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INXによる世界初のセキュリティ・トークンの米国SEC登録IPO(第2回)
2021.05.19
INXのトークンIPOの特徴
IPO(Initial Public Offering)とは、会社が自社の株式を株式市場で初めて不特定多数の投資家に向けて販売することを言い、一般に未上場企業が証券取引所に株式を上場させる「株式上場」とワンセットで行われている。テクノロジー志向のスタートアップ企業のIPOでは、例えば米国のアマゾンや日本のメルカリのように、成長性と売上高を重視して収益は赤字のまま取引所に上場することも珍しくはない。また、スポティファイやスラックの「ダイレクト・リスティング」のように、アンダーライターによる引受審査なしでニューヨーク証券取引所に上場するユニコーンも増えている。INXによるセキュリティ・トークン(以下「本トークン」という)のIPOは、世界初の米国SEC登録のデジタル証券のIPOというだけでなく、以下の点で極めてユニークな取引である。
① 2021年5月3日のIPOのクロージング時点では、本トークンの取引市場は存在しない。
・その代わり、2021年1月12日に、INXは、米国でブローカー・ディーラーとATS(代替取引所システム)のライセンスを持つオープンファイナンス・セキュリティーズLLC(以下「OFN証券」という)の買収を公表し、米国当局の承認を待って、OFN証券が本トークンの最初の取引市場を提供する予定であることが公表された。
② IPO直前の2020年12月期会計年度まで、INXの収益は赤字であるだけでなく、売上高が存在せず、累損32.7百万米ドル、純資産は21.7百万米ドルの欠損だった(図1参照)。2019年度までの監査報告書には営業キャッシュ・フローがなく8.3百万米ドルの累損等から継続事業性に関する懸念が表明されていたが、本IPOの実施により2020年度のE&Yイスラエルの2021年3月30日付監査報告書ではようやく継続事業性の懸念の表明が解消された。
③ IPO直前にINXの企業再編と株式のトロント証券取引所TSX市場への上場を公表した。2021年2月22日、INXは、カナダのトロント証券取引所(TSXベンチャー取引所、以下「本取引所」という)に上場するカナダのCPC(Capital Pool Company、買収目的SPC)であるValdy Investments Ltd(以下「Valdy」という)と企業結合に係るLOIを締結し、3月31日に証券交換契約を締結した。この企業結合(カナダ会社法が定める「プラン・オブ・アレンジメント」を用いた株式交換、以下「本株式交換」という)により、INXは本取引所上場企業であるValdyの100%子会社となりINX株主は統合親会社(新社名:「INXデジタル・カンパニー・インク」)の株主となる。
④ IPO直前、かつ本株式交換の最終契約直前の2021年3月22日、INXは増資により39.6百万カナダ・ドル(32.7百万米ドル)を調達した。増資方法は、「INXの普通株式1株と(INX株式を1株1.88カナダ・ドルで購入する)ワラント0.5株を受領する権利(subscription receipts)」を私募により1レシート当り1.25カナダ・ドルで投資家に販売した。投資家が受領するINX株式・ワラントは、本株式交換のクロージングを条件に、Valdy(親会社)の株式・ワラントと交換される。
本トークンIPOとINXの企業再編との関係
(1) 取引所に上場しないIPO実現のロジック
本件では取引所に上場しないのにIPOと称している点について、IPOの直訳は「第一回公募」であり必ずしも上場を要件とする用語ではないが、通常は公募に参加した一般株主が投下資本を回収する流通市場となる公の取引市場を前提とする。世界に先駆けて米国SECに登録した本トークンの取引市場は、クロージング時点ではOFN証券買収による市場創設リリースだけで、本トークンに関するブローカー・ディーラー資格やATS(代替取引市場)認可は当局承認待ちの状態であった。2021年7月28日、INXは旧OFN証券をベースとするINXセキュリティーズ・プラットフォームへの本トークンの上場を公表し、そのトレーディング手数料を2.5%から0.5%に下げることを公表した。(INXは6月2日には日本のGMOの米国子会社GMOトラストとの提携を公表しGMOの円ステーブル・コイン(GYEN)をINXの暗号資産プラットフォームで取引することを公表した。)
(2) IPOと同時期の組織再編実施のロジック
証券取引所への上場を行う場合、一般に、取引所のルールやガイドライン等により、発行会社が上場直前に投資家の投資判断に重大な影響を与えるような組織再編を行うことは認められていない。しかしながら、INXの場合、OFN証券の買収は本トークンの取引市場を創設する手段であるとして投資家向けの説明を正当化でき、買収対価もキャッシュ・アウトはわずかで、53万5千の本トークンを購入できるワラントと将来4年後までのINX取引所の利益配分(初年度33%から20%、10%と逓減する)を主な対価としている。Valdyとの再編も株式対価の100%子会社化による企業統合と株式上場のセット・プランであり、キャッシュ・アウトは限定される。そもそも、本トークンが上場されないことから上場取引所のルール等によりValdyとの株式交換取引が制約されることはない。
