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【裁判例】知財高裁令和3年(ネ)第10043号 特許権侵害差止等請求控訴事件
2022.07.04
判決の内容
特許権侵害差止等請求に対し、特許法17条の2第3項の補正要件違反を理由とする無効の抗弁が認められた事例。
事件番号(係属部・裁判長)
知財高裁令和3年11月11日判決(判決全文)
令和3年(ネ)第10043号(知財高裁第4部 菅野雅之裁判長)
特許権侵害差止等請求控訴事件
事案の概要
本件は、名称を「2、3-ジクロロ-1、1、1-トリフルオロプロパン、2-クロロ-1、1、1-トリフルオロプロペン、2-クロロ-1、1、1、2-テトラフルオロプロパンまたは2、3、3、3-テトラフルオロプロペンを含む組成物」とする発明に係る特許(特許第5701205号。本件特許)の特許権者である控訴人が、原判決別紙被告製品目録記載のようにして特定される製品を被控訴人が生産、譲渡等する行為が本件特許権を侵害する旨主張して、被控訴人に対し、本件特許権に基づき、原告主張製品の生産、譲渡等の差止め及びその廃棄を求めるとともに、本件特許権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求の一部請求として1億円(特許法102条2項適用)及び遅延損害金の支払を求める事案である。原審は、本件特許に係る特許請求の範囲の補正(本件補正)は特許法17条の2第3項に違反し、本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものであり(同法123条1項1号)、控訴人は被控訴人に対して本件特許権を行使することができないとして(同法104条の3第1項)、控訴人の請求をいずれも棄却した。
控訴人は、原判決を不服として本件控訴を提起した。
本件補正の内容
補正の内容は以下のとおりであり、本件補正により、実質的には「ゼロ重量パーセントを超え1重量パーセント未満の、HFO-1243zfおよびHFC-245cbと、を含む、」という文言を有することとなった(原判決第3、1(2))。
(1)補正前
【請求項1】HFO-1234yfと、HFO-1234ze、HFO-1243zf、HCFC-243db、HCFC-244db、HFC-245cb、HFC-245fa、HCFO-1233xf、HCFO-1233zd、HCFC-253fb、HCFC-234ab、HCFC-243fa、エチレン、HFC-23、CFC-13、HFC-143a、HFC-152a、HFC-236fa、HCO-113 0、HCO-1130a、HFO-1336、HCFC-133a、HCFC-254fb、HCFC-1131、HFO-1141、HCF O-1242zf、HCFO-1223xd、HCFC-233ab、HCFC-226baおよびHFC-227caからなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物とを含む組成物。
【請求項2】約1重量パーセント未満の前記少なくとも1つの追加の化合物を含有する請求項1に記載の組成物。
(2)補正後
【請求項1】HFO-1234yfと、ゼロ重量パーセントを超え1重量パーセント未満の、HFO-1243zfおよびHFC-245cbと、を含む、熱伝達組成物、冷媒、エアロゾル噴霧剤、または発泡剤に用いられる組成物。
【請求項2】HFO-1234ze、HCFC-243db、HCFC-244db、HFC-245fa、HCFO-1233xf、HCFO-1233zd、HCFC-253fb、HCFC-234ab、HCFC-243fa、エチレン、HFC-23、CFC-13、HFC-143a、HFC-152a、HFC-236fa、HCO-1130、HCO-1130a、HFO-1336、HCFC-133a、HCFC-254fb、HCFC-1131、HFO-1141、HCFO-1242zf、HCFO-1223xd、HCFC-233ab、HCFC-226baおよびHFC-227caからなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物をさらに含み、HFO-1243zfおよびHFC-245cbと前記追加の化合物の合計量が1重量パーセント未満である、請求項1に記載の組成物。
主な争点に対する判断
(1)結論
裁判所は、本件補正は特許法17条の2第3項の補正要件に違反してされたものであり、本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから(同法123条1項1号)、同法104条の3第1項により特許権者たる控訴人は被控訴人に対しその権利を行使することができないと判断して、控訴を棄却した。
(2)理由
以下、カギ括弧で判示を引用し、控訴審により補正された部分には下線を付した。また、引用部分の番号は筆者が便宜的に付したものである。
ア 補正要件の判断枠組みについて
「特許法17条の2第3項の『最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項』とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項を意味するものというべきところ、第三者に対する不測の損害の発生を防止し、特許権者と第三者との衡平を確保する見地からすれば、当該補正が、上記のようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該補正は『明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において』するものといえるというべきである(知的財産高等裁判所平成18年(行ケ)第10563号同20年5月30日特別部判決参照)。」
