォーム経由で医院からの注文を受けて販売を開始していました。なお、国知保裁字[2021]2号は、東陽光社のグループ企業を被請求人とするものであるため、1号と併合審理され、同時に裁決が出されました。
本件は、CNIPAによる行政裁決の最初の例として、今後の実務の参考になるものです。また、行政裁決の適用基準に関する判断がなされている点も注目されます。
中国知的財産局による重大侵害紛争の行政裁決について
重大な専利権侵害紛争に対する行政裁決は、2021年6月1日から施行された専利法の第4回改正で導入された制度です。改正後の専利法第70条には、「国務院専利行政部門は、専利権者又は利害関係人の請求に応じて、全国的に重大な影響を有する専利権侵害紛争を処理することができる。」と規定されています。この「国務院専利行政部門」は、中国知的財産局(CNIPA)を指します。
ご存じの通り、中国では、知的財産権侵害の救済として、司法ルートと行政ルートという2つの救済ルートがあります。そのうちの行政ルートでは、従来、地方の市場監督管理総局(又は地域によっては知的財産局)による取り締まりが行われてきました。これについては、訴訟より時間と費用がかからない等の利点がある一方、地方行政機関の専門性の面での限界から、複雑な特許権侵害事件等には対応できないといった課題がありました。これに対し、第4回専利法改正以降は、地方ではなく中央の知的財産局(CNIPA)が、一定の条件を満たす「全国的に重大な影響を有する専利権侵害紛争」(以下、「重大侵害紛争」とします)の処分権限を持つことになり、注目を集めました。
CNIPAによる行政裁決の詳細は、改正法と同じ2021年6月1日に施行された「重大専利侵害紛争行政裁決弁法」(以下、「弁法」といいます)に規定されています。この弁法に則って実際に審理が行われ、裁決が下されたのは、今回公表された2件が初めてです。
本件裁決の注目ポイント
(1)行政裁決の適用基準について
CNIPAによる行政裁決の対象となる事件について、弁法第3条は、①重大な公共の利益に関する事件、②業界の発展に深刻な影響を与える事件、③省レベルの行政区を跨る重大事件、④その他重大な影響をもたらし得る専利権侵害紛争、と規定しています。本件では、東陽光社によるジェネリック薬品が、上海市、福建省、山東省、広東省、江西省、海南省、甘粛省等の複数の省の薬品調達プラットフォームに掲載されており、③の条件が明らかに満たされています。また、ベーリンガーインゲルハイム社は、「sina医薬新聞」に掲載された東陽光社によるジェネリック薬品販売に関する記事を証拠として、本件の重大性を訴えました。
CNIPAによる行政裁決の対象となるためには、更に、権利者又は利害関係人が請求し、明確な被請求人があり、明確な請求事項・具体的事実・理由があり、同一事件が裁判所によって立案されていない、という条件があります(弁法第4条)。本件対象特許は分割出願でしたが、親出願についてベーリンガーインゲルハイム社が人民法院に訴訟提起済みであったことから、このうち、「同一事件が裁判所によって立案されていない」との要件が満たされるかについて争われました。これについてCNIPAは、親出願と分割出願では請求の範囲が違っており、侵害に関する証拠、事実、理由も異なることから、親出願が裁判所で立案されていたとしても、本件分割出願を行政裁決の対象としない理由にはならないと判断しました。
(2)審理のスピードについて
CNIPAは本件の請求を受理してから、直ちに立案処理を行い、東陽光社の無効審判請求で審理を一時中断したものの、スピーディに審理を進め、裁決を下しました。下の図は、本件の裁決に至る流れを、時系列に沿って整理したものです。
弁法では、行政裁決は原則として請求受理後5日以内に立案し、立案から3カ月以内に結案すると規定しています。事案が複雑である等の事情がある場合、結案までの期間に原則1カ月の延長が認められます。本件も、審理が中止された期間を除き立案から4カ月以内で裁決が下されており、改めて行政裁決のスピーディさが確認できます。
