ブログ
【中国】【特許】【重要裁判例シリーズ】6 社内資料に基づく先使用の抗弁が認められた事例
2023.09.28
はじめに
中国の専利法では、特許侵害訴訟における先使用の抗弁が認められています。しかしながら、適用要件が日本より厳しく、また、立証に対する要求も非常に高いため、従来の判決において先使用権の成立が認められたケースは、多くありませんでした。また、公証されていない社内資料等は、先使用の証拠として裁判所に採用されないケースが多いため、将来の訴訟リスクに備えて、公証やタイムスタンプ等を用いて先使用の証拠を固定しておくことは、中国で製品を製造する企業にとって大きな負担であり、その要否と方法に関する問題は、常に議論の的になっていました。
この状況が近年、少しずつですが、変わりつつあります。本稿で紹介する2021年の最高人民法院による判決では、被疑侵害者の社内資料である設計図面や材料の検収報告書等が、工場用地の賃貸契約書や金型工場とのオンラインチャット記録等の第三者の関与する文書と合わせて、先使用事実の証拠として採用されました。判決では、先使用権の事実及び範囲を証明する証拠の認定基準について、最高人民法院の比較的柔軟な考えが示されています。
また、この数年の間に、本件以外の複数の裁判例において、先使用権の成立が認められました。本稿の後半では、それらについても簡単にご紹介いたします。
なお、本件は重要な判決として、2021年の「最高人民法院知財法廷裁判要旨」にも選定されています。
先使用権に関する中国の現行規定
中国における先使用権は、専利法第75条に以下のように規定されています。
第75条: 以下何れかの状況がある場合は、専利権侵害とはみなさない。 (1)省略 (2)専利出願日前に既に同様の製品を製造し、又は同様の方法を使用し、又はすでに製造、使用に必要な準備を終えており、かつ元の範囲内だけで引き続き製造、使用する場合。 (以下省略) |
この条文からわかるように、中国の先使用権は、実施行為のうち、中国国内における「特許製品の製造」及び「特許方法の使用」、並びに、「それら製造、使用の準備」行為のみを対象にしています。また、成立要件の具体的判断基準は、2010年1月1日施行の最高人民法院による司法解釈「特許権侵害紛争事件に関する法律適用の若干の問題」で、以下のように規定されています。
第15条: 以下の状況のいずれかである場合、裁判所は、特許法第69条第2項に規定の「製造、使用に必要な準備を完了している」とみなす。 特許法第69条第2項(注:現行法の第75条第2項)に規定の「元の範囲内」とは、特許出願日前に既にある生産規模、並びに、既にある生産設備或いは既にある生産準備によって達成できる生産規模を指す。 先使用権者が、特許出願日後に、自身が既に実施していた、又は実施に必要な準備を完了していた技術又は設計を他人に譲渡したり、実施許諾したりした場合であって、被疑侵害者が当該実施行為は元の範囲内での継続実施であると主張する場合、裁判所はこれを支持しない。ただし、当該技術又は設計が元の企業と共に譲渡又は承継された場合を除く。 |
上記司法解釈第15条第1項の「非合法に獲得した技術又は設計」とは、例えば特許権者から合法的でない方法で取得した発明、実用新案、意匠等を指すとされています。
また、第2項の「製造、使用に必要な準備を完了している」に関する規定は、出願時に特許製品の製造や特許方法の使用を開始しておらず、その準備段階にあった場合に、どのような準備行為を立証できれば先使用権が認められるかについて規定しています。
第3項は、先使用権が認められる製造規模である「元の範囲」について、第4項は、先使用権の譲渡・承継について規定しています。
事案の概要
(1)事件情報
事件番号:(2021)最高法知民終508号
判決日:2021年8月
上訴人(一審被告):東莞市楽放実業有限公司
被上訴人(一審原告):深圳市賽源電子有限公司
一審被告:広州晶東貿易有限公司
対象実用新案:中国実用新案登録第ZL201920113995.0号「サウンドバー」(出願日:2019年1月23日、登録公告日:2019年8月23日)
(2)本件の経緯