イ 当てはめ
①「出願当初の請求項1及び2の記載からすれば、本件特許に係る特許出願当初の請求項1及び2の記載は、HFO-1234yfに対する『追加の化合物』を多数列挙し、あるいは当該『追加の化合物』に『約1重量パーセント未満』という限定を付すにとどまり、上記のとおり多数列挙された化合物の中から、特定の化合物の組合せ(HFO-1234yfに、HFO-1243zfとHFC-245cbとを組み合わせること)を具体的に記載するものではなかったというべきである。」
②「当初明細書の各記載について見ても・・・不純物や副生成物が特定の『追加の化合物』として少量存在することが記載されて」いる「ものの、そのような記載にとどまっているものである。」
③「そして他方、当初明細書においては、そもそもHFO-1234yfに対する『追加の化合物』として、多数列挙された化合物の中から特に、HFO-1243zfとHFC-245cbという特定の組合せを選択することは何ら記載されていない。この点、当初明細書においては、HFO-1234yf、HFO-1243zf、HFC-245cbは、それぞれ個別に記載されてはいるが、特定の3種類の化合物の組合せとして記載されているものではなく、当該特定の3種類の化合物の組合せが必然である根拠が記載されているものでもない。また、表6(実施例16)については、8種類の化合物及び『未知』の成分が記載されているが、そのうちの『245cb』と『1234yf』に着目する理由は、当初明細書には記載されていない。さらに、当初明細書には、特許出願当初の請求項1に列記されているように、表6に記載されていない化合物が多数記載されている。」
④「それにもかかわらず、その中から特にHFO-1243zfだけを選び出し、HFC-245cb及びHFO-1234yfと組み合わせて、3種類の化合物を組み合わせた構成とすることについては、当業者においてそのような構成を導き出すことが自明となる記載が必要と考えられるところ、そのような記載は存するとは認められない」
⑤「これらに照らせば、当業者によって、当初明細書、特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項としては、低地球温暖化係数(GWP)の化合物であるHFO-1234yfを調製する際に、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db、HCFO-1233xf、及びHCFC-244bb)に含まれる不純物や副反応物が追加の化合物として少量存在し得るという点にとどまるものというほかない。そして、当初明細書等の記載から導かれる技術的事項が、このような性質のものにすぎない場合において、多数の化合物が列記されている中から、HFO-1234yfに加え、HFO-1243zfとHFC-245cbと合わせてゼロ重量パーセントを超え1重量パーセント未満含むとの構成に補正(本件補正)することは、前記のとおり、そのような特定の組合せを導き出す技術的意義を理解するに足りる記載が当初明細書等に一切見当たらないことに鑑み、当初明細書等とは異質の新たな技術的事項を導入するものと評価せざるを得ない。したがって、本件補正は、当初明細書等の記載から導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入したものであるというほかない。」
ウ 控訴審での補充主張に対する判断
裁判所は、「願書に最初に添付した明細書(当初明細書)、出願当初の請求項及び図面の全ての記載を総合して導かれる技術的事項について更に敷衍して説示する。」とし、「当業者によって、当初明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項とは、低地球温暖化係数の化合物であるHFO-1234yfを調整する際に、不純物や副反応物が追加の化合物として少量存在し得るという点にとどまるものというほかない。」と結論付けた。
控訴人の主張に対しては、「控訴人は、沸点の近い化合物を組み合せて共沸組成物とすることが本件発明の技術的思想であることや、低コストで有益な組成物を提供することができること等を主張するが、当初明細書中には、沸点の近い化合物を組み合せて共沸組成物とすることや低コストで有益な組成物を提供できることについては、記載も示唆もされていないから、その主張は前提を欠くし、このような当初明細書に記載のない観点から本件補正をしたというのであれば、それは新たな技術的事項を導入するものであり、まさしく新規事項の追加にほかならない。」とした。また、「出願当初の請求項1、請求項2、当初明細書の表6、表5、段落【0032】、図1、表2(パートA)の記載から、HFO-1234yf、HFC-245cb及びHFO-1243zfを成分とする組成物が権利範囲になることは当業者であれば当然に予想すべきものである旨」の控訴人の主張に対しては、「当初明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項とは、低地球温暖化係数の化合物であるHFO-1234yfを調整する際に、不純物や副反応物が追加の化合物として少量存在し得るというものであるところ、上記のとおり、HFO-1234yf、HFC-245cb及びHFO-1243zfを含む組成物であって、追加の化合物であるHFC-245cb及びHFO-1243zfが合計で1重量パーセント未満含まれるものは、いずれの実施例においても示されておらず、また、当初明細書等の記載から自明な事項であるともいえない以上、当業者は当該組合せを導き出すことはできないから、控訴人の指摘する記載が当初明細書等にあったからといって、本件補正が新規事項の追加であることを免れるものではない。」
