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エフオーアイ事件最高裁判決とデューディリジェンスの抗弁(第2回) -有価証券届出書の「財務計算部分」の虚偽記載に係る元引受証券会社の責任
2021.10.04
金商法が定める情報開示制度と企業会計制度
金商法は証券公募時の発行開示として有価証券届出書の提出義務と目論見書交付義務を、継続開示として有価証券報告書や四半期報告書等の情報開示制度を定めている。
情報開示制度は資本市場インフラの柱の一つであり、開示書類は主に企業情報、財務情報、証券情報から構成され、監査済み財務諸表が開示情報全体の基盤を支える位置づけとなる。企業情報の中でも重要な「事業等の概要」、「財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析)」、「事業等のリスク」や「対処すべき課題」の記載は、企業活動の現状を表現する財務情報を基本としてその分析や課題の説明等が主要テーマとなる。
財務情報の一貫性・比較可能性・信頼性は、資本市場インフラのもう一つの柱である企業会計制度に支えられており、有価証券届出書、有価証券報告書、四半期報告書等に含まれる財務諸表は、公認会計士又は監査法人(以下合わせて「公認会計士」という)による監査証明を受けなければならない(金商法193条の2)。上場企業等が監査証明を受けるには、一般に公正妥当であると認められる企業会計の基準に従った財務諸表(法193条、財務諸表規則等)について、法令が定める基準と手続に従って監査証明を受けなければならない(法193条の2第5項)。公認会計士は、発行会社の内部統制が機能していることを前提として適切なエビデンスを収集し、法令・規則に従って財務諸表の監査証明を行っている。
金商法21条2項3号の元引受業者の免責事由の立法趣旨
有価証券届出書に虚偽記載等が含まれていた場合、元引受証券会社は、金商法193条の2に規定する監査証明に係る財務計算部分の虚偽記載等については相当注意義務が免除されている。その立法趣旨について、役員等の発行市場関係者の開示書類に係る責任規定が導入された1971年の証券取引法改正時の立法担当者は、「財務計算書類に係る部分は公認会計士がその証明について法律上責任を持っており、財務計算書類の虚偽記載についてまで過失がなかったかどうかを元引受業者に求めることは行き過ぎであり、共同(不法)行為的な故意に基づく責任は免れないが、過失までも責任があるとすることは監査証明の建前から適当でない」と説明した(志場証券局長、参議院大蔵委員会、昭和46年2月)。
1933年米国証券取引法第11条(b)項(3)号(C):アンダーライターの免責事由
金商法21条が定める届出書の虚偽記載に関する元引受証券会社と公認会計士の民事責任の特則と免責事由は、金商法の前身である証券取引法の母法である米国1933年Securities Act(以下「米国証券法」という)にも同様の規定がある。但し、金商法のような「公認会計士の無過失免責/元引受業者の善意免責」という責任配分ではなく、米国証券法では「財務報告の専門家たる作成者による合理的調査に基づく真正さの確信の積極的証明/作成者以外の発行関係者による財務報告の虚偽記載を疑わせる合理的な理由の不存在の消極的証明」を免責事由としている。財務諸表を作成した公認会計士にはその信頼を裏付ける合理的な調査に基づく積極的証明が、財務諸表のユーザーである元引受証券会社には財務諸表の虚偽記載を疑わせる事由の不存在の調査確認(ネガティブ・アシュアランス)が、期待されている。
米国証券法第11条(SEC登録書類の不実記載に係る民事責任)
(a) 証券募集に係るSEC登録書類の効力発生時に不実記載がある場合、当該募集において証券を取得した投資家は、取得時に当該不実記載の事実を知らない限り、以下に列記する発行関係者に対する民事賠償請求訴訟を提起できる。(中略)
(b) 但し、発行会社以外の関係者は、下記事項を証明することにより免責される。(中略)
