ブログ
【裁判例】令和2年(ワ)第29897号 相当の対価請求事件
2022.12.23
判決の内容
原告による職務発明の対価請求権が時効により消滅したと判断され、被告による消滅時効の援用が信義則違反又は権利濫用に該当しないと判断した事例。
事件番号(係属部・裁判長)
東京地裁令和4年5月27日判決(判決全文)
令和2年(ワ)第29897号(東京地裁民事第29部 國分隆文裁判長)
相当の対価請求事件
事案の概要
被告の元従業者である原告が、発明の名称を「塞栓形成用体内留置具」とする特許第4548338号の特許(以下「本件特許1」という。)及び発明の名称を「塞栓形成用体内留置コイル」とする特許第4412280号の特許(以下「本件特許2」という。)に係る各発明(以下、本件特許1に係る発明を「本件発明1」と、本件特許2に係る発明を「本件発明2」という。)は、原告が被告の他の従業者と共同で行った職務発明であり、発明の名称を「塞栓形成用体内留置具」とする特許第4175117号の特許(以下「本件特許3」という。)に係る発明(以下「本件発明3」といい、本件発明1ないし3を「本件各発明」と総称する。)は、原告が単独で行った職務発明であり、それらの特許を受ける権利の持分又はその全部をいずれも被告に承継させたと主張して、被告に対し、①被告が定めた発明に関する社内規程(以下「被告発明規程」という。)に基づく登録報奨金、及びこれに対する民法所定の遅延損害金の支払を求めるとともに、②特許法35条3項(平成16年法律第79号による改正前のもの。以下、同項につき同じ。)に基づく相当の対価として2494万円及びこれに対する民法所定の遅延損害金の支払を求めた事案である。原告の請求に対して、被告は第1回弁論準備手続期日において、原告の被告に対するいずれの請求権についても消滅時効を援用する意思表示を行った。これに対し原告は、原告が被告に対し退職後であっても相当の対価の支払を請求できることを知ったのは、原告代理人の事務所で面談を行った令和元年11月8日であるから消滅時効は完成していない、被告発明規程に登録報奨金請求権に関する規定があることにより、原告が被告に対し相当の対価請求権を行使するのに障害となっていたことを考慮すれば、消滅時効は特許登録時から進行すると解すべきである、また、被告発明規程には、「発明者である従業員が定年以外の理由で会社を退職した場合、報奨金を受ける権利は、退職と同時に消滅する。」旨が定められた条項(以下「本件退職条項」という。)が存在しており、原告は、本件退職条項の記載により、退職によって登録報奨金を請求することができなくなったものと思い込み、登録報奨金を請求することに思い至ることがなかった、原告には、被告に対し登録報奨金を請求することについて事実上の障害があり、権利行使が現実に期待できるものではなかった等主張して、消滅時効は完成していないと反論した。
主な争点に関する判断
(1)結論
裁判所は、被告が、消滅時効を援用したことによって、原告の被告に対する相当の対価請求権は、いずれも時効により消滅したと認められるとし、被告が原告の被告に対する特許法35条3項に基づく相当の対価請求について消滅時効を援用することが信義則違反又は権利濫用に当たるということはできないと判断した。
(2)理由
ア.消滅時効の成否について
裁判所は、相当の対価請求権の消滅時効の起算点について、「特許を受ける権利の承継時であるのが原則であるが、勤務規則等に使用者が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する定めがあるときは、これが到来するまでの間は、権利行使につき法律上の障害があるものとして、対価の支払を求めることができないというべきであるから、その支払時期が消滅時効の起算点となると解するのが相当である」とした最高裁平成15年4月22日判決(最高裁平成13年(受)第1256号)を引用し、「被告発明規程には、被告が従業者に対して支払うべき対価の支払時期に関する定めは置かれておらず、本件全証拠によっても、被告において、当該定めを含む他の勤務規則等が存在するとは認められない。…被告発明規程では…、相当の対価請求権の行使を制限する定めは置かれておらず、本件全証拠によっても、被告において、当該定めを含む他の勤務規則等が存在するとは認められない。したがって、発明をした被告の従業者の被告に対する登録報奨金の額を超える相当の対価請求権は、…特許を受ける権利の承継時に、期限の定めのないものとして発生していると認めるのが相当である。」と判断した。その上で、「発明をした被告の従業者の被告に対する被告発明規程に基づく登録報奨金請求権は、『商行為によって生じた債権』に当たり、これを5年間行使しないときは、時効によって消滅することとなる(商法 522条)。」とし、原告の被告に対する登録報奨金請求権の「消滅時効の起算点は、本件発明1及び2については平成14年9月27日であると、本件発明3については同月11日であると、それぞれ認められる。…、本件発明1及び2に係る登録報奨金請求権については平成19年9月27日の経過をもって、本件発明3に係る登録報奨金請求権については同月11日の経過をもって、それぞれ消滅時効が完成した。」として、被告の消滅時効の援用により、「各登録報奨金請求権は時効により消滅した」と認定した。
イ.被告による消滅時効の援用が信義則違反又は権利濫用にといえるかについて
