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才口弁護士に聞いてみよう(24)
2022.08.01
TMIの顧問弁護士であり、最高裁判事の重責も務められた才口弁護士に聞く、現代の「仕事」と「生き方」のヒント。
先生のブログをとても楽しみに拝読しています。
第1回の「弁護士には明るさと愛嬌が必要です」という先生のメッセージが心に残りました。第19回にも、先生が「法曹の資質」としてお考えになられることの中に、心の温かさや愛嬌という言葉があります。
私は、暗いとは思いませんが明るいというほどでもなく、愛嬌がある人になりたいと思いますが、先天的に愛嬌に溢れているタイプでもありません。しかし、私も先生のような魅力的な人になりたいです。そのための努力を惜しむつもりはありません。
明るさや愛嬌のような個人の資質、傾向にかかわることを伸ばしていくにあたって、どのような努力をすると良いのでしょうか。ぜひアドバイスをいただけますと幸いです。
設問にお答えするためブログの全編を確認したところ、“温故知新”(古きをたずねて新しきを知る)を改めて認識しました。老骨の法曹は性懲りもなく終始『愛嬌』を言い続けています。
何故に法曹の資質五要素「感性、寛大、分別、知恵、愛嬌」の最後に『愛嬌』が鎮座しているかの真相を白状すれば、その実は以下のとおりです。
最高裁判所判事就任の前年まで母校の新入生向け講座である“法曹論”において毎年数百人の受講生に以下の法曹の資質を説き、法曹への道を推奨し奮起を促していました。
(1) 感性 喜怒哀楽が通じあえる心の温かさ
(2) 寛大 共感しあえる心の広さ
(3) 分別 是非分別の判断
(4) 知恵 問題解決の知恵
(5) 愛嬌 明朗
ところで、前記(1)から(4)までの資質については受講生に容易に講義できたのですが、(5)の愛嬌は苦悶の末、講師の職を辞する数年前に要素に加え、その後、判事経験を経て、当事務所における新人弁護士研修の「講話」等で毎年提唱している要素です。
そもそも『愛嬌』とは何でしょうか?
広辞苑には「人に好かれるような愛想や世辞」とあり、“愛嬌をふりまく”などと慣用されています。また、『愛嬌』は「愛敬」とも書き、意味は「親しみの心を持つこと」ですが、奥義を究めれば密教の“敬愛法”にも結びつきます。
何故に、この『愛嬌』を法曹の資質五要素の最後の一つに加えたのかの理由は、法曹を生業とし、司法の一翼を担う弁護士から裁判官へ、そして再び弁護士に回帰した人生行路にあります。端的にいえば“権力対抗者”から“権力行使者”へ立場が変わり、法曹として司法を担う裁判官、検察官、弁護士の職務と立ち位置が判然としたのです。
検察官は『愛嬌』を振りまくことはできませんし、裁判官も『愛嬌』を表情に出して心証を明らかにすることはできません。
訴訟比率が10パーセントそこそこの現状において、紛争解決の大部分はわれわれ弁護士に託されています。また、紛争は多種・多様化し、かつ複雑・専門化しています。その結果、事件は大手や専門事務所に集中化し、従来の市井弁護士は事件減少で疲弊しています。
このような弁護士業界の傾向は法曹志望者の志向回路にも影響し、最近は若年、短期速成型の弁護士が急増しました。改めて事件処理に対応する弁護士の姿勢が問われる由縁です。
前置きが長くなりました。『愛嬌』についてアドバイスしたいと思います。
依頼者や関係者に『愛嬌』をふりまくことが弁護士の職務ではありません。
依頼者に親しみの心を持って事件に真剣に取り組み、紛争を解決して心を安らかにしてあげることが弁護士の職務であり使命です。不可識で合点のいかない様相で対応しても好結果は得られますまい。
弁護士は、性格的に暗いタイプよりは明るい方が職業的に向いています。愛嬌に溢れているタイプでなくてもよろしい。依頼者は弁護士の事件処理の一挙手一投足を注視しているのです。迅速かつ的確に処理してくれる弁護士の“心の温かさ”や人間性”を機敏に察知しています。
どうぞ、ご自分の資質や傾向に拘泥せずに全知全能を傾注して事件処理に邁進して下さい。
かつて、弁護士以外で敬愛する人物として「故 四元義隆先生との出会い」を本ブログ第13回目に記しました。四元先生が山本玄峰老師(1866~1961)の再興した三島の龍澤寺できびしい修行をされたのですが、この玄峰老師が93歳にして揮毫した『大乗十来』の一節「愛敬自忍辱来」は“愛敬は心を安らかにすること”であり、次節の「知恵自精進来」は“知恵は精進すること”です。
いみじくも法曹の資質につき語られた名言であり、けだし心に銘ずべき至言です。
完
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