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【欧州】【商標】仮想商品・役務に関する近時の判断
2025.01.31
はじめに
メタバースのような仮想世界におけるビジネス市場は急拡大しており、総務省の情報通信白書(令和5年版)でも、世界のメタバース市場(インフラ、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの合計)は、2022年の8兆6,144億円から、2030年には123兆9,738億円まで成長すると予想されています。そのような中、仮想世界を対象とする商品・役務(以下、「仮想商品等」といいます。)に関する商標の出願も増えており、各国は仮想商品等についての審査方針の整理を急いでいます。
以下では、欧州連合知的財産庁(EUIPO)における仮想商品等に関するガイドラインを概説したうえで、近時EUIPOで争われた仮想商品等に関する拒絶査定不服審判と、異議申立てを取り上げます。1件は仮想商品等を指定商品・役務として地名が含まれる商標を出願した場合の登録可能性についての判断(以下、「Glashütte事件」といいます。)、もう1件は現実世界の商品と仮想商品等の間の商品・役務の類似性についての判断(以下、「Vinicio事件」といいます。)です。
EUIPOにおける仮想商品等に関するガイドライン
本ガイドラインでは、仮想商品等、及びNFTに関する言葉の定義や区分の説明がされています。そこでは、「virtual goods」という表記は具体性に欠けるため「virtual goods, namely, virtual clothing」のように明確に記載すべきことや、仮想商品は本質的にデジタル・コンテンツであるため、商品の種類に関係なく第9類に属することなどが説明されています。具体例として、現実世界における「衣料品」は第25類に属するのに対して、「仮想衣料品」は一般的なデジタル形式の画像などと同様の第9類に属するものと説明されています。また、現実世界の役務が仮想環境を通じて提供される場合でも、提供手段が役務の目的や結果そのものを変えるわけではないため分類には影響を与えないとして、仮想環境で提供される金融サービスは第36類に、仮想環境で提供される教育サービスは第41類というように、現実世界の役務に対応した区分に分類されています。一方、現実世界における輸送サービスは第39類、飲食サービスは第43類にそれぞれ属しますが、これらが仮想環境において提供される場合、物理的な移動を伴ったり現実の飲食を伴うものではないため、これらは娯楽や興行に関する役務に準じ、いずれも第41類に属するものとされています。なお、上記のようなEUIPOにおける取扱いは、令和6年に日本の特許庁が公開したガイドラインとも概ね一致しています。
Glashütte事件の概要
出願人は、2022年に「Glashütte ORIGINAL」の文字からなる以下の商標を出願しましたが、指定商品・役務には、第9類のダウンロード可能な時計等の仮想商品、第35類のオンラインで使用される時計等の小売サービス、第41類の仮想環境内で使用するための時計の提供等のエンターテインメント・サービス等が含まれていました。
EUIPOの審査部門は、上記商標出願について、EU商標規則(規則(EC) 2017/1001)第7条第1項(b)(注1)に基づき、出願人に識別力欠如を理由とする拒絶査定を通知しました。
Glashütteは、ドイツのザクセン州にある東エルツ山地付近に位置する都市の名であり、特に同地に拠点を置く時計メーカーで世界的に知られています。そのため、需要者は「Glashütte ORIGINAL」という表示から、単にGlashütteで生産された商品を示すものとして認識する可能性があり、このような認識は対応する仮想商品の場合も同様である、というのが拒絶査定の理由です。
その後、出願人はこの判断を不服とし、拒絶査定不服審判を請求しました。その中で、出願人は特に、①Glashütteの名声は、複雑な製造工程を経た実物、即ち物理的な時計にのみ関連するものであり、仮想世界で提供される商品は実物の時計の外観や製造工程とは無関係であるから、それらと比較することはできない、②仮に仮想時計が実物の時計の基本的なコンセプトを踏襲しているとしても、そのコンセプトとGlashütteという都市との間に明確な関連性があるとはいえず、現実世界の商品と仮想世界の商品との間には本質的な違いがある、といった点を主張しました。