なお、本件裁決は、東陽光社が本件特許に対する無効審判を請求したため、いったん審理が中止されましたが、同社が無効審判口頭審理終結後に審判請求を取り下げたため、審理が再開されました。その後、東陽光社の関連会社が2件目の無効審判を請求し、東陽光社はそれに基づいて再度の審理中止を請求しましたが、CNIPAは公平性と効率性の観点から、これを退けました。CNIPAは、意図的に審理を引き延ばしているとも解釈できる行為に対し、決然とした態度で審理を進行させたと言えます。
(3)薬品調達プラットフォームへの掲載について
本件では、東陽光社によるジェネリック薬品の各省の薬品調達プラットフォームへの掲載が、特許発明の実施行為である「販売の申し出」にあたるかが議論されました。現在、中国では、公立病院の薬剤調達は全て各省の薬品調達プラットフォームを通すことになっています。東陽光社は、複数省で既に薬品調達プラットフォームに掲載されて販売を行っており、別の複数省でも掲載申請を行い、掲載決定の公示等を受けていました。東陽光社はこのプラットフォーム掲載に関する行為を、専利法第75条第1項第5号に「行政審査に必要な情報を提供するため、特許薬品あるいは特許医療機器を製造、使用、輸入し、及び、もっぱらそのために特許薬品あるいは特許医療器械を製造、輸入する場合」と規定された、特許権侵害の例外行為であると主張しました。しかし、行政裁決では、同条第5号が「販売の申し出」行為を対象としていないこと、また、同条第5号は医薬品及び医療機器の販売許可のための行為を対象とするのに対し、本件では既に販売許可を受けた薬品の主に価格面の審査のためにプラットフォームへの掲載申請をしたに過ぎず、特許権侵害の例外行為には該当しないと判断しました。結論として、裁決では、ベーリンガーインゲルハイム社の請求通り、東陽光社による侵害薬品の製造・販売等の差し止めと、各省の薬品調達プラットフォームへの掲載取り消しが命じられました。
コメント
本件行政裁決においてCNIPAは、2名の技術調査官を利用し、5名の合議体により、短期間で「8-(3-アミノ-ピペリジン-1-イル)-キサンチン化合物、その製造方法及び薬物製剤としての用途」に係る特許権の侵害判断を行いました。従来の行政ルートでは対応しきれなかった技術的専門性の高い特許権侵害事件において、スピーディな判断を下すことができるのは、特許審査・審判の豊富な経験を有するCNIPAによる裁決の強みと言えます。ベーリンガーインゲルハイム社は、本件行政裁決の請求以前に、本件出願の親出願に係る特許権に基づき上海知財法院に侵害訴訟を提起しましたが、分割出願に基づく行政裁決のほうが、早い結果に結びついた形です。なお、東陽光社は、本件裁決から15日以内に行政訴訟を提起することができますが、訴訟期間中も裁決の執行は停止されません。
CNIPAによる行政裁決では、従来の地方局による行政取り締まりと同様に、損害賠償の請求をすることができません。本件の場合、東陽光社は、2020年7月に国家薬品監督管理局の販売許可を得てから、順次、各省の薬品調達プラットフォームを通した販売体制を構築している段階にあり、一部省では既に販売を行って収益を得ていたものの、ベーリンガーインゲルハイム社側は、これまでに発生した損害の賠償を求めるより、侵害の拡大を早期に停止することを重視したものと考えられます。
ジェネリック薬品等をめぐる医薬品関連の特許紛争の解決手段としては、専利法の第4回改正時に、医薬品の販売許可申請の段階で紛争を未然に解決する手段として、パテントリンケージ制度が導入されました。しかしながら、同制度導入前に販売許可が出された薬品をめぐる紛争や、同制度により未然に解決することができなかった紛争に対する解決手段は依然として必要であり、今回の裁決では、そのような場面でも、従来の侵害訴訟に加えて、CNIPAの行政裁決が利用可能であることが示されました。
重大侵害紛争に対するCNIPAの行政裁決は、今後、複数省に跨る比較的大規模な侵害事件に対する新たな救済ルートとして、検討に値するものです。特に技術内容が高度に専門的で、早期の差し止めが必要とされる特許侵害事件での活用が期待されます。
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