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英国スチュワードシップ・コード改定 ― ESG削除・簡素化・議決権行使助言会社規制の実務への影響 ―
2025.07.14
はじめに
英国財務報告評議会(Financial Reporting Council, FRC)は、2025年6月3日、改定版となる2026年版スチュワードシップ・コードを公表しました。2026年版コードは2026年1月1日より適用されます。
今回の改定は、2020年版スチュワードシップ・コードからの大幅な見直しであり、資産運用会社、企業年金・保険会社などのアセットオーナー、議決権行使助言会社はもとより、投資先企業にとっても実務上の影響が大きいと考えられます。特に、2020年版コードに署名している日系機関投資家や、署名機関の投資先である日本企業にも、間接的な影響が及ぶ可能性があります。
また、ほぼ同時期の2025年6月26日には、日本のスチュワードシップ・コードの改定版が金融庁から公表されています。日本の新コードは、英国の2026年版コードを直接反映したものではないものの、そもそも日本版コードは2010年に策定された英国版コードを参考に2014年に導入された経緯があり、今回の日本版改定においても、簡素化など英国における改定の議論が一定程度踏まえられています。そのため、長期的には英国コードの改定内容が今後の日本版コードにも影響を与える可能性があると考えられます。
以上のように、日本企業にとっても無視できない影響が見込まれることから、本稿では、2026年版英国スチュワードシップ・コードの主な改定内容と、それが実務に与える影響について概説いたします。
英国スチュワードシップ・コードの概要
英国スチュワードシップ・コードは、FRCによって策定された自主的な枠組みであり、機関投資家と企業との建設的な対話(エンゲージメント)の質を高めることを主な目的としています。現在、約300の署名機関が存在し、運用資産総額は約50兆ポンドに達しています。英国スチュワードシップ・コードの対象となるのは、年金基金、保険会社、政府系投資ファンド、財団、大学などのアセットオーナー、英国の顧客を有する、又は英国資産に投資する資産運用会社(アセットマネージャー)、及びそれらを支援する議決権行使助言会社、データ・リサーチ提供会社などのサービスプロバイダーです。
署名は任意であり、「apply and explain(適用し、説明する)」の原則に基づいて運用されます。FRCに署名機関として承認されるためには過去の活動内容を報告し、それらが英国スチュワードシップ・コードの基準を満たす必要があります。署名機関は、各原則の適用状況及び適用しない場合の理由を開示することが求められます。
2026年版の英国スチュワードシップ・コードの主な改定内容
英国スチュワードシップ・コードは2010年に初めて策定され、2020年には大幅な改訂が行われました。今回の2026年版コードは、それに続く見直しであり、署名機関の報告負担を大幅に軽減しつつ、顧客や受益者のための長期的かつ持続可能な価値の創造を促進し、スチュワードシップ活動の実効性と報告の質の向上を目的としています。
2026年版コードにおける主な改定内容は以下のとおりです:
- スチュワードシップの定義の変更
- 原則の数の大幅削減
- 報告構造・頻度の柔軟化
- サービスプロバイダー向け原則の明確化
以下では、各改定項目について順にご説明いたします。
1.スチュワードシップの定義の変更
2026年版コードでは、スチュワードシップは「顧客及び受益者のために長期的な持続可能な価値(long-term sustainable value)を創造するための、資本の責任ある配分・管理・監督」と再定義されました。これは2020年版からの大きな変更であり、「経済・環境・社会への持続可能な利益をもたらす」(leading to sustainable benefits for the economy, the environment and society)との文言が削除されました。この見直しは、ESG(環境・社会・ガバナンス)がスチュワードシップの独立した目的と誤解されるのを避け、焦点があくまで受益者への価値創造にあることを明確にする狙いがあります。加えて、「ESG」という用語自体も削除され、関連要素は各原則に統合されました。
もっとも、ESGの考慮が否定されたわけではなく、FRCは、ガバナンス、環境、社会問題、気候変動などを投資判断やスチュワードシップ活動において引き続き考慮することが期待されるとしています。
2.原則の数の大幅削減
2026年版コードでは、アセットオーナー・アセットマネージャー向けの原則(principles)は12から6に、サービスプロバイダー向けの原則は6から4に削減されました。新たな原則は以下のとおりです。
アセットオーナー・アセットマネージャー向けの原則(2026年版)
- スチュワードシップと投資の統合(Integrating stewardship and investment)
- 健全に機能する市場の促進(Promoting well-functioning markets)
- エンゲージメントの実施(Engagement)
