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生成AIによる特許クレーム英訳に関する雑感
2025.09.08
生成AI翻訳
近年、生成AIの進歩は目覚ましく、その到達点は未だ予測がつきません。特許分野でも、生成AIは、たとえば、英訳作業に活用され始めています。従来は専門家が一字一句を検討しながら翻訳を行っておりましたが、生成AIを利用することで、短時間で一定水準の英訳ができるようになり、特許翻訳の実務においても無視できない存在となりつつあります。このように、効率化の面では生成AIは実務に寄与し始めています。
一方で、果たして生成AIによる翻訳をそのまま盲目的に信じてよいのか、疑問は残ると考えます。
英語表現の難しさに関する例示
ご存知のとおり、日本語にはなく英語特有の品詞として、冠詞があります。この冠詞は名詞の前に置かれるものであり、その名詞が具体的かどうか、または読み手にとって新しい情報か既知の情報かを示す役割を有します。
初めて伝える情報について、以下の事例をご紹介します。
子供が道で死んだ猫を見て、その事実を母親に話す時に、
A cat’s dead.
という代わりに、
The cat’s dead
と、言ってしまった場合、母親からWhat cat ? と質問を受け、子供はA cat’s dead と言わなければならないという学んでいくようです。[i]
情報を送る側にとっては特定されていても、受け取る側にとっては不特定なので「a」を使用すると、著者は理解しております。
このように、日本語にはない英語表現は、AI翻訳が正しいか否かチェックできるかという問題は残されているように思われます。
特許明細書の英訳
一般には、日本語による特許明細書自体が複雑かつ難解であり、分かりづらいことが多くあります。一文が長く、冗長性が高い傾向があるようです。このような日本語を直訳した英文は読みづらいだけでなく、本来日本語が意図した技術的内容を有していないことが見受けられます。とりわけ、請求の範囲(以下、単に「クレーム」という。)は特許の権利範囲を画定するものであり、その範囲は明確かつ簡潔であること要します。
出願人だけでなく第三者に対して権利範囲を理解してもらうため、読みやすく分かりやすい英語でクレームを記載することが肝要であると考えます。最近では生成AIを駆使して英訳を提供するビジネスが始めっており、小職の経験からクレーム英訳に関する雑感を述べたいと思います。
実際の経験
化学・医薬を専門とする著者が、約半年ほどで経験した、生成AIによりPCT出願の日本語明細書から英語へ翻訳した際のクレーム翻訳で気になった点を以下の列挙しておきます(合計で10数件の翻訳を確認しました)。
イ:たとえば、請求項2等の従属項において、請求項1記載の半導体装置 を英訳した際、A semiconductor device according to claim 1, ・・・ と、冒頭が「A」となっている点
ロ:単数、複数の使い分けができている否か
ハ:「a」、「the」の使い分けができているか否か
なお、あまりに詳細に記載すると、クライアントの情報等を開示することになるため、やや抽象的な表現による問題点の提起である点、ご容赦いただきたい。
イについて、特許実務において、たとえば、請求項2に記載の「前記」半導体装置と、そもそも日本語において「前記」半導体装置とは表現していないことに起因した英訳の問題点だと著者は考えております。
ロについて、日本語表現において、アルカン類とあれば複数で記載していることは翻訳としては問題ないと思います。ただ、技術的意味において、複数であることを明示していない場合、たとえば、「複数のアルカン」と記載していない限り、単数で記載する方が無難であると思われます。理由は、通常の請求の範囲の記載は、いわゆるopen-ended claims と言われるcomprising を用いた形式で表現されており、クレーム以外の構成も権利範囲に含むように解釈されるため、単数で記載すれば、複数も権利範囲に含まれます。
ハについて、初出の構成要素の場合の冠詞は「a」で問題ないと思いますが、次に登場する同じ構成要素は前出の要素と同じなのか、あるいは別の要素なのかにより、「a」あるいは「the」を使い分ける必要があります。
特にロとハのような翻訳時の問題は、のちの権利行使の際、クレーム解釈の大きな影響を及ぼすため、細心の注意を払い翻訳する必要があります。
雑感
上述したように、日本語に起案する部分があるものの、生成AIで翻訳したクレームの英訳をそのまま使うことはやや危険であり、経験豊富な実務家によるチェックを必ず受ける必要があると考えます。
また、実務家としては生成AIの翻訳結果から、日頃から英訳しやすい日本語表現を心掛ける必要もあると考えます。
一方で、クレーム以外の明細書の一般的記載において、化学等の明細書でよくある例示列挙の記載は、一度英訳として確定させれば使い回しが可能であると思われます。
ところで、冒頭でも説明したとおり、生成AIの進歩は目覚ましく、日々のニュースに登場しない日はありません。日本に住む外国人向け用に発信されているオンラインメディアの2025年8月1日には、「Is ChatGPT making us stupid?」というタイトルの記事が、また同じ日付にNew York Timesには、「Thinking is becoming a luxury good」というタイトルの記事が発信されております。これは、生成AIに依存せずに我々は慎重に検討すべきと警鐘を鳴らしているものではないかと思います。
今後
以上は、生成AIによる特許クレーム英訳の経験を整理しましたが、生成AI活用による利点、たとえば、過去の翻訳と同じ文章の抽出あるいは相違点がある場合はどのような相違点があるかなどの単純作業には向いており、この点において生成AIを大いに活用すべきと思います。
一方で、将来紛争のネタになりそうなクレーム翻訳などは、現段階では熟練した実務家のレビューを要すると考えます。
以上
[i] 原田豊太郎、技術英語の冠詞活用入門、日刊工業新聞社、2004、pp.22-30
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