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【裁判例】イエローステッチ審決取消訴訟―位置商標の識別力―(知財高裁令和5年8月10日判決)
2023.09.21
はじめに
英国のシューズブランドである「ドクターマーチン」(Dr.Martens)のブランドの象徴ともいえる黄色のステッチ(イエローステッチ)に関する位置商標の出願に係る審決取消訴訟(令和5年(行ケ)第10003号)において、2023年8月10日、知的財産高等裁判所は、出願人であるAirwair International Limited(以下「Airwair」といいます。)の請求を棄却する判決を下しました(以下「本判決」といいます。)。本判決では、結論においてはAirwairの請求を棄却するものでしたが、事実認定においてはAirwairの主張した事実の多くが認められており、位置商標の識別力の立証に際して今後参考となる判決ともいえます。筆者らは出願時から、Airwairの代理人として本件に関与してきています。そこで、本稿では、本判決の概要とともに、本判決の主文を読んだだけではわからない、本判決の認定事実をご紹介します。
出願商標
まず、Airwairの出願した位置商標の内容を紹介します。Airwairが出願したのは、以下の「商標登録を受けようとする商標」及び「商標の詳細な説明」の記載から特定される位置商標でした(以下「本願商標」といいます。)。なお、Airwairは、出願時点では指定商品を第25類「靴類」としていましたが、最終的には第25類「革靴、ブーツ」に変更する手続補正を行っています。
【商標登録を受けようとする商標】 |
【商標の詳細な説明】 商標登録を受けようとする商標(以下「商標」という。)は、標章を付する位置が特定された位置商標であり、靴の上部とソール(靴底)部分が接した境界部分の領域に靴の外周に沿って配された黄色の破線状の図形からなる。なお、破線は商品の形状の一例を示したものであり、商標を構成する要素ではない。 |
位置商標は位置と標章で特定されますが、本願商標は、靴のアッパー(上部)とソール(靴底)部分が接した境界部分の領域という位置と、黄色の破線状の図形という標章で特定されています。
なお、実際の商品では、本願商標は以下のように使用されています。本願商標は、ブーツや革靴など、多くのドクターマーチンの靴製品で使用されており、アッパーの色も黒に限らず様々なものがあります。
【「1460」8ホールブーツ】
本判決の内容
本願商標は2018年6月12日に出願されました(商願2018-77608)。その後の特許庁の拒絶査定及び拒絶審決を経て、知的財産高等裁判所で本判決が下されたのは2023年8月10日ですから、出願から判決に至るまで5年以上が経過したことになります。
本判決では、本願商標は、識別力を欠くとして商標法3条1項3号に定める商標に該当すると認定したうえで、使用により識別力を獲得したともいえないとして同法3条2項の適用を否定し、特許庁の拒絶審決を維持し、Airwairの請求を棄却しました。もっとも、本判決は、本願商標の識別力を全て否定したわけではなく、一定の範囲で本願商標の識別力を認めています。この点について、判決の概要と共に、もう少し詳しくみていきます。
(1) 商標法3条1項3号該当性
商品の形状等の特徴を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標については、商標登録を受けることはできません(商標法3条1項3号)。本件ではまず、本願商標が同号に該当する商標か否かが判断されました。
はじめに、本判決では、位置商標における商標法3条1項3号該当性の判断の枠組みについて、「商品が通常有する形状その他の特徴又は取引者、需要者をして商品が通常有すると予測できる範囲の形状等のみからなる外観の一部から構成される位置商標については、需要者及び取引者が、当該形状等について、商品の通常の形状等にすぎないと認識するか又は商品の機能や美観を際立たせるために選択されたものと認識し、出所表示識別のために選択されたものとは認識しない場合が多いことや、商品等の機能又は美観に資することを目的とする形状等は、同種の商品等に関与する者が当該形状等を使用することを必要とし、その使用を欲するものであるから、先に商標出願したことのみを理由として当該形状等を特定の者に独占させることは、公益上の観点から適切でないことに照らし、商標法3条1項3号に該当すると解するのが相当である」としました。
そのうえで、裁判所は、本願商標は、指定商品である革靴及びブーツの形状として、「普通に用いられる形状その他の特徴のみからなる標章」であり、「少なくとも黄又は黄系色の靴製品を、一般的な製造方法であるグッドイヤーウェルト製法により製造する者であれば、何人も使用を欲するものであって、かつ、一般的に使用される標章である」として、商標法3条1項3号に該当すると判断しました。つまり、裁判所は、少なくとも黄色い靴製品を製造する者はアッパーとソールの間にステッチを施す際には黄色のステッチを使用することを欲するし、そのような使用は一般的であるから、本願商標を独占させることは公益上の観点から適切ではなく、商標法3条1項3号に定める商標に該当すると判断したものといえます。ドクターマーチンの靴製品の多くでは、イエローステッチは黒地に施されていますが、本願商標は黄色のステッチ部分のみで構成されています。黄又は黄系色の靴製品に本願商標を使用する場合には本願商標が独立した形状(標章)として需要者に認識されず、本願商標の商標的使用に該当しないと解する余地があります。しかし、裁判所は、黄色又は黄系色の靴製品に本願商標が用いられる場合も商標権の範囲に含まれることを前提に、黄色又は黄系色の靴製品において本願商標が使用される状況も考慮して商標法3条1項3号の該当性を判断したものといえます。
(2) 商標法3条2項該当性