(3) 債務超過スタートアップ企業によるトークンIPOとCPC利用上場・増資のロジック
このように、INXは、本トークン公募時の財務諸表において売上高が全くない赤字の債務超過企業であり、しかも一般投資家向けの公募完了後に本トークンの流通市場を整備するという綱渡りを演じながら、本トークンについて世界で初めて「米国SEC証券登録」を果たしたトークンのIPOという信頼性の高いブランド・バリューを備えさせた。伝統的なIPOであれば証券取引所の厳格な上場審査や証券会社の引受審査の吟味に耐えうるか疑問がある財産状態にも関わらず、INXは、未上場でトークンIPOを行いながら、自らの企業再編と株式上場及び私募増資まで実現させた。
すなわち、INXは、ブロック・チェーン技術により次世代資本市場インフラを構築する企業価値ポテンシャルを米国SEC登録のトークンIPOを通じて全世界に情報発信することにより、Valdy CPC(カナダの買収・上場目的SPC)の有望な買収ターゲットと認められた。そして、売上高が全くない赤字の債務超過企業でありながら、Valdyから有望なテクノロジーを持つスタートアップ企業として企業価値評価を得て、株式対価の取引により本取引所への株式上場を果たした。
さらに、Valdyとの統合による新規上場企業の姿が確定する前に、INXは新株とワラントのパッケージの私募増資により32.7百万米ドルを調達した。これに本トークンIPOによる調達85百万米ドルとIPO前の本トークンの私募を加えて、INXは総額125 百万米ドルを超す資金調達を実現させた。
これらの結果、INXは、2017年創業時のビジョン「キャピタル・マーケッツ2.0(次世代資本市場)」で示した近未来の三つのゴールである、①米国SEC登録のトークンIPO、②トークン・プラットフォームの開発と実装、③ビジネス・プランを実現するための117百万米ドルの資金調達、の全てを2021年に達成して見せたことになる。
INXの真価を問うトークン・プラットフォーム
INXが行ったことは、自社トークンの発行市場を開発し、トークン流通市場の整備が未完成のまま、米国SEC登録を行い、トークンIPOにより自社の資金調達を行っただけであり、対外的に商品の販売やサービスを提供する業務は何ら実施しておらず、営業キャッシュ・フローはマイナスだった。
INXは、本来であれば継続事業性に予断を許さない新興企業であるにも関わらず、本トークンIPOにより、資金調達だけでなく、米国SEC登録によりINXの企業価値のプレゼンテーションを全世界向けに発信し、CPCプログラムにより本取引所に株式上場し、私募増資を実現する道筋を開き、創業者の初期投資の投下資本回収の出口を確保したものである。
さらに、トークンのセカンダリー・マーケットを実現し、トークン投資家間の「P to P」の流通市場を整備するフェーズの完成度と流動性の向上いかんに、INXの真価が問われることになる。
INXの企業価値の評価は、トークンによる資金調達のプラットフォームを資本市場ユニバースへの参加機会が少なかった発行体に提供できるか、例えば、長期的な視点でヘルスケアや気候変動等の社会課題の解決を目指す発行体等に効率的なファイナンス手法を提供できるか、にかかっている。かような社会的インパクトを持つ新興企業がプラットフォームの利用を拡大し、トークン市場が十分な流動性を獲得すれば、INXの収益と企業価値も向上するという好循環が期待される。
【図1】
1.INXの連結財務諸表
【要約貸借対照表】(1,000米ドル)
2020年 12月31日 |
2019年 12月31日 |
|
総資産 | 8,085 | 387 |
ワーキング・キャピタル | (21,778) | (1,546) |
総債務 | 29,831 | 1,933 |
自己資本 | (21,746) | (1,546) |
【要約損益計算書】(1,000米ドル/1株当り情報と株式数を除く)
2020年12月31日に終了した1 年間 | 2019年12月31日に終了した1 年間 | |
営業経費: | ||
研究開発費 | 1,581 | 468 |
販売営業費 | 2,153 | 108 |
一般管理費 | 7,847 | 2,324 |
営業損失 | 11,581 | 2,900 |
INXトークン債務の公正価値調整 | 12,518 | 762 |
INXトークン・ワラント債務の公正価値調整 |
209 | 92 |
金融費用 | 23 | 70 |
金融収入 | - | (135) |
純損失及び包括損失 | 24,331 | 3,689 |
(稀釈化後)1株当り損失 | 2.00 | 0.32 |
(稀釈化後)加重平均株式数 | 12,152,006 | 11,395,273 |
2.INXのキャピタライゼーション及び負債
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2020年12月31日 |
現金及び現金等価物 | 7,581 |
総負債 | 29,831 |
エクイティ: | |
普通株式(額面英ポンド0.001) |
18 |
シェア・プレミアム | 10,866 |
株式関連の受領金債権 | (9) |
転換権付ローンの転換権 | 46 |
累積損失 | (32,667) |
自己資本(欠損) | (21,746) |
総負債及び自己資本 | 8,085 |
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