コメント
(1)はじめに
本件は、特許法17条の2第3項の補正要件違反の有無が問題となった事案である。特許法17条の2第3項は「明細書、特許請求の範囲又は図面について補正をするときは、・・・願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面・・・に記載した事項の範囲内においてしなければならない。」と定めている。
特許庁の審査基準においては、当業者によって、当初明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で「新たな技術的事項を導入」する場合は、その補正は新規事項を追加する補正であるから許されない旨の判断基準が採用されており(審査基準第Ⅳ部第2章2.)、当初明細書等に明示的に記載された事項にする補正のほか、「補正された事項が『当初明細書等の記載から自明な事項」である場合には、当初明細書等に明示的な記載がなくても、その補正は、新たな技術的事項を導入するものではないから許される。」とされている(審査基準第Ⅳ部第2章3.)。
裁判例上も、知財高裁平成20年5月30日判決(ソルダーレジスト大合議判決)において、「「明細書又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該補正は、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる」ことが示されている。そして、ソルダーレジスト判決は、「付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や、その記載から自明である事項である場合には、そのような訂正は、特段の事情のない限り、新たな技術的事項を導入しないものであると認められ、「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり、実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。」としていた。
ソルダーレジスト判決は、以上のような一般論を示したものの、いわゆる除くクレームが問題になった事例であり、具体的な判断内容についての射程は明らかではない。本判決は、「新たな技術的事項を導入」するかどうかの判断について具体例を提供するものであり、特許権侵害訴訟のみならず出願実務においても参考になる事例であると思われる。
(2)「新たな技術的事項を導入」するかどうかの判断枠組みについて
原判決においては、「そのような構成を導き出す動機付けとなる記載」が必要であるとするにとどまっていたのに対し、本判決は、まず明細書、特許請求の範囲又は図面の記載を検討し、「そのような構成を導き出すことが自明となる記載」が存在しないことから、「当初明細書等の記載から導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入したものである」と結論付けた(5.(2)イ①乃至⑤)。
もっとも、本判決は、審査基準及びソルダーレジスト判決と同様の判断手法を採用したものであり、特段目新しい基準を示しているわけではない。なお、特許法17条の2第3項の判断について、「そのような構成を導き出す動機付けとなる記載」の有無を問う裁判例は、原判決のほかには見当たらない。
(3)「新たな技術的事項を導入」するかどうかの判断内容について
本件補正は、「HFO-1234yf」に、「ゼロ重量パーセントを超え1重量パーセント未満の、HFO-1243zfおよびHFC-245cbと、を含む」との事項を追加したものであるところ、当初明細書において、多数列挙された化合物の中に、HFO-1243zf、HFC-245cbが含まれていた点に特徴があると思われる(5.(2)イ③)。
すなわち、単に当初明細書の記載から補正後の構成を行うことが可能であるというだけでは、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であることにはならず、当初明細書の記載から補正後の構成を行うことを導き出すことが自明となる記載が必要である。
そして、自明となる記載の存否の判断については、傍論ではあるものの、以下の事項が判断要素として参考になると思われる(5.(2)イ③及び⑤並びにウ)。
・当初明細書等において特定の種類の化合物の組合せとして記載されているかどうか
・当初明細書等において当該特定の種類の化合物の組合せが必然である根拠が記載されているかどうか
・そのような特定の組合せを導き出す技術的意義を理解するに足りる記載が当初明細書中にあるかどうか
(4)小括
以上のとおり、本判決は、補正後の請求項を構成する要素自体は当初明細書等に示されていた場合において、特定の構成を追加する補正を行うことが許されるかどうかの判断について具体例を提供する点で意義のある判決であると考え、紹介する次第である。
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