これに対し、EUIPOの審判部はこの請求を棄却し、当該商標は識別力を欠くとの審決を下しました(R0773/2023-5)。同部は、出願に係る仮想商品の対象となる需要者は、特に仮想世界やオンラインゲームに熱中するユーザーであるから、仮想時計の詳細や機能に特別な注意を払うであろうと判断しました。また、審判部は、「Glashütte」という語は高品質な時計の製造と関連づけて認識されており、「ORIGINAL」という語は本物やオリジナルに忠実であることと結びつけて理解されているため、この標章全体からは、単に「Glashütte製の本物」との認識が生じるに過ぎず、出願商標は、時計やそれに関連する役務に関して識別力を欠くものと判断されました。さらに審判部は、商標が仮想商品等を対象にした場合でもこの判断が変わることはないとしました。
また、「Glashütte ORIGINAL」という標章における「Glashütte」という地理的表示の使用は、現実世界の商品から仮想商品への品質イメージの転移によって需要者にポジティブな印象を与える可能性があり、需要者は仮想商品等の場合でも、「Glashütte ORIGINAL」という標章を特定の品質や真正性と自然に結び付けるであろうとも指摘しています。審判部は、このイメージの転移により、需要者は出願に係る仮想商品等を、Glashütteが確立した時計の評判の延長として認識し、それにより品質や信頼性への期待が強化され、仮想商品等に対する消費者の信頼を高めることにもなるとして、仮想商品等を指定した場合であっても識別力を欠くと判断しました。
Vinicio事件の概要
イタリアのファッションブランド「Vinicio SRL」は、以下の商標①をEU商標(EUTM)として出願しました。当該商標には、第3類の「香水」や「化粧品」といった指定商品のほか、第35類の種々の現実世界の商品に関連する小売役務、仮想現実で使用される仮想商品(石鹸、香水、エッセンシャルオイル、化粧品等)に関連する小売役務などが指定役務として含まれていました。
この出願に対して、以下の商標②の商標権者であるArtessence FCZが、EU商標規則(規則(EC) 2017/1001)第8条第1項(b)(注2)に基づき、商標①の第3類の全ての商品、及び第35類の複数の役務(仮想空間内の役務を含む)について異議を申し立てました。なお、商標②は、指定商品として第3類の「香水」、「エッセンシャルオイル」、「スキンケアクリーム」、「化粧品」、「ヘアスプレー」等のほか、第4類の「キャンドル」等を指定していました。
異議申立人は、商標①が商標②と混同を生じさせると主張しました。この主張に対し、EUIPOは、第3類の全ての商品、及び第35類の現実世界の商品の小売に関連する多くの役務については、両者間に同一性又は類似性が認められるとして異議申立てを認容する決定を行いました(Nо B 3 199 946)。
一方で、仮想商品に関連する小売役務については、EUIPOは仮想商品とこれに対応する現実世界の商品が同一経路で共に流通され、販売に供することが慣例となっているかどうかなどについては周知の事実ではない、と認定しました。また、異議の判断は公知の事実、及び当事者が主張した事実のみに基づいてなし得るところ、異議申立人は化粧品と対応する仮想商品(又はそれに関連する小売役務)の類否について具体的な証拠を提出しておらず、EUIPOは、問題となっている商品及び役務が補完的であるかどうか、同じ経路を通じて流通しているかどうか、同じ関連公衆をどの程度ターゲットにし得るか等について判断するための実質的な証拠を持ち合わせていない、として異議申立てを棄却しました。
コメント
Glashütte事件、Vinicio事件は、いずれも仮想商品等に関する事例であり、まだ世界的にも理論が確立していない領域であるため、非常に興味深い判断といえます。
Glashütte事件では、現実世界の商品から仮想商品へイメージの転移が生じると判断された点がポイントといえます。このようなイメージの転移により、仮想商品に対しても消費者の信頼が高められるため、仮想商品を指定した場合であっても現実世界の商品同様に識別力を欠く、というのがEUIPOの考え方です。そのため、仮に現実世界の商品に付された場合には識別力を欠くと判断されるような語であっても、仮想商品へはイメージの転移が生じ得ないような場合であれば、識別力を有すると判断されることが考えられます。ただし、どのような場合であれば現実世界の商品から仮想商品へイメージの転移が生じないのか、今後に残された検討課題といえます。