商標法3条1項3号に該当する商標であっても、使用により識別力を獲得した商標については、商標登録が認められます(商標法3条2項)。そこで、本願商標が商標法3条1項3号に該当するとの判断を前提に、商標法3条2項該当性、すなわち、本願商標の使用による識別力の獲得の有無が争点となりました。
まず、裁判所は、商標法3条2項の識別力の獲得のためには、「出願に係る商標と実質的に同一であり、指定商品に属する商品等に使用されるものであることを要する」とし、商品の販売等にあたっては、「出所たる企業等の名称や記号・文字等からなる標章などが付されるのが通常であり、また、当該商標に係る特徴以外にも外観上の特徴を有していることがあること」から、商品が当該商標に係る特徴を具備していたという事情に加えて、「商品の外観、商品に付されていた名称・標章その他の特徴の大きさや位置、周知・著名性の程度等の点を考慮し、当該商標が需要者の目につきやすく、強い印象を与えるものであったか等を勘案した上で、当該商標が独立して自他商品識別機能を獲得するに至っているか否かを判断すべき」との判断の枠組みを示しました。
そのうえで、裁判所は、本願商標の使用状況等を踏まえ、「少なくとも黒い革靴に用いる場合には、本願商標は相当程度の認知度を得ているということができるとしても、それ以外の色の革靴及びブーツに用いられる場合の本願商標の認知度が高いと認められるに足りる証拠はない」として、本願商標としての商標法3条2項該当性を否定しました。このように本判決では、一定の範囲で本願商標の識別力を認定したものの商標法3条2項該当性を否定したわけですが、これは、本願商標が、下地の色彩は特定していなかったことによります。裁判所は、「登録商標の範囲は願書の記載により画されるもの」であり、本願商標では下地の色彩は特定されていない以上は、「黄色やベージュ色のアウトソール及びウェルトとともに用いられる場合もその商標権の範囲に含まれるというほかない」とし、黒色を下地とする本願商標に識別力が認められるとしても、これにより本願商標自体の認知度を評価することは相当ではないと判断しました。なお、かかる判断からすると、裁判所は、色彩で構成される形態でも、商品においてその形態が使用されている下地の色により更に特定される場合には、商品識別力を認める余地があることを示唆しているようにも思われます。
(3) 本判決の事実認定(色彩の視認性・模倣品対策・アンケート調査)
上記のように、本判決は、黒色を下地として本願商標が使用される場合の識別力を認めていますが、この過程において、今後、商標の使用による識別力の獲得の立証に際して参考になる事実認定がされていますので、いくつか紹介します。
- 色彩の視認性
裁判所は、「アウトソール及びウェルトが黒又は茶系統の色の場合には、ウェルトに施された黄色のステッチの視認性が非常に高い」と認定し、特に靴全体が黒色の場合には、本願商標は「需要者の目を惹きつけやすいものと認められる」と認定しています。黄色の図は黒色の地において特に高い誘目性・視認性・明視性を有するとする色彩心理学に関する文献・論文が証拠として提出されていましたが、裁判所の認定はこれを踏まえたものとなっています。 - 模倣品対策
本願商標と同じ形態的特徴を有する商品が市場において多数流通しているとの主張に対して、裁判所は、Airwairによる積極的な模倣品対策の実施や、模倣品を販売する者の多くが個人又は小規模事業者であって模倣品の取扱数がごくわずかであったことを踏まえ、「黒色の革靴又はブーツであって本願商標と同じ特徴を有する商品については、原告の模倣品対策により、日本国内において流通する量が極めて少ない状況にある」と認定しています。インターネット上で模倣品を販売している事例を複数挙げてその流通量などを検証せずに類似品の流通を認定し、識別力に対してネガティブな評価をする審決例や裁判例もありますが、本判決では、インターネット上で流通する模倣品の流通実態を、証拠から丁寧に認定している点が注目されます。
- アンケート調査
Airwairが実施したアンケート調査では、調査対象者によって、自由回答(純粋想起)方式では30.7%~40.0%、選択回答(助成想起)方式も併せると38.1%~47.6%との正答率を得られていました。審決ではアンケート調査は否定的に評価されていましたが、本判決では、裁判所は、ファッション製品の場合には15%を超える認知度があれば十分識別力があるとするマーケティングを専門とする大学教授の意見書も踏まえた上で、「相当程度の者が、黒い革靴に本願商標が用いられた場合に、本願商標から原告ブランド名を想起できる程度に、黒い革靴に用いられた場合の本願商標は、認知度が高いものと認めることができる」とアンケート調査の結果を肯定的に評価しています。
不正競争防止法違反事件との関係
Airwairは、ドクターマーチンの靴製品の模倣品を販売する事業者に対して、2020年12月11日に、不正競争防止法違反等を理由に模倣品の販売差止めを求める訴訟(令和2年(ワ)第31524号販売差止等請求事件)を東京地方裁判所に提起し、2023年3月24日にAirwairの請求を認容する判決が下されています(現在、知的財産高等裁判所に控訴審が係属中です。)。この侵害訴訟の判決では、ドクターマーチンを代表する商品「1460」8ホールブーツ(上記写真のブーツ)の形態のうち、「靴の外周に沿って、アッパーとウェルトを縫合している糸がウェルトの表面に一つ一つの縫い目が比較的長い形状で露出し、かつ、ウェルトステッチに明るい黄色の糸が使用されており、黒色のウェルトとのコントラストによって黄色のウェルトステッチが明瞭に視認できる」という形態は、周知な商品等表示(不正競争防止法2条1項1号)として出所表示機能を有すると認定されています。本判決において裁判所が識別力を認めた範囲と、同侵害訴訟において商品等表示性が認められた商品の形態の範囲を比較すると、両者が概ね共通していることがわかります。