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【労働法ブログ】次期公的年金制度改革の検討事項と企業の人事労務との関係
2024.06.21
はじめに
厚生労働省は令和6年4月16日の社会保障審議会年金部会に、「令和6年財政検証の基本的枠組み、オプション試算(案)」を提示し、同日の議論も踏まえ、財政検証に向けた計算に入っているようです。
財政検証の結果がいつ公表されるかは不明ですが、通例では、夏までには公表され、この結果を踏まえ制度改正(法律改正)が行われることになると見込まれます。
この財政検証では、平成26年、令和元年の過去2回においては、法律で要請されている現行制度に基づく「財政の現況及び見通し」に加えて、年金部会での議論等を踏まえたうえで、一定の制度改正を仮定した「オプション試算」を実施していました。本年実施の令和6年財政検証においても、オプション試算が行われる予定です。
もっとも、オプション試算を行った、「一定の制度改正の仮定」が、そのまま制度改正の中身になるわけでは必ずしもなく、オプション試算の結果を踏まえて、再度議論が行われ、制度改正の内容が固められていくことになるだろうと見込まれます。
ただし、オプション試算が行われるということは、少なくとも、厚生労働省においては、そのような内容の制度改正の検討を行っている、ということであり、仮にこれらの制度改正が行われた場合に企業の人事労務等に影響しうる事項について本稿で分析したいと思います。
「令和6年財政検証の基本的枠組み、オプション試算(案)について」(令和6年4月16日第14回社会保障審議会年金部会 資料1)https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001245419.pdf
被用者保険の更なる適用拡大
被用者保険(健康保険・厚生年金保険)の適用拡大については、平成24年に成立した社会保障・税一体改革関連法の中の「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律」(平成24年法律62号)において、一定の要件を満たす短時間労働者(※1)を、被用者保険の被保険者とする制度改正が行われました。
ただし、この制度改正においては、「一定の要件」の一つとして、従業員500人超の企業に勤務していることが定められ、同じように働く短時間労働者であっても、勤務している企業の規模によって、被用者保険への加入の可否が分かれることとなっています。
※1
(1) 週労働時間20時間以上
(2) 月額賃金8.8万円以上(年収換算で約106万円以上)
(所定労働時間や所定内賃金で判断し、残業時間(代)等を含まない)
(3) 勤務期間1年以上見込み
(4) 学生は適用除外
(5) 従業員500人超の企業等
(適用拡大前の基準で適用対象となる労働者の数で算定)
社会保障制度を働き方に中立的なものとしていくことは政府の重要課題であり、
・ 平成28年の年金制度改正では、500人以下の企業等について、①民間企業は労使合意に基づき適用拡大を可能に、②国・地方公共団体は適用とする制度改正を行い、
・ 令和2年の年金制度改正では、(3)の勤務期間1年以上見込みの要件を撤廃するとともに、(5)の適用対象となる企業規模を、令和4年10月からは従業員100人超とし、令和6年10月からは従業員50人超とする改正を行うことで、
段階的に適用拡大が進められてきました。
このような中で、令和4年12月に取りまとめられた、「全世代型社会保障構築会議 報告書」においては、「勤労者皆保険の実現に向けた取組」として、「短時間労働者への被用者保険の適用に関する企業規模要件の撤廃」について、早急に実現を図るべき、とされています。
また、最低賃金の上昇などを受け、自らは社会保険料を負担しない国民年金の第3号被保険者(健康保険の被扶養者)が一定の年収(130万円・106万円)に達すると自ら社会保険料を負担することとなり手取りが減少する、いわゆる「年収の壁」について、令和5年秋には政府が「年収の壁・支援強化パッケージ」を公表し、対策に乗り出すなど、この観点からも、「働き方に中立的な社会保障」の構築が求められています。
また、「働き方に中立的」という観点では、短時間労働者の適用に関する企業規模要件だけでなく、短時間労働者に限らず、フルタイム従業員にも関わるものとして、「常時5人以上を使用する個人事業所の非適用業種」の解消ということも、「全世代型社会保障構築会議 報告書」において、労働者がいずれの事業所で勤務するかによって被用者保険の強制適用の有無が異なる状況の解消を早急に図るべきとされています。