一方、Vinicio事件では現実世界の商品とそれに対応する仮想商品に関する小売役務との類似性が否定されています。ただし、「現実世界の商品とそれに対応する仮想商品に関する小売役務とは非類似と判断される」と一般化することは早計です。小売役務に関するEUIPOの実務では、特定の商品自体とその特定の商品についての小売役務は、一定程度の類似性があるとされています。これに対し、特定の商品自体とその特定の商品に類似する商品についての小売役務は、類似性が低いと考えられています。また、異議申立てでは、(1)当事者が提示した事実や論拠、又は(2)公知の事実、即ち誰でも知っている可能性がある事実や、一般的にアクセス可能な情報源から得られる事実のみが判断の根拠になり得るとされています。したがって、「現実世界の商品とその現実世界の商品に類似する商品についての小売役務」という一般的に類似性が高いとはいえない商品・役務間で類似性が認められるためには、上記(1)ないし(2)の要件を充足する必要があるところ、仮想商品という新たな領域に関して(2)が認められることはないと考えられるため、異議申立人としては(1)の観点から十分に主張、立証する必要があったといえます。そのためには、商品・役務の性質や目的、使用方法、競合関係や補完性などについて説明し、証拠を提出することが必要となります。しかし、異議申立人はそのような主張、立証ができなかったため、異議申立ては棄却されたのです。
これらのケースは、対象が仮想商品という目新しいものであるため目を引くものの、参考となるケースは過去にも存在しています。例えば、自動車と玩具の両方を指定商品とする登録商標を有している自動車メーカーのAdam Opel AGが、ラジコンカーに原告商標を付して販売していたAutec AGを商標権侵害でドイツの裁判所に提訴した事件があります。このケースでは、原告は玩具についても登録商標を保有していることから、一見すると被告の行為は商標権侵害を構成するとも思われます。しかし、ドイツの裁判所は欧州司法裁判所(ECJ)からも見解を取得した上で、商標権侵害を否定しました。これは、ラジコンカーの製造元が自動車メーカーでないことは需要者にとって明らかであるため、被告がラジコンカーに原告商標を使用しても、需要者がラジコンカーについて原告との出所混同をすることはない、というのが主な理由です。このように、一見すると近しい商品ないし役務間での類似性という論点は従前より争われてきたもので、仮想商品等の論点も古くて新しい問題ということができるでしょう。
Glashütte事件では、仮想商品においても現実世界の商品同様の判断がされたのに対し、Vinicio事件では現実世界の商品とその商品に対応する仮想商品の小売役務の間で類似性が否定されており、対照的な判断のようにも見えます。しかし、これらはあくまで各事案の事情を前提とした上での個別的な判断と考えられる点に注意が必要です。仮想現実(VR)や拡張現実(AR)に関する技術の進歩に伴い、企業が仮想世界で自社商品やサービスに関するマーケティングを行ったり、顧客へアピールする機会も増えています。そのため、今回取り上げたような事例は益々増えるものと考えられ、引き続き注視していく必要があります。
(注1)EU商標規則(規則(EC) 2017/1001)は、以下のように定めている。
第7条第1項
以下のものは登録されないものとする。
(b)何ら識別性を有しない商標。
(注2)EU商標規則(規則(EC) 2017/1001)は、以下のように定めている。
第8条第1項
先行商標の所有者による異議申立てがあった場合、出願に係る商標が次の各号のいずれかに該当するときは、商標は登録されないものとする。
(b)出願に係る商標が先行商標と同一又は類似であり、かつ、それらの商標で対象とされる商品または役務が同一又は類似であるために、先行商標が保護されている地域において公衆に混同のおそれが生じる場合。この混同のおそれには、先行商標との連想のおそれも含まれる。
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