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【英国雇用法】フレキシブル勤務(在宅勤務等)の申請権とは?制度概要と実務対応のポイント
2025.07.04
はじめに
英国では、コロナ禍以降、多くの企業が従業員に在宅勤務(リモートワークないしテレワーク)を認めてきました。しかし、近年は世界的にオフィス回帰の動きが広がり、英国でも在宅勤務制度を廃止又は縮小し、一定日数以上の出社を求める企業が増えている状況です。
一方で、英国の雇用法上、従業員には在宅勤務を含むフレキシブル勤務を申請する法的権利(Flexible Working Request,フレキシブル勤務申請権)が認められており、この権利を強化する改正法が2024年4月6日から施行されています。また、労働党政権の下、フレキシブル勤務申請権については今後さらなる強化が見込まれており、企業に対する申請件数の増加が予想されます。しかし、日本企業にとってはこの制度が馴染みの薄いものであるため、在英日系企業の中には十分な準備や対応ができていないケースも見受けられます。企業としては、制度の内容を正確に理解し、申請を受けた際に法令に従って適切に対応すること、また現場で適切な対応が行われるよう申請手続や判断プロセスをあらかじめ整備しておくことが重要となります。そこで、本稿では、フレキシブル勤務の申請権の概要と、企業に求められる実務対応のポイントを解説します。
フレキシブル勤務申請権とは
英国では、1996年雇用権利法(Employment Rights Act 1996)に基づき、従業員は雇用主に対してフレキシブル勤務を申請する権利を有しています。なお、あくまで申請することができる権利にとどまり、申請内容とおりに勤務する権利が認められているわけではないことに注意が必要です。
「フレキシブル勤務」とは、従来の勤務形態とは異なる労働時間、勤務日数、勤務場所などを意味し、以下のような働き方が含まれます:
- 時短勤務
- フレックスタイム制
- 勤務日の変更(例:週3勤務)
- 在宅勤務(リモートワーク)
- ジョブシェアリング など
2024年4月6日以降は、すべての従業員が入社初日からこの権利を行使できるようになりました(従前は26週間の勤続が要件)。なお、フレキシブル勤務申請権を行使できるのは従業員(employee)であり、派遣労働者、業務委託などの場合には当該権利はないことになります。
申請手続
従業員は、希望するフレキシブル勤務の内容、開始希望日、過去の申請履歴等を記載した書面を雇用主に提出します。改正前は、勤務変更が業務に与える影響やその対応策も記載する必要がありましたが、改正により記載不要となりました。
また、従業員は12か月間に最大2回まで申請することが可能です(改正前は1回まで)。但し、2回目の申請は雇用主の判断がなされるなど1回目の申請が完了してから行う必要があります。
雇用主の対応義務
雇用主には、以下の対応義務があります:
- 申請受領から原則2か月以内に書面で回答すること(従前は3か月)。なお、従業員との合意があれば最大3か月まで延長が可能です。
- 申請の全部又は一部を拒否する場合は、事前に従業員との協議を行う義務あり(従前は協議義務はなし)。なお、実務上は協議の結果を書面で記録すべきです。
- 許可する場合は事前協議不要ですが、後述Acasの行動規範では協議を推奨しています。
雇用主は申請を承認する義務はありませんが、合理的に対応する義務があります。すべてを認めることが難しい場合でも、代替案の提示(例:週5の在宅勤務希望であれば、週3のみ認め、週2は出社とするなど)やトライアル期間の設定など、柔軟な対応が推奨されます。
なお、拒否の理由は、以下の8つの法定理由のいずれかに該当している必要があります:
- 追加コストが発生する
- 業務の再配分が困難である
- 代替人材の確保が困難である
- 業務の質に悪影響が生じる
- 業務パフォーマンスに悪影響が生じる
- 顧客対応に支障が出る
- 十分な業務量が確保できない
- 組織再編が予定されている
さらに、企業は拒否が不法な差別に該当しないよう注意する必要があります。例えば、特定の国籍の従業員にのみリモート勤務を認める/認めないことは直接差別に、全従業員に出社を義務づけることが育児を担う傾向の強い女性にとって間接差別とされる可能性があります(いずれも英国平等法(Equality Act 2010)違反となる可能性があります。)。
また、フレキシブル勤務の申請理由が育児、介護、病気や障害への対応などである場合には、それぞれの事情に応じた慎重な検討が必要です。特に障害に関しては、英国平等法に基づき合理的配慮(reasonable adjustment)義務が適用されるため留意が必要です。
