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才口弁護士に聞いてみよう(10)
2021.06.01
TMIの顧問弁護士であり、最高裁判事の重責も務められた才口弁護士に聞く、現代の「仕事」と「生き方」のヒント。
弁護士には、それぞれ法曹を志したきっかけがあると思います。陳腐ですが、私は、人に必要とされる仕事をしたいと思って弁護士になることを目指しました。先生が弁護士を目指されたきっかけを教えていただけますでしょうか。
法曹への道のり
とうとう法曹を目指した動機を問われることになりました。
確たるきっかけも目標設定もなかったので当惑しています。
長野市で教員の両親の長男として生まれ、終戦後の激動の中で幼少期を過ごし、日本の将来も予測できない時代でしたから暗中模索、紆余曲折の法曹への道程でした。
母親の勧めもあり、器用な手先を生かして建築家を夢見ていたのですが、中学校の担任教師が昼休みに友達と相撲をとっていたところ「長野高校に進学して法曹になれ」のアドバイスをしてくれました。もちろん“法曹”の何たるかも知らない幼稚な中学生で、縁戚に裁判官や弁護士がいて、おぼろげに生業は聞いていたものの、法曹の道を目指して普通高校に進学したのではありません。
長野高校1年生の化学の授業で化学方程式が解けず難渋してところ、教師から「文科系を目指せ」との指導を受けました。田舎教師の息子ですから学費軽減を考慮し国立大学を目指したのですが、果しえず中央大学に進学しました。押っ取り刀で司法試験を目指しましたが、これがまた侮れない代物でした。またしても親孝行が頭をよぎり、司法試験と就職の両立を目指し、4年生の春に当時“金偏景気”で人気の鉄鋼会社に就職が内定しました。
しかし、就職先が内定したものの法曹への夢は捨てきれず、同じ年の秋に民訴の木川統一郎教授が主催する受験団体「白鴻会」の入室試験に応募しました。考査委員が後の倒産法の大御所、高木新二郎弁護士で、入室を許された研究室の先輩に豊嶋秀直元福岡高検検事長、同輩に甲斐中辰夫元最高裁判事がおられたのです。これら先輩諸兄のご指導の賜物で司法試験に合格しました。まさに人生の岐路というべき往時の追懐です。
登録した東京弁護士会での職務も会務も苦難の連続でした。所属した派閥・春秋会の長老から「弁護士行政を学べ」との示唆で副会長も務め、併せて母校への恩返しで10年間司法演習、破産法、法曹論の講師・教授を務めました。司法試験考査委員(破産法)も終え、法制審議会において民事再生法等を立案して一段落したところ、青天の霹靂で最高裁判事を拝命し、無事退官しました。そして、当事務所代表 田中克郎先生の思し召しで顧問として後進の指導等をしているという目まぐるしい法曹人生行路です。
人生は出会い
顧みれば、今日までの法曹人生のターニングポイントに将来を示唆してくださった人物が随所におられました。中学の担任教師、高校の化学教師、お世話になった教授(仲人)、弁護士会の長老、倒産法の手ほどきをして頂いた厳しい弁護士、はたまた最高裁判事就任祝いに拝領した『施無畏』(畏怖の心を取り除いて安心させ救済する)を揮毫された歴代首相の指南役であった四元義隆氏、そして老残の身を顧問として招聘してくださった田中克郎弁護士などの方々です。
気恥ずかしい法曹自分史を披露しましたが、どうぞ初心貫徹・艱難辛苦(かんなんしんく)の道すがら、必ずや意識を転換して道を開いてくださる誰かが存在することを心待ちにして飛躍発展してください。
完
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