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標準必須特許を巡る当局の活発な動き
2022.08.08
はじめに
近年、当局が標準必須特許のことで頑張っています。当局というのは、欧州なら欧州委員会、米国なら米国特許商標庁、そして日本なら日本国特許庁などです。どんな頑張りなのかを紹介します。
標準必須特許
その前に、標準必須特許(SEP)について復習します。
「標準」とは、プロセスや製品、試験方法などの共通化された規格のことです。標準化することで、原材料を単純化し、部品をモジュラー化し、労働を単純化して、多量生産を可能とし、コストダウンを図ることができます。また、互換性が確保され、多数の参入者によるネットワーク外部性が働き利便性が向上し、価格競争が生じることで、市場拡大がもたらされます。「特許」は、独占排他権とか知的所有権とか呼ばれるように、私的独占するための権利です。知的創造物であるアイディアを特許化し、他人にライセンスを供与してライセンス料を徴収することで、利益を上げることができます。標準必須特許は、よく聞く言葉とはなりましたが、考えてみると市場拡大を目的とする「標準」と私的独占を建前とする「特許」という矛盾したコンセプトの合成語といえます。両者はどのように絡んでいるのでしょうか。
標準化が促進されるということは、モノやサービスが安価に調達が容易になるということですから、モノやサービスの利用者には恩恵があります。でも、モノやサービスの提供者とってはどうでしょうか。標準化するだけでは、自分で利益を独占したいと考える提供者に面白みがありません。そこで、モノやサービスの提供者は標準規格に特許の機能を組み入れることを考えます。標準規格の構成要素に自らの特許を組み入れて、標準規格となっているモノやサービスを利用する場合にはどうしても特許を使わざるを得ない関係にします。標準必須特許(SEP)の誕生です。そして、SEP権利者として標準規格の利用者(SEP実施者)からライセンス料を得ることができるようにしたというのが標準必須特許のからくりです。
世界的な標準規格(世界標準)には、多数のSEP権利者がおり、世界中にSEP実施者がいます。できるだけ安くモノやサービスを利用しようとするSEP実施者と、できるだけ多くのライセンス料を徴収しようとするSEP権利者です。利害関係が衝突する両者がせめぎ合うのですから、争いごとが絶えません。当事者間のライセンス交渉で解決できなかった紛争は裁判所に持ち込まれます。世界標準についての紛争なら世界中で裁判が起こされます。世界各地の裁判で、SEPについての考え方が発展し、整理され、こんな感じでSEP権利者とSEP実施者が交渉するのが妥当ではないか、といった路線が出てきました。とはいっても、あくまでも最終合意は当事者間で行われます。そのため、相変わらず紛争が絶えません。そこで、当局も頑張って当事者の紛争解決に乗り出すことになりました。
欧州
一番目立っているのは欧州委員会(European Commission: EC)です。欧州委員会は経済的・政治的な加盟国の集合体である欧州連合(EU)の政策執行機関で知財専門ではありませんが、欧州特許条約に基づき欧州特許を審査する欧州特許庁(EPO)と密接な関係があります。SEPは競争法にも関係するので、欧州委員会の運営対象となるのです。
欧州は、世界的な通信キャリアや自動車会社の活動の場であることから、2010年代にはSEPに関して多くの重要な判決がだされました。欧州委員会は、2020年11月に、SEPライセンスの透明性と予見可能性を向上させるための行動計画を策定し、2021年7月にSEPの新たな枠組みに関するイニシャチブを公表しました。このイニシャチブについて、欧州委員会は、2022年2月から5月にかけて、利害関係者に意見募集とエビデンス収集を広く呼びかけました。意見募集では、現行制度がホールドアウトやホールドアップに対して有効かといった一般的質問に加えて、SEPライセンスのプロセス、ライセンスで直面した問題、透明性や必須性、FRAND、エンフォースメントについての諸問題について質問するものでした。6月には、意見募集の結果について、サマリーが発表されました。サマリーは以下のURLからダウンロードできます。
Intellectual property – new framework for standard-essential patents (europa.eu)
このサマリーを参照すると、現実のSEPライセンス交渉の実体が見えてきます。意見募集に対する回答とエビデンスを検証して、欧州委員会が当事者に役立つ行動計画を策定することを期待したいです。
米国
米国もMotorolaやQualcomm、Microsoftなどの主要なSEP権利者及び実施者を抱え、SEP関連の紛争が絶えません。そのため、米国の当局も活躍を続けています。2010年代には、米国特許商標庁(USPTO)及び司法省が各種ルールや政策声明を発表しました。2020年には、司法省がSEP設定団体であるAVANCIに対して、実際の運用を踏まえたビジネスレビューレターを公表しました。
つい先日の2022年7月に、USPTOは、世界知的財産機関(WIPO)と、標準必須特許に関連した紛争解決を促進するために協力して尽力することについて合意したと発表しました。
この合意は、USPTO及びWIPOの現在の資源を活用しSEPのライセンス交渉の効率性を高め、標準関連の紛争解決を促進するというものです。特に、USPTOとWIPOは、次のことに合意しています。
- 現行のWIPO仲裁調停センターとUSPTOの資源を活用して、標準必須特許関連の紛争解決に効率的かつ効果的な行動をとることで協力すること
- USPTO-WIPOプログラムを通じて、WIPO仲裁調停センターによって提供されるサービスに対する認知を高めるために利害関係者へ積極的に働きかけること
この合意は、署名日から5年間継続されるとされています。訴訟社会で裁判による紛争解決が常態化している米国社会において、USPTOはWIPOの枠組みを紛争解決の一手段として推奨していくつもりなのでしょうか。
日本
日本では、SEPに関する紛争というと、2014年のアップル対サムスン電子の紛争が有名ですが、元来、裁判件数が少ない国であり、これ以外にSEP関連紛争が多くはありません。しかし、多くの自動車メーカーを抱え、自動運転やコネクテッドカーといった技術が進むにしたがい、潜在的には、国際標準に絡むSEP紛争が発生する可能性は低くありません。
このような背景から、日本特許庁(JPO)は、2018年にSEPライセンス交渉に関する「標準必須特許のライセンス交渉に関する手引き」を発表しました。上記手引きは、2022年6月に第2版として改訂されました(guide-seps-ja.pdf (jpo.go.jp))。
また、2018年、特定のSEPが対象とする標準規格に含まれているか否かの標準必須性について、JPOが一定の判断をする枠組みとして従前の判定制度を活用することを呼び掛けるため、「標準必須性に係る判断のための判定の利用の手引き」を発表しました(01.pdf (jpo.go.jp))。
当事者間の交渉事であるライセンス交渉について、公的機関であるJPOが「手引き」を公表するとは、大胆な行動のように感じます。永年存在は知られているがなかなか利用されて来なかった判定制度を標準必須判定という枠組みで再デビューさせようという意図でしょうか。
その他
中国では競争当局や人民法院が、韓国では公正取引委員会がSEPに関連するガイドラインを発表しているようです。きりがないので、今回はここまで。
おわりに
移動体通信に関する世界標準規格が5G、6Gと進み、SEPを絡む交渉が今後も活発になっていきます。ライセンス交渉にあたって、当事者は裁判所のみならず、官公庁が提供する枠組みも、迅速に交渉をまとめていくためのオプションとして検討したいくのがよいのでしょう。
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