- 権利及び責任の行使(Exercising rights and responsibilities)
- 運用受託者の選定及び監督(Selection and oversight of managers)
- サービスプロバイダーのモニタリング(Monitoring service providers)
サービスプロバイダー向けの原則(2026年版)
- 顧客とのコミュニケーション(Communicating with clients)
- 議決権行使助言サービスの提供(Proxy advisor services)
- 投資コンサルティングサービスの提供(Investment consultant services)
- エンゲージメント支援サービスの提供(Engagement provider services)
原則の大幅な削減は、署名機関の報告負担の軽減と実効的なスチュワードシップの促進を目的としており、FRCは報告量が20~30%削減されると見込んでいます。2020年版コードでは、詳細な開示が過剰な負担を招き、形式的な「チェックボックス式報告」を助長していたとの批判がありました。2026年版では、各署名機関の実情に応じた柔軟な報告が促されます。
具体的には、ESG専用原則(旧原則7・旧原則5)は削除され、関連要素は各原則に統合されました。また、エンゲージメント、協働、エスカレーションに関する旧原則9~11は、原則3に一本化され、手段としての位置付けが明確化されました。さらに、後述のようにサービスプロバイダーの役割に応じた新たな原則が設けられ、透明性向上が図られています。
3.報告構造・頻度の柔軟化
2026年版コードでは、報告がポリシー及びコンテクスト開示(Policy and Context Disclosure, P&C Disclosure)と活動及び成果レポート(Activities and Outcomes Report, A&O Report)の二部構成に明確に分けられました。
まず、ポリシー及びコンテクスト開示では、組織の概要、投資信念、顧客又は受益者の種類、運用資産(AUM)の内訳、スチュワードシップに関するリソース、方針とプロセス、利害相反の管理方法、顧客・受益者との対話の在り方などを開示します。これらは比較的安定的な情報であるため、原則として4年に一度の提出とされますが、重大な変更があった場合には更新も可能です。一方、活動及び成果レポートでは、過去12か月間に各原則をどのように適用したか、どのような活動を行い、どのような成果を得たかを報告します。これについては毎年の提出が義務付けられており、成果だけでなく、直面した課題や得られた学びの共有も推奨されています。
両報告は別々に提出することも、統合して一つの包括的な文書として提出することも可能であり、各組織の実情に応じた柔軟な対応が認められています。
4.サービスプロバイダー向け原則の明確化
2026年版コードでは、サービスプロバイダー向け原則が再編され、すべてのサービスプロバイダーに共通する原則と、役割別(議決権行使助言会社、投資コンサルタント、エンゲージメントサービスプロバイダー)に特化した原則が導入されました。共通原則である原則1「顧客とのコミュニケーション」では、顧客の目的を理解し、それに沿ったスチュワードシップ支援サービスを提供するための対話の重要性が強調されています。
また、議決権行使助言会社向けの原則2では、調査、提言、議決権行使の質と正確性の確保が求められ、投票方針の策定過程や、顧客・関係者との対話内容を開示することが期待されます。たとえば、株主総会を開催する企業との対話があった場合には、その状況を説明する必要があります。また、これらの助言会社を利用する資産運用会社やアセットオーナーも、サービスの質の監視や問題発生時の対応について説明することが奨励されています。FRCには直接の規制権限はありませんが、これらの原則を通じて、透明性向上を図ることが意図されています。
今後の予定
まず、2025年秋の報告サイクルに該当する署名機関は、2020年版コードに基づき、2025年10月31日までに報告書を提出する必要があります。一方、2026年は移行期間とされ、既存の署名機関は、所定の期間内に「ポリシー及びコンテクスト開示」及び「活動及び成果レポート」を提出すれば、署名機関リストから削除されることはありません。申請受付は、春(運用会社・サービスプロバイダー:4月30日、アセットオーナー:5月31日)と秋(全機関:10月31日)の2回に分けて実施されます。また、FRCは報告実務を支援するため、ガイダンス案を公表しており、2025年8月31日まで意見を募集したうえで、秋に最終版を確定する予定です。
おわりに
署名機関は、2026年から適用される新たな報告の枠組みを正確に理解し、それに沿ってスチュワードシップ活動及び報告体制を適切に調整することが求められます。また、これらの投資先である日本企業にとっても、資産運用会社、アセットオーナー、議決権行使助言会社等との建設的かつ質の高い対話を行ううえで、2026年版コードの内容を把握しておくことが有益であり、事前の準備が推奨されます。
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