(3) (中略)(B)専門分野に係る財務報告や鑑定評価に関する不実記載について、作成者たる監査法人等の専門家は、(i)合理的な調査の結果、当該文書の内容が真実であり、重要事実に関する省略や誤解を招く表現はないと信ずることに合理的理由があり、実際に信じたこと、又は(ii)登録書類での引用方法が不適切であること。(財務情報の内容に関する積極的証明)
(C) 専門分野に係る財務報告や鑑定評価に関する不実記載について、その作成者以外の発行関係者(元引受業者を含む)は、(i)当該文書の内容が虚偽であるか、重要事実に関する省略か誤解を招く表現があると信じさせる合理的な理由がなく、実際に不実記載があると信じなかったこと、又は(ii)登録書類での引用方法が不適切であると信じる理由がなかったこと。
(財務情報の信頼性を疑わせる事実の不存在に関する消極的証明)
最高裁判決とデューディリジェンスの抗弁
最高裁判決の思考回路には米国証券法第11条の責任配分と同様のバランス感覚が伺われるが、専門性が高い発行開示文書の民事責任の解釈に新しいアプローチを示した。
公認会計士が作成すべき監査済み財務諸表の不実記載について、無資格者である主幹事証券の過失責任を問うことにより金商法21条2項の文言を逸脱する解釈は回避された。他方、財務諸表の粉飾を伺わせる事実(財務数値に現れた粉飾の兆候と本件投書による内部告発の疑念)を認識しながら粉飾はないと信頼したことの合理的な理由について、非専門家に対して財務諸表の内容に対する積極的信頼の証明を要求せず、「監査の信頼性の基礎への信頼を欠くものではないことにつき調査確認を行うことが求められている」として、消極的証明のレベルで調査確認義務の履行状況が厳しく吟味された。
米国証券法11条(b)の抗弁は、証券発行実務における調査義務が論点となることから「デューディリジェンスの抗弁」と呼ばれるが、最高裁は、「虚偽記載の疑いの不存在に関する合理的な理由」を支える調査義務として、地裁判決のような「会計監査人と同様の実証的調査義務」は求めていない。非専門家であっても粉飾の兆候と本件投書から「経営者が会計士を欺罔する粉飾工作」という問題の本質を読み取るべきであり、会計士の調査方法を踏襲して同じ結論を追認しても無意味であるから、想定される粉飾事案に応じた調査の実効性を問題とした。
経営者主導の粉飾工作に対する対策
本件は会社役員が粉飾決算を主導した事案のため、公認会計士の適正な監査の前提となる発行会社の内部統制が無力化しており、経営者が取引先の協力者と通謀する等して証拠を偽造していたから監査業務で収集したエビデンスも意味を喪失していた。このため、監査報告書における積極的証明の前提となる内部統制とエビデンスが失われた状態であることに気づかぬまま、本件会計士は監査業務を6年以上継続していた。
本件事案に米国証券法の「デューディリジェンスの抗弁」の論理を当てはめるとどうなるか。
- 本件会計士は、売上高約118億円のうち97.3%(約115億円)が架空という財務諸表の虚偽記載につき、監査報告書作成者として「合理的な調査の結果、財務諸表の内容が真実であると信じたことに合理的な理由があること」の積極的証明が要求される。本件会計士は、8年を超すF社監査経験を持ち、2009年3月期は会計監査人3名と公認会計士5名が207日間監査業務に従事し、第1投書を検討した後に監査報告書を作成した。ここでは、会計士としての「合理的な職業的猜疑心」に照らして、会社の粉飾工作を見ぬけず、会社担当者の虚偽の財務報告を信頼したことに合理的理由があることを証明しなければならない(「監査における不正リスク対応基準の設定」2013年3月企業会計審議会)。
- 主幹事証券の場合は、監査業務の非専門家として「監査済み財務諸表に虚偽があると信じさせる合理的な理由がない」という消極的証明責任にとどまるが、「虚偽記載を知らない」という善意の証明より難易度は高い。主幹事証券は、売上げ認識の期末集中や営業キャッシュフロー認識時点の慢性的遅延等の粉飾兆候の可能性は、後発業者の競争環境やビジネスモデルの特徴とみなし、匿名の告発文書よりも大手取引先との継続的信頼関係の外形を重視した。
最高裁は、引受審査において、財務数値に見られる粉飾兆候と本件投書から「経営者が組織ぐるみで会計士を欺罔する粉飾工作」を読み取り、粉飾工作の懸念を解消するために実効性ある調査(デューディリジェンス)に踏み込まなければ免責を認めない方針を判示した。
