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知財高裁調査官の仕事
2024.07.24
はじめに
筆者は、2016年の10月から2019年の10月までの3年間、知的財産高等裁判所(以下「知財高裁」といいます。)において、裁判所調査官(以下「調査官」ともいいます。)として勤務しました。この間は特許権侵害訴訟控訴事件や審決取消訴訟事件にどっぷりと浸かる濃密(かつ贅沢)な日々を送っておりました。本稿では、そのような調査官の仕事の一端について紹介いたします。
裁判所調査官の構成
調査官は、知財高裁、東京地裁及び大阪地裁の知財部に配置されます。調査官はその専門分野に応じて、機械、電気、化学の3つの技術分野に分かれて配置されます。現在、以下の図のとおり、知財高裁に11名(機械4名、電気3名、化学2名)、東京地裁に7名(機械3名、電気2名、化学2名)、大阪地裁に3名(機械1名、電気1名、化学1名)の調査官が配置されています。21名の調査官の多くは特許庁の審判官経験者ですが、知財高裁及び東京地裁にはそれぞれ1名の弁理士出身者が配置されています。弁理士が調査官として就任するようになったのは比較的新しく、東京高裁・知財高裁で2002年4月から、東京地裁で2003年4月からになります。
裁判所調査官は、裁判所に所属する常勤の職員であり任期は3年とされています。各裁判所の調査官は一度に入れ替わるのではなく、少しずつ入れ替わります。これにより調査官のノウハウが途切れなく継承される仕組みになっています。例えば、知財高裁では、半年に一度(4月・10月)の定期異動にあわせて1~3名の調査官が交替します。
特許庁出身の調査官は、特許庁を一度退職して裁判所に勤務し、任期満了後、審判官として再任されて特許庁に戻ります。特許庁において調査官としてのキャリアを希望する審判官は少なくなく、庁内でも特に実力・実績に秀でた選りすぐりの方々が調査官として選任されるようです。
弁理士出身の調査官は、弁理士会での選考(公募→書類による一次選考→面接による二次選考)及び最高裁判所での面接を経て任命されます。弁理士会における直近の調査官の募集要項には、①専門分野の知識・実務経験(知財高裁は「機械」、東京地裁は「化学」)、②弁理士業務20年程度、③40歳代後半から50歳代前半、④審判事件、好ましくは、審決取消訴訟事件及び特許権侵害事件の経験等が挙げられています。②③は特許庁出身の調査官と経験や年齢が乖離しないようにするためと思われます。調査官全体として年齢層が若干上昇傾向のようで、筆者が応募した当時の募集要項では、②は弁理士業務15年程度、③は30歳代後半から50歳代前半でした。
調査官は、任期期間中は、国家公務員として兼業が禁止されます。弁理士出身の調査官は、弁理士登録は抹消する必要はありませんが、弁理士業務を行うことはできず、また調査官になるにあたっては、全ての事件の代理人を辞任しなければなりません。
裁判所調査官の仕事
知財高裁の調査官が関与するのは、「特許、実用新案等の技術型の知的財産権関係訴訟」になります。商標権や著作権等の非技術型の訴訟には関与しません(プログラムの著作権等で技術が問題になる場合に「電気」分野の調査官が関与するケースはあります)。訴訟の類型としては、審決取消訴訟事件が最も多く、次いで特許権侵害訴訟控訴事件になります。以下では、審決取消訴訟事件を例に、調査官の仕事内容を紹介します。
審決取消訴訟は、原則、以下の図のモデルケースにしたがって手続が進行します。モデルケースでは、2回の弁論準備手続で両当事者の主張立証・争点整理を終了させ、その結果を口頭弁論で陳述させて弁論を終結し、判決言い渡しになります。弁論準備手続又は口頭弁論で技術説明会が実施されることもあります。また口頭弁論では、両当事者に争点を5分間程度説明するよう求められることがあります。
モデルケースにおいて、当事者の主張(準備書面の提出)の機会は、原告は2回あり、被告は1回です。原告は、第1回目の弁論準備書面(原告第1準備書面)で取消事由の主張の全てを尽くし、必要な証拠も全て提出することが求められます。被告は、第1回目の準備書面(被告第1準備書面)で主張の全てを尽くし、また必要な証拠を全て提出することが求められます。原告は、被告の主張に対して反論すべき点及び主張として補足すべき点について、第2回目の弁論準備書面(原告第2準備書面)で主張することができます。このモデルケースにしたがって調査官の仕事を説明します。
(1) 第1回弁論準備手続期日まで
