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2024年のマレーシア改正仲裁法の概要と実務に及ぼす影響~Third Party Fundingに関する包括的規定の新設とアジア国際仲裁センター(AIAC)のガバナンス強化に向けた組織改革~
2024.07.29
はじめに
7月24日、マレーシア議会の上院であるDewan Negaraにおいて「2024年仲裁法改正案」(以下「本改正仲裁法」又は「本改正」といいます)が審議、可決されました[1]。本改正の目玉は、いわゆるThird Party Funding(以下「TPF」といいます)の利用に関する包括的規定の新設とアジア国際仲裁センター(以下「AIAC」といいます)のガバナンス強化に向けた規定の整備です。マレーシアを含む東南アジア域内で事業活動を行う日本企業にとって、クアラルンプールを始めとする同国の主要都市で仲裁手続を行うケースは決して多くはないのが実情です[2]。これはAIACの年次報告書にもデータとして現れています[3]。しかしながら、日本企業が直接又は間接に同国内に設立した会社が現地のパートナー企業との間で紛争になった場合、契約書に盛り込まれた仲裁条項を根拠として、AIACで仲裁を行うケースは想定されます[4]。なお、AIACは、アジア・アフリカ法律諮問委員会(AALCO)がマレーシア政府との合意に基づき同国内に設置した国際仲裁機関であり、国際仲裁案件の誘致に向けて非常に積極的に活動しているアジアにおける主要な仲裁機関の一つです。
このブログ記事では、マレーシアの2024年改正仲裁法の概要を説明するとともに、マレーシアを仲裁地とする仲裁手続[5]に対する影響について解説いたします。
Third Party Fundingに関する包括的規定の新設
TPFとは、本来的に紛争当事者が支払う代理人費用や紛争解決費用等のコストを、第三者であるファンドが肩代わりして負担し、紛争当事者が勝訴して金銭等を回収できた際、ファンドが出資先である紛争当事者から一定のリターンを得る仕組みないしサービスを指します。TPFは欧米を中心に広く用いられておりますが、近年は日本においても、その認知度と評価が高まりつつあります。TPFはファンドからの貸付けではなく出資形態をとるため、仮に出資先の紛争当事者が敗訴したとしても、当該当事者はファンドが肩代わりしたコストを返還する必要はありません[6]。そのため、比較的複雑かつ相対的に高額なコストを要する国際仲裁ではTPFが広く利用されております。
これに対し、仲裁手続では、仲裁人の独立性・公平性が強く求められるところ、紛争当事者がTPFを利用する際にも、出資者であるファンドとの関係において、仲裁人等との利益相反の有無についての確認が必要になります。そのため、諸外国の法令や仲裁規則においては、TPFの利用の有無、(その利用がある場合には)ファンドの名称等に関するディスクロージャーの規定を設けている場合があります。TPFの情報を開示することにより、TPFの透明性を確保し、仲裁人及び仲裁廷が衡平な判断を行えるようにすることが目的です。AIACにおいても、その仲裁規則第12条第1項で既にTPFの利用の有無及びファンドの名称について開示義務を定めていたところですが、本改正によって、TPFに関する規律が法律のレベルに格上げになったといえるでしょう。
本改正仲裁法では、まずTPFが公序良俗に反しないことが明示的に確認されました(第46条C)。これは、従来コモンロー諸国においては訴訟幇助が禁止されておりましたが(訴訟幇助禁止の原則)、既に国際仲裁の分野ではコモンロー諸国においてもTPFが幅広く活用されている状況であることを踏まえて、TPFが同原則に違反しないことを明確にしたことになります。
46C. Rule against maintenance and champerty shall cease to apply (1) The rule of common law against maintenance and champerty shall cease to apply in relation to the third party funding and a third party funding agreement shall not be treated as contrary to public policy on the grounds of maintenance and champerty. |
