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【中国】【実案】【審決シリーズ】1 秘密審査義務違反で無効とされた事例
2022.08.10
はじめに
中国の専利法第19条第1項では、中国国内で完成した発明・考案に対し、外国出願を行う前に秘密審査を受けることが義務付けられています。この秘密審査義務は、①中国への国内出願を行い当該出願について秘密審査請求をする、②中国知財局を受理官庁とするPCT出願を行う、③中国知財局に特許出願を伴わない単独の秘密審査請求をする、のいずれかの方法で満たすことができます。実務では、③の方法を利用するケースは少ないため、この秘密保持審査義務は、一般的に、第一国出願義務に準ずるものと理解されています。
日本でも2022年5月11日に成立した経済安全保障推進法に、日本国内でなされた発明を対象とする特許出願非公開制度が盛り込まれ話題となっていますが、国際的な共同開発が盛んに行われる昨今、競合する複数国の第一国出願義務をいかに果たすかは、共同開発実施時の大きな課題の一つです。本件は、中国知的財産局が初めて、秘密審査を受けていないことを理由に実用新案権を無効と判断した事案であり、秘密審査義務に関する判断基準が示された点で参考になります。
審決情報
審決番号:第55586号 審決日:2022年4月22日
対象特許:「伸縮可能なトランスミッションアセンブリ
装置及び上下式ポール」(ZL201720389490.8)
特許権者:浙江捷昌繊性駆動科技股份有限公司
発明者:胡仁昌、陸小健、黄占輝、張東行
無効審判請求人:袁小中(個人)
事案の概要
出願人は、本件実用新案を、2017年1月10日に行われた中国実用新案出願に対する国内優先権を主張して2017年4月14日に中国知的財産局に出願し、初歩審査を経て、2018年2月16日に登録を受けました。
これに対し、審判請求人は、2021年11月25日に無効審判を請求し、専利法第19条に規定された秘密審査義務を果たしていないことを理由の一つとして、本件実用新案権の無効を主張しました。審判部は、審理を経て2022年4月22日に、秘密審査義務違反を理由として、本件実用新案権を無効とする審決を下しました。
秘密審査義務について
中国専利法第19条では、秘密審査義務について以下の通り定めています。
第19条:
いかなる事業体あるいは個人も、中国で完成させた発明又は実用新案を外国へ出願する場合、事前に国務院専利行政部門に申請し、秘密審査を受けなければならない。秘密審査の手続き、期限などは国務院の規定に従う。
(第2項・第3項省略)
第1項の規定に違反して外国へ専利出願した発明又は実用新案について中国で専利出願する場合、専利権を付与しない。
専利法実施細則第8条第1項によれば、この秘密審査義務は、①中国への国内出願を行い当該出願について秘密審査請求を行う、②中国知財局を受理官庁とするPCT出願を行う、③中国知財局に特許出願を伴わない単独で秘密審査を請求する、のいずれかの方法で満たすことができます。
これまでのところ、審査段階での秘密審査義務に関する拒絶理由等の通知は一般に行われておらず、出願が専利法第19条の要件を満たしているか否かは、専ら無効審判で争われています。
争点に対する判断
(1)審判請求人及び特許権者の主張
本件無効審判において審判請求人は、2016年12月20日に出願人が行った米国仮特許出願US62/436730を証拠として提出し、本件実用新案に係る考案は当該米国仮特許出願に記載の発明と同一であることを立証しました。その上で、本件実用新案権及び米国仮特許出願の考案者・発明者は全て中国人であり、考案者・発明者及び権利者の住所が中国大陸であること、権利者は中国大陸に研究開発機関を有しており、出願当時、海外に研究開発施設を有していなかったことを理由に、本件実用新案権に係る考案は中国国内で完成されたものであって、専利法第19条に規定の秘密審査義務を有すると指摘しました。そして、本件実用新案は、秘密審査を経ずに先に米国に出願されており、専利法第19条違反の無効理由を有すると主張しました。
これに対し特許権者は、第一発明者である胡仁昌氏について紹興市公安局出入境管理局の発行した出入境記録調査結果を反証として提出し、胡仁昌氏が本件実用新案出願前にカナダ、ドイツ及び米国に計3度、渡航したことを証明しました。その上で、胡氏は研究開発能力を有しており、本件考案は主に胡氏が約10日間の米国滞在中に完成し、完成後すぐに米国仮特許出願を行ったものであって、その他の考案者は交流の中で発明を完成させたに過ぎないと主張しました。
本件の状況を時系列で整理すると、以下のようになります。
(2)審判部の示した判断基準
本件審決において、審判部は、以下のような秘密審査義務に関する一般的な判断基準を示しました。
具体的に、まず、「発明・考案の実質的内容が中国国内で完成されたことの初歩的な証明責任は審判請求人にあり、その挙証は、高い蓋然性を有するとみなされるレベルに達している必要がある」と述べています。その際の判断のポイントについては、①権利者(出願人)の住所、②発明者・考案者の国籍の2点であると明言しています。そして、「権利者が、(審判請求人による)上記の認定を覆し、発明・考案が中国国外で完成されたことを示す十分な反証を提供できない場合、権利者はその不利な法的効果を受け入れなければならない」としています。
