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スタートアップ投資と会社法 -自己株式取得規制が投資実務に与える影響-
2025.06.03
はじめに
弁護士の彈塚寛之/藤森裕介です。
このシリーズでは、スタートアップ投資に関連する様々なトピックについて、日本の会社法との関係を分析することを試みています。内容については、執筆者の個人的見解であり、当事務所の見解ではありませんのでご留意ください。
本ブログでは、会社法上の自己株式取得に関する規制が、日本のスタートアップ投資の実務にどのような影響を与えているか、分析してみたいと思います。
自己株式取得に関する規制
会社が、株主との合意に基づき、当該株主が保有している発行済株式を自ら買い取ることを、「自己株式取得」と言います。そして、会社が自己株式取得を行う場合には、会社法で規定されているいくつかの制限をクリアする必要があります。
その一つが、いわゆる財源規制です。自己株式取得には会社財産の流出が伴うため、「分配可能額」をベースとした財源規制が定められており、自己株式取得の対価として会社が株主に支払う金銭等の帳簿価額の総額は、その効力発生日における分配可能額を超えてはならないとされています(会社法461条1項3号等)。
この「分配可能額」について、厳密な計算方法は本ブログでは割愛しますが、平たく言えば、貸借対照表の純資産の部における「剰余金の額」(「その他資本剰余金」と「その他利益剰余金」の合計額)が基準となります(会社法461条2項)。
そして、特に初期のスタートアップは、「剰余金の額」がマイナスであることも多いため、この場合には分配可能額がなく、自己株式取得ができないことになります。(また、資本金や資本準備金を「その他資本剰余金」に振り替えることで分配可能額を創出可能な場合であっても、債権者保護手続等の所定の手続が必要になります。)
この財源規制に違反して、分配可能額を超えた自己株式取得が行われた場合には、会社側の役員が責任を負うのみならず、対価の交付を受けた株主も対価の返還義務を負うため(会社法462条1項)、注意が必要です。
このように、スタートアップにおいては、株主と合意したとしても、財源規制の観点から、現実的には自己株式取得を実行することが難しい可能性があります。
この問題意識により、日本のスタートアップ投資の実務にいくつかの影響が生じています。本ブログでは、プットオプション、創業者間契約、先買権に焦点を当ててみたいと思います。
プットオプションとの関係
日本では、スタートアップが優先株式の発行による資金調達を行う場合、会社(スタートアップ)と出資者(投資家)との間で投資契約や株主間契約が締結され、その中で、会社側が契約に違反等した場合の出資者のプロテクションとして、プットオプションが約定されることが一般的です。
このプットオプションは、会社側が契約に違反等した場合に、出資者が権利行使することで、出資者が保有する株式を会社側に所定の金額で買い取らせることができ、これにより出資者が出資金を回収できるという権利です。すなわち、一定の場合に会社が自己株式取得を行うことを、契約上で予め合意していることになります。
しかしながら、前述のとおり、特に初期のスタートアップにおいては、財源規制の観点から、現実的には自己株式取得を実行することができない可能性があります。そうすると、仮にスタートアップ側が契約に違反してもプットオプションが実効的に行使できないため、投資家側としては、契約違反に対する牽制が効かずモラルハザードが生じることも懸念されます。
そこで、財源規制によりスタートアップ自身が自己株式取得を実行できない場合に備えて、経営株主(創業者等)も投資契約や株主間契約の当事者に加えた上で、有事の場合には経営株主に対してプットオプションを行使できるようにするという実務が形成されてきました。
近時、経営株主個人に対してプットオプションの義務を負わせることには様々な見解があり、日本の実務も変化しつつありますが、この問題の背景には、上記の会社法上の規制が存在します。
創業者間契約との関係
共同創業者がいる場合、創業者間で「創業者間契約」が締結されることがあります。
創業者間契約の最も重要な規定は、一部の創業者が途中でスタートアップから離脱した場合に、その創業者が保有する株式を、残留する創業者が買い取れるようにするというものです。これにより、一部の創業者が離脱した場合でも、株式の保有を通じた経営陣のインセンティブ構造を保つことができたり、議決権を通じたスタートアップのガバナンスに支障が生じることを防ぐことが期待できます。
もっとも、一部の創業者が離脱した場合には、当該離脱者の株式を回収すれば済むのであって、残留する創業者の持分を増加させる必然性はないようにも思えます。また、創業者が1名の場合には、創業者間契約は締結できませんから、その創業者が離脱した際の株式の回収は難しいことになります。
このようなことを考えると、本来的には、スタートアップと創業者との間で契約を締結し、創業者が離脱した場合にはスタートアップ自身が株式を買い取れる仕組みにすることが合理的なようにも思われます。(事実、例えば米国においては、創業時に、スタートアップと創業者との間で、創業者が保有する株式の買戻しに関する合意をしておくことが一般的です。)
しかしながら、前述のとおり、特に初期のスタートアップにおいては、財源規制の観点から、現実的には自己株式取得を実行することができない可能性があります。
そのため、スタートアップと創業者との間で株式の買戻しに関する合意をする実務に発展しにくい側面があるように思われます。
先買権との関係
スタートアップが優先株式の発行による資金調達を行う場合、会社(スタートアップ)と出資者(投資家)との間で株主間契約が締結され、その中で「先買権」が合意されることがあります。これは、一部の株主が保有株式を第三者に売却する際に、他の株主に同一条件で優先的に買い取る権利を与えることで、株式の分散を防ぎつつ、セカンダリー譲渡が生じた際に既存投資家が持分を増やしやすくする仕組みです。
※なお、先買権の対象となるセカンダリー譲渡について、経営株主(創業者等)による譲渡に限定する例や投資家による譲渡も含める例があり、また、先買権の権利行使者にも様々なバリエーションがありますが、本ブログでは詳細は割愛します。
この点、例えば米国のスタートアップ投資における先買権(Right of First Refusal)では、スタートアップ自身が第一順位の先買権を有し、スタートアップ自身が行使しなかった場合に投資家が行使できるという設計も一般的です。
しかしながら、日本の実務においては、スタートアップ自身が先買権を有する設計は一般的ではありません。この点も、会社法上の自己株式取得のハードルの高さに由来している可能性がありそうです。
自己株式取得を行う場合の留意点
仮に財源規制の問題をクリアできる場合でも、自己株式取得を実行するためには、会社法上の所定の手続に則る必要があります。
特に、会社法上、特定の株主との関係で自己株式取得を行う場合には、原則として、他の株主に対しても自己株式取得の機会を与える手続(いわゆる売主追加請求権の手続)が必要になります(会社法160条2項、3項等)。この手続は、定款で予め排除されている場合には不要になりますが、仮に必要となると、他の株主の意向によっては想定通りの自己株式取得が行えない可能性もあるため、注意が必要です。
以上