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【労働法ブログ】デジタル給与払導入のために必要な社内対応
2023.05.10
賃金は、原則として通貨によって支払わなければなりません(労働基準法24条1項。通貨払の原則。)が、労働者の同意を得た場合には、預貯金口座への振込みや証券総合口座への払込みが可能です(労働基準法施行規則7条の2第1項)。
昨今では、キャッシュレス決済の普及や送金サービスの多様化が進む中で、資金移動業者の口座への賃金支払(以下「デジタル給与払」といいます。)を可能にするため、令和4年11月28日、「労働基準法施行規則の一部を改正する省令」が公布され、令和5年4月1日に施行されました。
本記事では、デジタル給与払の導入が可能になったことを踏まえて、主に使用者側の視点から、今後必要になる社内対応について説明いたします。
新たな選択肢の一つという位置付け
前記のとおり、労働基準法24条において通貨払の原則が規定されていますので、デジタル給与払は、通貨払の原則の例外に位置付けられることになります。
ポイントは、デジタル給与払が制度上可能になったとはいえ、労働者への給与の支払方法の選択肢が一つ増えたにすぎず、実際にデジタル給与払が行われるのは、使用者と労働者の双方が希望する場面に限られるということです。
使用者が労働者に対してデジタル給与払の方法を強制することができないのは言うまでもなく、使用者は、デジタル給与払の方法を希望しない労働者に対しては、従前と同様に、預貯金口座への振込みの方法等によって給与を支払う必要があります。逆に、労働者も、使用者に対し、デジタル給与払の方法を強制することはできません。
実際に運用されるまでのプロセス
令和5年4月1日、デジタル給与払に向けて、資金移動業者が厚生労働大臣の指定を申請するための受付が開始されましたが、実際にデジタル給与払が運用されるまでには、以下のプロセスを経る必要があります。
(1) まず、資金移動業者が厚生労働大臣への指定申請を行います。
(2) 次に、指定申請を行った資金移動業者について、厚生労働省で審査を行い、基準を満たしている場合には、厚生労働大臣がその事業者を指定します。なお、この審査には数か月かかることが見込まれ、指定された資金移動業者に関する情報は、厚生労働省のホームページ上に掲載される予定です。
(3) その後、各事業場で、口座振込の対象となる労働者の範囲、口座振込等の対象となる賃金の範囲及びその金額、取扱指定資金移動業者の範囲、口座振込等の実施開始時期等を内容とする労使協定を締結します。
(4) その上で、デジタル給与払を希望する個々の労働者は、使用者から留意事項等の説明を受け、制度を理解した上で、口座振込等を希望する賃金の範囲及びその金額、資金移動業者口座の口座番号、開始希望時期、代替口座情報等を同意書に記載して、使用者に提出します。
使用者に提出した同意書に記載された開始希望時期以降、当該労働者の賃金を指定資金移動業者の口座で受け取ることができるようになります。
必要な社内対応
(1) デジタル給与払を社内に導入するか検討する
デジタル給与払については、厚生労働大臣による資金移動業者の指定の申請受付が令和5年4月1日に開始されたばかりであるため、同年5月現在、実際にデジタル給与払の運用事例はなく、デジタル給与払を社内に導入するか否かは、労働者の意向や手続上の負担等を総合的に考慮する必要があります。
一般論としては、規模が大きい企業であれば、その分、デジタル給与払による賃金の受取方法を希望する声も多くなると思われます。
もっとも、使用者に対してデジタル給与払の導入が強制されることはない以上、デジタル給与払を導入する積極的な理由がない限り、今後、他社の動向を見て判断する方針でも良いのではないかと考えられます。
(2) 労働者にデジタル給与払の制度に関する周知を行う
労働者の中には、デジタル給与払の制度についてよく知らない方もいるはずですから、まずは、使用者が、デジタル給与払の概要等について、社内での周知を行うことが望ましいといえます。
(3) 必要に応じて、アンケート等を行い、希望者の有無を確認する
デジタル給与払を希望する労働者がほとんどいない状況でデジタル給与払を実施する意義は乏しいため、社内に希望者がどの程度いるのかをアンケート等の方法によって確認してみるのも良いと思います。
デジタル給与払を導入する他社事例が増えてスタンダードとなる時代が来れば、社内の希望者が増えると考えられるため、時期を見て、希望者の有無を確認してみるのも良いかもしれません。
(4) 就業規則又は賃金規程を改訂する
デジタル給与払を導入する場合は、就業規則又は賃金規程を改訂し、デジタル給与払に対応させる必要があります。
(5) 労使協定を締結する
事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合はその労働組合と、ない場合は労働者の過半数を代表する者と、デジタル給与払の対象となる労働者の範囲や取扱指定資金移動業者の範囲等を記載した労使協定を締結する必要があります。
厚生労働省労働基準局長による通達(令和4年11月28日基発1128号第4号)によれば、以下の事項を記載した書面又は電磁的記録による労使協定を締結することが必要とされています。
① 口座振込み等の対象となる労働者の範囲
② 口座振込み等の対象となる賃金の範囲及びその金額
③ 取扱金融機関、取扱証券会社及び取扱指定資金指定業者の範囲
④ 口座振込み等の実施開始時期
(6) 労働者に必要な説明を行った上で、自由意思に基づく同意を得る
デジタル給与払を実施するためには、対象となる労働者に対し、預貯金口座への振込み又は証券総合口座への払込みによる受取方法を選択することができるようにするとともに、当該労働者に対し、指定資金移動業者口座に関する必要な事項を説明した上で、労働者の同意を得なければなりません。
労働者の同意は、自由な意思に基づいてなされたものである必要がありますので、強制することがないよう注意が必要です(自由意思に基づいて合意されたと認める合理的理由が客観的に存在すれば、通貨払の原則の例外を認めて良いとした例として、リーマン・ブラザーズ証券事件(東京地判平成24年4月10日労働判例1055号8頁)参照)。
どの指定資金移動業者口座を利用するかは労働者に指定する権利があるため、使用者が、労働者に対して特定の指定資金移動業者の利用を強制することもできません。
なお、指定資金移動業者口座に関する必要な事項に関する労働者への説明については、使用者から指定資金移動業者に委託することが認められるものの、労働者の同意については、使用者が得る必要があるとされています(前掲令和4年11月28日基発1128号第4号)。
以上