一審原告の深圳市賽源電子有限公司(以下、「賽源社」とします)は、「サウンドバー」に関する実用新案権を有しています。賽源社は、一審被告の東莞市楽放実業有限公司(以下、「楽放社」とします)が製造し、同じく一審被告の広州晶東貿易有限公司(以下、「晶東社」とします)が販売しているA25型スピーカーが自らの実用新案権を侵害しているとして、2020年5月に広州市知的財産法院に侵害訴訟を提起しました。
一審裁判所は、A25型スピーカーが、原告実用新案権の構成要件を全て充足していると判断しました。被告のうち、楽放社は構成要件の充足を認めましたが、自らは、当該実用新案権出願日前にA25型スピーカーの製造に必要な準備を完了していた、とする先使用の抗弁を行いました。一方、晶東社は、構成要件充足性については言及せず、自らは侵害品であることを知らずに合法的に購入した製品を販売していたに過ぎない、という合法的出所の抗弁を行いました。一審裁判所は、晶東社の合法的出所の抗弁を認めましたが、楽放社の先使用の抗弁は、証拠不十分を理由として認めず、晶東社には原告の訴訟費用1万元、楽放社には損害賠償及び原告の訴訟費用計5万元の支払いを命じました。
二審の最高人民法院は、楽放社の先使用の抗弁を支持し、上記一審判決を取り消しました。
【本件実用新案の図1】
主な争点に対する裁判所の判断
本件の最も重要な争点は、被疑侵害製品の製造者である楽放社の提出した証拠が先使用事実を証明する証拠として採用されるべきか否か、及び、それらの証拠により先使用の事実が認定されるか否か、という点でした。また、先使用権の成立を認めた二審判決では、更に、先使用権が認められる「元の範囲内」の判断基準に関する最高人民法院の考え方が示されています。
(1)先使用証拠の採用と先使用事実の認定について
判決文によれば、楽放社は一審において、以下の40点の証拠を提出し、2018年11月から2019年1月の間に自らがA25型スピーカーの金型テスト、サンプル検査、規格決定、材料品質検査等を行っており、同社のERPシステムの受注情報によれば、2019年1月からA25型スピーカーの注文受付を開始していた、と主張しました。
甲1号証:A25型スピーカーの電子版設計図のハードコピー
甲2号証:A25型スピーカーの設計文書を保存したコンピュータ
甲3号証:A25型スピーカーのPCBサンプル作成の確認メール
甲4号証:A25型スピーカー発行のPCB製造資料
甲5号証:A25型スピーカーの構造設計図
甲6号証:意匠権登録証
甲7号証:意匠権登録公告公報
甲8号証:袁氏の社会保険料納付記録
甲9号証:楽放社の工商局登記資料
甲10号証:A25型スピーカー実物
甲11号証:金型工場の見積書
甲12号証:楽放社と金型工場とのWechatでのチャット記録
甲13号証:楽放社の余氏と黄氏との間の銀行送金記録
甲14号証:金型工場の工商局登記資料
甲15号証:余氏の社会保険料納付記録
甲16号証:楽放社の金型検収書(金型試験報告書)
甲17号証:スピーカー・コントロールパネルの信頼性試験報告書
甲18号証:試作品質問題統計表
甲19号証:A25型スピーカー試作過程における不良分析統計表
甲20号証:試作製品会議総括報告書
甲21号証:文書のプロパティの画面キャプチャ
甲22号証:サンプル検査報告書
甲23号証:A25型スピーカー製品企画書
甲24-25号証:A25型スピーカー量産製品問題会議総括報告書、及び量産製造工程不良分析統計報告表
甲26号証:A25型スピーカー製造工程表
甲27-28号証:A25型スピーカー包装箱設計図、及び電子版設計図のプロパティの画面キャプチャ
甲29-30号証:A25型スピーカーブランドタグ設計図及び設計図電子版プロパティの画面キャプチャ
甲31号証:A25型スピーカー原材料リスト
甲32号証:A25型スピーカー原材料見積書
甲33号証:A25型スピーカー筐体材料の検収報告書
甲34号証:A25型スピーカー販売促進チャット記録
甲35号証:発注書評価表、発注予測
甲36-37号証:EPRシステム開発会社の提出したEPRシステム機能説明及びEPR開発会社の営業許可証
甲38号証:楽放社2019年2月のEPRシステムの定期棚卸通知