場合によっては、フレキシブル勤務を拒否した結果、自発的に退職した従業員について、みなし解雇(constructive dismissal)と評価され、不当解雇と判断されるリスクもあります。
一方、申請を許可する場合には、雇用契約の変更として、条件変更を確認する書面を作成することになります。
Acas行動規範の改訂
フレキシブル勤務に関するAcas(Advisory, Conciliation and Arbitration Serviceという公的な労働紛争の仲裁機関)の行動規範(Code of Practice on requests for flexible working)も法改正にあわせて改訂されました。行動規範に法的拘束力はありませんが、雇用審判所では実務的に重要な指針とされるため、事実上は遵守が必要となります。
行動規範の主な推奨事項は以下のとおりです:
- 従業員との代替案の協議
- トライアル期間の導入
- 協議に第三者(同僚・労組代表)を同席させることの容認
- 不服申立制度の整備
- 拒否理由の文書提供
また、Acasは行動規範とはフレキシブル勤務の各点に関する解説を公表しており、実務上重要となります。
雇用審判所への申し立て
従業員は、以下のような場合は雇用審判所(Employment Tribunal)へ申し立てを行うことができます:
- 雇用主が合理的な方法で対応しなかった
- 法定期間内に決定がなされなかった
- 拒否理由が法定理由に該当しない
- 誤った事実に基づく決定がされた
雇用審判所は、雇用主に対し、決定の見直しや最大8週間分の給与の支払いを命じることができます。但し、特定のフレキシブル勤務の実施自体を強制することはできません。
なお、近年では企業側の在宅勤務制度の廃止・縮小の流れを受けて、フレキシブル勤務申請の拒否をめぐる審判例も複数出てきているところであり、今後も増加することが予想されます。
今後の見通し:労働党政権による更なる改正
2024年7月に発足した労働党政権は、労働者の権利拡充を掲げており、同年10月にはEmployment Rights Bill(雇用権利法案)を国会に提出しています。
現在、同法案は国会で審議中ですが、同法案には、以下のようなフレキシブル勤務制度の更なる強化が含まれています:
- 申請拒否につき合理性を要求
- 協議手続の明確化と制度化
実務上の対応ポイント
日々の業務においては、従業員が非公式に相談する形でフレキシブル勤務の希望を伝えるケースも少なくありません(特に病気など一時的な事情に基づく一時的な変更)。企業としては、こうした非公式な相談と正式な申請とを明確に区別し、正式な申請については法令及びACASの行動規範に沿った対応手順を明文化したポリシーとして整備しておくことが重要です(特に申請がなされた場合の回答期限、事前協議など)。事案によっては従業員と非公式な相談を長々と継続するよりも、従業員に対してフレキシブル勤務の正式な申請をするように促し、ポリシーに従って手続を粛々と進めた方が企業によって法的リスクが少なるなる場合も考えられます。他方でポリシーが未整備の場合、申請を受け付けた担当者が場当たり的な対応を行い、結果として法令違反や差別とみなされる対応を取ってしまうリスクがあります。
また、HR担当者のみならず、現場で申請を受け付ける可能性がある管理職などの担当者への研修を通じて制度の内容を社内に周知させるとともに、申請の受理から判断・通知に至るまでのプロセスを明確に定めておく必要があります。申請を拒否する場合には、法定理由を満たしているか、差別に該当しないかを慎重に検討したうえで、代替案の提示やトライアル期間の設定など、従業員と十分に協議を行うことが望まれます。
従業員は、一度申請が拒否された場合でも再度申請することが可能であるため、納得感のないまま拒否した場合、後日の再申請や法的な紛争(雇用審判所への申立)につながるおそれがあります。
一方で、企業としては申請を承認することが他の従業員に与える影響も考慮する必要があるところです。そのため、他の従業員との不公平感や内部不満を抑え、判断の客観性や合理性を担保する観点から、どのような場合にフレキシブル勤務を許可するかといった基準をあらかじめある程度明確に定めておくことも重要となります。
さいごに
企業としては、非公式な相談と正式な申請を明確に区別したうえで、法令等に即した対応手順を整備・運用することが、法的リスクの最小化と従業員との信頼関係の構築の双方にとって重要です。実務上は、特に現場への制度周知と、柔軟かつ一貫性ある判断の枠組みづくりが鍵となります。