2011年、日本証券業協会は「財務諸表に対する引受審査ガイドライン」を作成し、基本的な考え方として「監査証明を信頼することができなくなるような疑わしい事情の有無を確認し、何らかの疑わしい事情がある場合には、自らに可能な範囲で調査をする」方向性を示した。
元引受証券会社は、短期間の発行準備期間中に、発行会社の会計・内部統制システム等に立ち入ることのできない外部者の立場で引受審査を行うため、財務諸表の開示の適正性に係る審査には限界がある。上記ガイドラインでは、財務諸表に関する疑わしい事象を発見するために、元引受業者は、(i)キャッシュ・フロー分析、損益計算書分析を通じて収益力の変動要因の確認をする中で、あるいは、(ii)貸借対照表分析を通じて財務基盤の健全性を確認する中で、「異常な変動や不合理な要因がないか」を検討すること等が要求されている。この粉飾の兆候の財務分析の要求水準は、今回の最高裁判決と同レベルにあると思われる。
破産手続におけるエクイティのデット化
F社は2010年5月21日に東京地裁に破産手続の申立てを行い、破産手続では上場証券の開示不正のマグニチュードの巨大さと証券紛争の実態がさらに可視化された。
2004年3月期以来、虚偽の財務諸表を信頼した上場前株主は272名、ベンチャー・キャピタル(VC)を始め、大手証券会社、生命保険会社を含み、2009年3月期末の資本金・資本剰余金は合計約120億円。4銀行・信金1社等のシンジケートローンの残高は約31億円、コミットメントラインの借入実行残高は約85億円。テクノロジー分野スタートアップへのVC投資という資本主義の先端分野を舞台とする本件粉飾は、IPOのゲートキーパーの検問を通過して一般投資家に被害を拡大させ、民事訴訟ではディープポケットの主幹事証券がターゲットとされた。
破産管財人の報告書によれば、IPO参加株主の多くは金商法18条により無過失責任を負う発行会社に損害賠償請求を行い、2010年5月12日の監視委員会の強制調査報道により粉飾決算について悪意の推定を受ける前に株式を保有した株主は、破産債権者と認められた(株主の債権者化)。2010年12月3日時点の届出債権者数は9,274名、総額約243億円、その内訳は、「上場前の株主債権者」80名、債権合計約98億円、「上場後の株主債権者」9,060名、債権合計約68億円、それ以外の「一般取引債権者」は134名、債権合計約77億円であり、一般債権者に劣後するはずの株主の権利が損害賠償債権化することにより債権者と同等の地位を獲得し、届出された一般破産債権の約68%を占めた。
同年11月30日時点の破産会社F社の資産は、還付税金分約21億66百万円を除くと、約1億77百万円に過ぎなかった。破産財団増殖のため、役員による詐欺行為の標的とされた本件会計士は管財人から善管注意義務違反(会社法423条)に基づく5億円の損害賠償請求を受け、取締役の不正行為を見抜けなかった監査役も1億円の損害賠償請求を受けた。
経済合理性を追求して止まない資本主義の最終紛争が生態系の食物連鎖を想起させる中、私たちは現代の資本市場に即した形で自由と正義を熟慮し思考する準備ができているのか。
デューディリジェンスによる証券訴訟の予防
最高裁が認定した引受審査における調査確認(デューディリジェンス)義務は、具体的事案の紛争解決の合理性を追求する論証過程で、多数のステークホルダーを紛争の連鎖に陥れる証券訴訟の予防策を論理的に追い込んだ結論と理解される。本件では、IPO前の極めて限られた時間の中で、詐欺犯罪と内部告発の可能性にフォーカスした集中的な法務デューディリジェンスの実施が再発防止策として浮かび上がる。
また、本事件の教訓として、資本市場のインフラ基盤である「情報開示」と「企業会計」の信頼維持の重要性を再確認するとともに、ゲートキーパーたる専門家のスキルだけでなく、企業の持続可能性の前提としてガバナンスに関する企業文化の進化の必要性が再認識された。
以上
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