調査官は、原告から原告第1準備書面が提出され、取消事由にかかる原告の主張が明らかになった段階で、主任裁判官への説明資料を作成します。説明資料の内容や分量には特に制限はありませんが、多忙な裁判官に明確かつ簡潔に説明できるよう、調査官それぞれ工夫をこらします。説明資料としては、例えば、①事案の概要(特許の内容、引用文献の内容、審決の概要、取消事由の概要)、②調査官のコメント、③その他案件の理解に必要な資料(技術用語の説明、模型等)があります。
第1回弁論準備手続期日が近づくと主任裁判官と打合せをします。打ち合わせでは、説明資料を用いた事案の概要説明や質疑応答のほか、当日の進行についても確認をします。第1回弁論準備手続期日では、争点の整理及び今後の進行スケジュールの調整をしますので、そのために必要な事項を事前に整理しておきます。例えば、原告第1準備書面における認否・主張又は技術内容について裁判所から確認しておいたほうがいい点はないか、不明瞭な主張の明確化や証拠の補充(あるいは撤回)を促したほうがいいか、技術説明会をしたほうがよいか等について確認をします。
第1回弁論準備手続期日には、調査官も立ち会います。期日において調査官は主任裁判官の隣で控えていることが多いのですが、技術的な内容について調査官から当事者に質問をすることもあります。
(2) 第2回弁論準備手続期日まで
調査官は、当事者双方の主張が出揃うと「主張対比表」を作成します。主張対比表は、当事者の主張を争点ごとに表形式でまとめたものです。主張対比表により当事者の主張の全容が端的に把握でき、当事者の主張の強弱、当否、漏れ等が見えてきます。また調査官は、各取消事由についての自身の見解を整理しておきます。
第2回弁論準備手続期日が近づくと主任裁判官と打合せをします。打合せでは、弁論準備手続を終結できるか、判決の方向性等について主任裁判官と議論をします。その上で、主任裁判官ともに第2回弁論準備手続期日に臨みます。
(3) 第1回口頭弁論まで
技術説明会が開催される場合は、調査官は、当該事件における専門委員(大学教授、弁理士及び研究者で構成されます)候補のリストアップ、専門委員への質問事項の作成等、事前準備に関与するほか、技術説明会当日は、専門委員との打合せ及び期日(弁論準備期日又は口頭弁論期日)へ立ち会い、必要に応じて、当事者への質問、議事まとめを行います。
調査官は、弁論準備手続の終結後(又は技術説明会の開催後)、主任裁判官からの指示を受けて、調査報告書の作成を開始します。調査報告書は、取消事由についての調査官の見解を示す書面であり、調査官が最も心血を注ぐ業務といっても過言ではありません。調査報告書のフォーマットは特に決められていませんが、判決のスタイルに寄せる調査官が多いようです。調査報告書は、概ね以下のような内容を含みます。
「結論」審決を取り消すべきか否か
「理由」①事案の概要(手続きの経緯、審決の理由の要旨等)
②取消事由、当事者の主張の要点
③明細書の記載、本件(本願)発明のまとめ
④各取消事由の検討、原告(被告)主張の排斥
調査報告書は、あくまで主任裁判官が判決を起案するにあたって用いる一資料ですので、判決の整理が調査報告書の整理と一致するとは限りません(なお、判決文に調査報告書の内容又はそのエッセンスが少しでも採用されていると調査官としては嬉しいものではあります)。主任裁判官とは議論を重ねてきているため、主任裁判官が起案した判決の結論が調査報告書と逆になることはあまりないのですが、当該結論が合議においてひっくり返ることがないわけではありません。
(4) 判決言い渡しまで
調査官は、主任裁判官が判決を起案した段階で、主に技術的な観点から判決に問題がないかを確認します。主任裁判官が起案した判決は、合議体(主に裁判長)により、判決言い渡しまで推敲に推敲を重ねられます。必要に応じて、調査官に再度の技術的な確認が求められることはありますが、通常はこの段階になると調査官はあまり関与しませんので、調査官が最終的な判決を目にするのは、判決言い渡し後になります。
筆者は、判決言い渡し後、担当した事件の判決を読むことを楽しみにしていました。判決に書かれていることはもちろん「書かれなかったこと」に思いを巡らせたり、一滴に凝縮された玉露のような一文を判決に見つけて感嘆したりと、これは、事件に深く携わった調査官ならではの楽しみでした。
最後に
今でも判決を読むと、裁判官、事務官・書記官、そして特許庁出身の調査官の方々ひとりひとりの、真摯かつ誠実な仕事ぶりを思い出します。裁判所において、調査官はあくまで裁判官の技術的なサポート役であり、黒子的な存在ではありますが、判決の形成過程において欠かせない存在であることは間違いありません。本稿が裁判所における調査官制度についての理解の一助になれば幸いです。
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