(3)本件における判断
審判部は、①権利者の住所について、本件権利者の住所及びその研究開発機関はいずれも中国国内にあり、出願当時、海外に研究開発設備を有していたことを示す証拠がないと指摘しました。そのため、本件実用新案の実質的内容が中国国内で完成された可能性が高いことの初歩的な証明が可能であると認定しました。
次に、②考案者の国籍について、審判部はまず、発明者・考案者が専利法実施細則第13条に「発明の実質的な特徴に対して創造的な貢献をした人」と定義されている以上、本件の4名の考案者のいずれもが、考案の実質的内容に創造的な貢献をしたと認定すべきであると判断しました。次に、考案者4名のうち、海外出張を行った胡仁昌氏を含む3名は中国国籍で、海外に永住権を持たないため、反証の無い限り、3名による考案は中国国内でなされたとみなされる、と述べています。また、残る1名も、権利者企業に数年間在籍しており、その業務内容は本件考案と関連性があること、及び中国で働いていたことが、初歩的に証明できる、としています。
以上より、審判部は、審判請求人は、提出した証拠に基づいて、考案の実質的内容が中国国内で完成された蓋然性が高いことの初歩的証明ができていると認定しました。
次に、権利者の提出した反証について、審判部は、考案者である胡仁昌氏の出入境記録調査結果は、出入国の証明に過ぎず、考案を胡仁昌氏が国外で完成したことの直接的な証拠ではない、と指摘しました。また、本件考案には胡氏以外に3名の考案者がおり、権利者の反証は、これら3名が国外で考案を完成したことも証明できないと指摘しました。更に、権利者企業の董事長である胡氏がわずか10日間の米国滞在中に発明を完成させ、米国仮特許出願の書類の準備から出願手続きまで行ったとの主張は、明らかに合理性を欠くと認定しました。
また、審決では、権利者は上場企業として、発明が国外で完成されたものであれば、その直接の証拠を提示する能力を有するとみられるところ、十分な証拠を提示せず挙証義務を尽くしていない状況では、それによる不利な法的結果を負うべきであると指摘しています。
最終的に、審判部は、本件実用新案権は専利法第19条第1項に規定の秘密審査義務に違反したことを理由に、無効にすべきであるとの審決を下しました。
コメント
本件は、中国知的財産局が初めて、専利法第19条の秘密審査義務違反を理由に無効審決を下した事案です。これまで、中国の秘密審査義務については、国家の安全や重大な利益に関わる技術の海外流出を防ぐことを制度趣旨としているため、その他の技術に関する権利を秘密審査義務違反だけを理由に無効とすることには慎重な態度をとるだろう、といった比較的楽観的な考え方もありました。しかし、本件では、家庭内や医療現場で使用される上下式ポールに関する実用新案権が、秘密審査義務違反を理由に無効とされており、今後は技術分野に関係なく、秘密審査義務に十分配慮する必要があると言えます。
また、本件審決は、秘密審査義務の判断基準を示している点でも、非常に参考になります。審決では、発明・考案の実質的内容が中国国内で完成されたか否かは、①出願人/権利者の住所、②発明者・考案者の国籍の2点から総合的に判断すると述べています。筆者の把握する限り、2008年の制度導入以降、秘密審査義務について争われた無効審判の審決は10件程にとどまり、そのうち、①及び②がいずれも中国国内であったものは見当たらないようです。しかしながら、本件審決によれば、①及び②がいずれも中国国内であれば発明・考案が中国で完成したと推定される、という機械的な判断基準ではなく、この2点を中心に諸般の事情を総合的に検討する、としている点に注意が必要です。また、審決では、第一発明者・考案者だけでなく、発明者・考案者全員が実質的な発明・考案を行ったと解釈すべきであると述べており、この解釈に従えば、秘密審査義務を免れるためには、一部の発明者・考案者が海外で発明行為を行っていたことの証明では足りず、全員の発明行為が中国国外で完成したことの証明が必要となります。更に、発明・考案が中国国外で完成したことの証明には、これまで言われてきたような海外滞在の証拠(出入国記録やビザ等)だけではなく、発明・考案が国外で完成したことの、より直接的な証拠を求められるようにも理解できます。
本件はいわゆる国際的な共同開発に関する事案ではなく、審決で示された判断基準が様々な状況の事案において、どの程度厳格に運用されるかは、今後の動向を注視する必要があります。しかし、今後は、出願人や発明者に国籍・居住地が中国である個人や企業を含む出願を、外国で行った後に中国で行う場合、外国出願前に中国知的財産局に対し特許出願を伴わない秘密審査請求を行うか、全発明者による発明行為が中国国外でなされたことの証拠を確保しておくことが推奨されます。
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