甲39-40号証:楽放社EPRシステムの受注情報の画面キャプチャ、及び当該発注情報に対するユーザの証明書
これに対し一審裁判所は、楽放社の提出した証拠は、意匠権登録証、社員の社会保険費用納付記録、工商局発行の登記資料、銀行での送金記録等を除けば、いずれも一方当事者が作成した資料であり、原告の賽源社がその真実性・合法性を認めない以上、証拠として採用することはできないと判断しました。また、たとえこれらの証拠により、楽放社が本件実用新案権の出願日前に被疑侵害製品の製造の準備を完了していたことが証明されたとしても、楽放社が「元の範囲内」で引き続き製造していることの証拠がないと指摘し、結論として、楽放社による先使用の抗弁は成立しないと判断しました。
この一審判決を受け、楽放社は二審において、以下の4件の証拠を追加しました。
甲41号証:東莞市の金型工場とのA25型スピーカーの金型作成に関するWechatでのチャット記録
甲42号証:楽放社社員と東莞市金型工場とのQQでのチェット記録
甲43号証:A25スピーカーの金型の写真
甲44号証:工場の賃借契約書
更に、チャット記録に登場する社員3名に、二審の開廷審理において証人証言を行わせました。二審で追加された、これらの物証及び人証について、一審原告の賽源社は、証拠の真実性及び関連性を認めませんでした。
しかし、二審裁判所は、証拠38は日付が本件実用新案権の出願日より後であるため採用できないものの、その他の証拠は、主に被疑侵害製品の設計図、金型製造及び販売予測等の事実に関するものであり、本件との関連性を有する、と認めました。更に、A25型スピーカーの電子版設計図、構造設計図、金型検証書、信頼性試験報告、試作品質問題統計表、検査報告書等の証拠は、楽放社が自ら作成したものではあるものの、楽放社は自社で研究開発を行っており、技術図面又は工程資料といった関連証拠が楽放社単独で作成されていることには合理性があり、且つ、各証拠間の内容及び時間等が互いに符合しており、つながりも自然であって、メール、金型工場の返信、WechatやQQのチャット記録、証人証言等によっても補助的に証明されており、賽源社が反対の証拠を提出していない状況においては、甲1-37、39、40号証を採用すると判断しました。
これについて、二審判決では、楽放社が製品を独自に研究開発する過程において作成した設計図面、工程資料、検査報告書等は、いずれも研究開発過程で作成された技術文書であるため、被疑侵害者が単独で作成したものであることは常識にかなっており、その製品が正式に製造・販売される前に対外的に公開されていないのも、製品の開発研究の客観的状況と符合しており、その証拠の効力を審理する際には、他の関連証拠と組み合わせて総合的に判断すべきであって、設計図面、工程資料、検査報告書が一方当事者の作成に係るものであることだけを理由に、単純にその証明力を否定することはできない、と述べています。
そして、本件において楽放社が提出した設計図面電子版、構成設計図、サンプル作成確認メール、PCB製造資料、及び各部品の金型検収書、検査報告書等の技術文書を、電子メール、返信、WechatやQQのチャット記録、証人証言等の証拠と組み合わせれば、本件実用新案権の出願日前に楽放社が既に設計図に基づいてA25型スピーカーの金型作成を行っており、メールによりサンプル作成の確認を済ませていたこを充分に証明できる、と判断しました。
(2)「元の範囲内」の認定について
先使用権に基づく製造の継続が認められる「元の範囲内」の立証責任について、二審判決では、まず一般論として、「『元の範囲内』の認定は往々にして、過去のある時点より前に存在した金型、製造数量、工場面積等の客観的状況に関わるため、『元の範囲内だけで引き続き製造、使用する場合」に関する事実の審理では、双方当事者の主張及び事案の具体的状況を組み合わせて、立証責任を総合的に分配すべきである。先使用権者が既に挙証に尽力しており、その証拠が『元の範囲』を、合理性をもって初歩的に証明できる場合であって、専利権者がそれを覆す反対の証拠を提供していない場合、先使用権者は元の製造、使用の範囲を超えていないと認定してよい。その後、専利権者が証拠を以て、先使用権者が元の範囲を超えて製造、使用していることを証明した場合、専利権者は別途、その合法的権益を主張する権利がある。」と述べています。