裁判所は、被告発明規程の本件退職条項について「発明者である従業員が 退職した場合に『報奨金を受ける権利』が消滅する旨が定められており、この『報奨金』が『譲渡報奨金』及び『登録報奨金』(被告発明規程10-1)を指すことは明らかである」が、本件退職条項には「特許法35条3項に基づく相当の対価請求権の消長に関する定めは存在しない。」ことから「本件退職条項が置かれていたからといって、そのことによって直ちに、被告の従業者に対し、被告を退職した場合に、被告発明規程に基づき支給されるべき報奨金請求権に加え、特許法35条3項に基づく相当の対価請求権までも行使することができなくなるとの誤解を生じさせるものではない。」とした。「また、使用者が契約や勤務規則において定めを置くか否かにかかわらず、従業者は、特許法35条3項に基づく相当の対価請求権を行使することができるから、被告発明規程に実績に対応する相当の対価支払に関する定めが置かれていなかったからといって、直ちに、被告の消滅時効の援用が信義に反するということはできず、権利の濫用になるということもできない。」とし、「…以上によれば、…被告が原告の被告に対する特許法35条3項に基づく相当の対価請求について消滅時効を援用することが信義則違反又は権利濫用に当たるということはできない。」と判断した。なお、下線は筆者が付したものである。
コメント
(1) はじめに
本件は、職務発明規程に実績補償に関する規定がなく、また、発明者である従業員が定年以外の理由で会社を退職した場合に「報奨金を受ける権利は、退職と同時に消滅する。」旨が定められた条項が存在する場合において、退職した従業者の相当の対価請求権の消滅時効の成立について判断をした事案である。
本判決は、消滅時効成立の前提として、請求権の権利行使の可否について判断をしており、職務発明規程に実績補償に関する規定がない場合や退職時に報奨金を受ける権利を消滅させる旨の規定を設けられている場合に、発明者たる従業員が退職した後に、特許法35条3項に基づく相当の対価(相当の利益)請求権を行使できるか否かについて言及した点に特色がある。
(2) 発明者たる従業員による権利行使について
本判決は、4(2)イの下線部で記載されているとおり、職務発明規程に、発明者である従業員が定年以外の理由で会社を退職した場合に「報奨金を受ける権利は、退職と同時に消滅する。」旨が定められた条項が存在する場合であっても、その条項自体は、「特許法35条3項に基づく相当の対価請求権の消長に関する定め」ではないとして「従業員に対して特許法35条3項に基づく相当の対価請求権までも行使することができなくなるとの誤解を生じさせるものではない。」と判断をしている。また、使用者が契約や勤務規則において定めを置くか否かにかかわらず、職務発明の発明者たる従業者は、「特許法35条3項に基づく相当の対価請求権を行使することができる」ことを述べている。
以上のような本判決の判断内容を前提とすると、職務発明規程に、発明者たる従業員が退職した場合には、報奨金を受け取る権利が消滅する旨の規定を設けている場合であっても、職務発明の発明者たる従業者は、自らの退職後に特許法35条3項に基づく相当の対価(相当の利益)請求権を使用者である会社に対して、訴訟提起することによって権利行使をすることが可能であると理解される。(なお、職務発明規程そのものが定められていない場合や職務発明規程において譲渡時、出願時や登録時の報奨金は定められているが実績に対応する報奨金に関する定めがない場合での発明者たる従業者による権利行使についても同様と理解される。)この場合、相当の対価(相当の利益)の内容は、職務発明規程に定めがある場合には、特許法35条5項に基づき、その内容が不合理なものであるか否かが判断され、不合理な内容ではないと判断された場合には、職務発明規程に規定された内容に従うことになるが、その内容が不合理である場合又は職務発明規程に定めのない場合には、特許法35条7項に基づき、裁判所により相当の対価(相当の利益)の内容を判断されることとなる。
したがって、職務発明規程において、発明者が退職した場合の報奨金等の相当の対価(相当の利益)を受け取ることができないといった内容の規定や報奨金等を受ける権利が消滅するといった内容の規定を設けた場合であっても、退職した発明者は特許法35条3項に基づく相当の対価請求権を行使することができることになるため、職務発明の発明者が退職する場合の報奨金等の取扱いに関する職務発明規程の条項の内容には留意する必要がある。
なお、特許法35条6項の規定に基づき設けられた「特許法第三十五条第六項に基づく発明を奨励するための相当の金銭その他の経済上の利益について定める場合に考慮すべき使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況等に関する指針」(特経済産業省告示131号)(いわゆる「職務発明ガイドライン」)においては、「第三 四 退職者に対する手続について」において「基準に定める相当の利益の内容が特定の方式で決定されなければならないという制約がないことに鑑みると、退職者に対して相当の利益を退職後も与え続ける方法だけでなく、相当の利益を一括して与える方法も可能である。」といった記載がなされており、職務発明規程における退職時の取扱いの規定を定めるに際して、参考になるものと考えられる。
Member
PROFILE