さらに、TPFのディスクロージャーに関する規定も導入されました。TPFを利用する場合、その出資を受けた当事者は、TPFの利用にかかる契約の存在及びファンドの名称を、相手方当事者及び仲裁廷(又は仲裁関連事件が提起された裁判所)に開示する必要があります(第46条G)[7]。そして、当事者がTPFの情報を開示しなかった場合の措置として、仲裁廷(又は仲裁関連事件の担当裁判体)は、TPFのディスクロージャーの有無が関連する争点について判断する際に、当事者がディスクロージャー規定を遵守し又は遵守しなかったことを考慮することができる旨が規定されました(第46条I)。例えば、TPFを利用する当事者がディスクロージャーの義務に違反してTPFの利用を開示しなかった場合、仲裁廷は仲裁費用の分担を判断する際に、TPFの利用にかかるコストをその算定の基礎から外すなどの対応が考えられます。
46G. Disclosure on third party funding agreement 46I. Non-compliance with sections 46f, 46g and 46h |
このように本改正では、TPFのディスクロージャー制度により仲裁人の独立性・公平性を担保しつつ、紛争当事者がTPFの利便性を享受できるようにするために、諸外国の法制度とも調和のとれた形でインフラを整備したということができます。TPFを利用し、マレーシア国内で仲裁手続を実施する際には、上記規律を遵守して、仲裁廷に対し、必要な事項を開示する点に留意が求められます。
AIACのガバナンス強化に向けた組織改革
本改正ではAIACのガバナンス強化に向けた諸規定が盛り込まれました。その一つは仲裁裁判所(Court of Arbitration)の設置です。仲裁裁判所とは、仲裁手続において仲裁人の交代[8]やその忌避等の問題が生じた場合に、仲裁人及び仲裁廷とは独立して審議を行う会議体のことをいいます。既に国際商業会議所(ICC)やシンガポール国際仲裁センター(SIAC)等では仲裁裁判所が仲裁手続上の諸問題を会議体での議論を通じて処理、解決する仕組みが運用されています。
これまでAIACにおいては、所長(Director)がこれらの問題を掌っておりましたが、本改正によって、仲裁手続上の諸問題について所長個人の裁量的判断に委ねるのではなく、しっかりした会議体の議論を通じて効率的かつ適切に判断する枠組みが導入されたことになります[9]。仲裁裁判所の設置によってAIACのガバナンス基盤が強化されたことは、AIACに対する信頼を高める重要な内容であると評価できます。
[1] https://www.tmi.gr.jp/uploads/2024/07/30/DR%2038%20BI.pdf
[2] 東南アジア進出企業の多くは、万が一紛争が発生した場合に備えて、地域統括会社を設置するなどしているシンガポールを仲裁地とするケースが多くみられます。
[3] AIACの統計によれば、2023年にAIACに申し立てられた仲裁件数は84件で、そのうち14の外国当事者(企業又は個人)が含まれるとされていますが、それらの国籍はシンガポール、中国、香港となっています。https://admin.aiac.world/uploads/ckupload/ckupload_20231229123959_26.pdf
[4] 仲裁手続を通じて紛争解決を行うためには、当事者間に仲裁合意が存在していることが前提条件となります。AIACで仲裁を行うためには、仲裁合意の中でAIAC仲裁規則に従って仲裁を実施する旨を定める必要があります。もっとも、AIAC仲裁規則に従うと規定しない場合でも、物理的にクアラルンプールでの仲裁手続の実施が望ましい場合は、AIACが提供する仲裁審問施設を利用することができます。
[5] マレーシアの仲裁法は、必ずしも仲裁条項においてAIAC仲裁規則を適用されるルールとして指定した場合でなくても、同国内を仲裁地とする仲裁手続全般に適用されます。例えば、日本の仲裁機関である日本商事仲裁協会(JCAA)の商事仲裁規則を指定した場合でも、仲裁地をクアラルンプールにする旨を合意すればマレーシアの仲裁法が適用されることになります。
[6] TPFのサービスを用いてファンドから出資を受けるためには詳細な出資条件に同意する必要があり、そのいずれからの条件に違反するなどした場合(例えば、主要な争点の判断に重要な影響を与え得る証拠資料を事前にファンドに開示しなかったような場合)、ファンドから出資金の返還を求められるケースもあり得ます。
[7] TPFのディスクロージャーに関する同様の法律上の規定は、香港の仲裁条例(Arbitration Ordinance(Cap.609)98Uにもみられます。
[8] AIAC仲裁規則第5条では、仲裁人の死亡、辞任、当事者の合意等の場合に仲裁人が交代することが定められています。
[9] より正確には、従前AIACの所長が所掌していた事務のうち仲裁人の選任等の主要なものが、仲裁裁判所のプレジデントに移管されたことになります。