その上で、本件の具体的な当てはめとしては、「楽放社が提出した発注書評価表、受注予測等の証拠は、楽放社が本件実用新案権の出願日前に係争製品を製造する一定の製造規模及び能力を備えていたことを証明できる。更に、金型工場の見積書、金型の検収書、二審における証人証言等の証拠を組み合わせれば、楽放社が一組の製造金型のみを所有していたことを初歩的に証明できる。また、『工場賃貸契約書』によれば、その工場面積は2013年から現在まで変わっていないことを初歩的に証明できる。このため、楽放社の提出した証拠は互いに符合しており、証拠チェーンが形成できており、楽放社の本件実用新案権出願日前の製造規模及び製造範囲、及び、その生産規模を拡大していないことを初歩的に証明できる。楽放社が本件訴訟において提出した元の範囲に関する証拠には一定の合理性があり、高度の蓋然性という証明基準を初歩的に満たしている。賽源社が反対の証拠を提出して、楽放社が本件実用新案権の出願日前の製造規模を超えていることを証明していない状況において、本裁判所は、楽放社が元の範囲を超えずに係争製品を製造していると認定する」と判断としました。
なお、2021年「最高人民法院知財法廷裁判要旨」では、本件判決の要旨に、「先使用の抗弁における『元の範囲』の証明基準は高すぎてはならない」との説明が追加されています。
コメント
上述の通り、本件判決は、先使用事実の証明において、金型工場の作成した書類や、電子メール、返信、チャット記録、証人証言等の第三者の関わる証拠と組み合わせる形で、先使用を主張する被疑侵害者の提供した多数の社内資料を、証拠として採用しました。また、先使用権のおよぶ製造・使用の「元の範囲」の立証について、過去の事実を証明しなければならないという性質を考えれば、立証に対する要求を過度に高くするべきではないとの考え方を示し、先使用権を主張する者により、一定の心証を形成できる程度の「高度の蓋然性」の初歩的な証明が行われており、相手方当事者から反証が提供されない場合には、その主張を認める、との考えが示されました。
本件以外にも、2021年10月に最高人民法院から出された、「連続生地スリッター」の実用新案権に関する(2021)最高法知民終1524号判決では、製品に付されたプレートに手彫りされた型番と、契約書に記載の型番・日付、銀行送金証明の送金日が符号することにより、出願日前の製造の事実が認められました。また、2020年12月に最高人民法院から出された、「電気化学水処理設備の筐体及び扉の連接機構」の実用新案権に関する(2020)最高法民終642号判決では、先使用権を主張する企業の法定代表者が鉛筆で描いた製品分解結合図9枚、同代表者が代理店に発送した同図を添付した電子メール(公証済)、実用新案権出願日前に当該企業が水処理設備をレンタルした一連の資料及び領収書、並びに、顧客企業による被疑侵害企業への製品加工委託に関する証拠及び証人証言によって、先使用権の成立が認められました。
これらのケースの共通点として、先使用権を主張する一方当事者が作成し、作成当時に公証されていなかった社内資料が、他の資料と符号するとの条件下で、先使用の証拠として採用されている点が挙げられます。このような一連の判決からは、多くは非公開での実施が前提となる先使用事実の立証に対して、過度に高い基準を課すことは適切ではなく、客観的証拠との組み合わせにより先使用行為があったことの「高度の蓋然性」が初歩的に証明されており、他方当事者からの反証がない場合には、一方当事者の作成した証拠であっても採用すべきとの裁判所の姿勢が認められます。
近年、特にコロナ禍以後には、タイムスタンプやブロックチェーン公証の発達により、先使用証拠の固定のためのコスト及び労力が、低減されつつあります。それでも、知的財産侵害訴訟件数が爆発的に増大している中国において、先使用証拠を準備していない製品が侵害訴訟の対象となる可能性は常にあり、先使用事実の立証方法に関する裁判所の実務の変化は、注目に値します。
Member
PROFILE