これらの点に関連し、令和6年の財政検証では、「被用者保険の適用対象となる、短時間労働者の企業規模要件や個人事業所における非適用業種の適用範囲を見直した場合」の試算を行う旨のみが公表されていますが、令和元年の財政検証では、企業規模要件を廃止した場合や、それに加えて賃金要件を廃止した場合、非適用事業所の雇用者も適用拡大の対象とした場合の試算が行われており、少なくともこれと同様の試算が行われると見込まれます。
試算の結果を踏まえ、どこまでの制度改正が行われるかは、これからの議論の行方を注目するのみですが、政府が適用拡大に非常に前向きな姿勢であることに鑑みると、企業規模要件の廃止・常時5人以上を使用する個人事業所の非適用業種の解消が打ち出される可能性も相当程度あるのではないかと考えられます。
実際に、「経済財政運営と改革の基本方針2024」(いわゆる「骨太の方針」。令和6年6月21日閣議決定)では、「働き方に中立的な年金制度の構築等」として「公的年金については、働き方に中立的な年金制度の構築等を目指して、今夏の財政検証の結果を踏まえ、2024年末までに制度改正についての道筋を付ける。勤労者皆保険の実現のため、企業規模要件の撤廃を始め短時間労働者への被用者保険の適用拡大の徹底、常時5人以上を使用する個人事業所の非適用業種の解消等について結論を得るとともに、いわゆる「年収の壁」を意識せずに働くことができるよう、「年収の壁・支援強化パッケージ」の活用促進と併せて、制度の見直しに取り組む」とされており、この方針を踏まえて、令和6年末までに議論を行って結論を得ることになると見込まれますが、議論に向けた政府の温度感がうかがえます。
制度改正については、令和6年末までに結論を得たうえで、いつ法律案が国会に提出されるか、法律が成立した場合にいつ施行されるかなどについて現状では全く判明していませんが、近いうちには、従業員数50人以下の小規模の企業でも、短時間労働者を被用者保険に適用することとなるのではないかと見込まれます。
令和2年の年金制度改正時には、適用拡大に取り組む事業主に対し「キャリアアップ助成金」による助成が行われており、次期改正で同様の助成が行われるかは不明ですが、仮に助成がされることになれば、このような支援も活かしつつ、短時間労働者も社会保険の適用対象とすることによる人材確保を行っていく、ということも、制度改正を前向きに活かす一つの方法であると考えられます。
在職老齢年金制度
在職老齢年金制度とは、厚生年金の適用事業所で就労し、一定以上の賃金を得ている60歳以上の厚生年金受給者を対象に、原則として被保険者として保険料負担を求めるとともに、老齢厚生年金の支給を全部又は一部停止する仕組みです。
公的年金制度は、社会保険の原理に基づき、支払った保険料により算定される年金給付が受け取れる仕組みですが、この在職老齢年金制度により、働いて賃金が増えると受け取れる年金額が低下する(※2)ということになっており、就労意欲を阻害するのではないかとの指摘が存在します。
※2 年金の支給停止により、賃金と年金の合計額が下がることはなく、賃金と年金の合計で見れば、働くことによる手取りの逆転は起こらない仕組みとなっています。
この点、令和2年の年金制度改正では、60~64歳の在職老齢年金制度(低在老)について、 「就労に与える影響が一定程度確認されている」「2030年度まで支給開始年齢の引上げが続く女性の就労を支援する」「制度を分かりやすくする」といった観点から、支給停止の基準額を28万円から、65歳以上の在職老齢年金制度(高在老)と同じ「47万円(改正当時の額)」に引き上げる改正が行われました。
一方で、65歳以上の在職老齢年金の仕組みを緩和・廃止した場合については、令和元年財政検証においてオプション試算を行ったものの、就労に与える影響が確認されなかった等の理由により、制度改正は行われませんでした。
現在でも、現下の少子高齢化の進行や、人手不足の状況を踏まえ、高齢者の活躍が期待される中で、高齢者により長い時間働いていただくことを可能とするために、在職老齢年金の廃止や見直しを望む意見も存在します。
令和6年財政検証のオプション試算では、この点について、「就労し、一定以上の賃金を得ている65歳以上の老齢厚生年金受給者を対象に、当該老齢厚生年金の一部または全部の支給を停止する仕組み(在職老齢年金制度)の見直しを行った場合」の試算を行うこととされています。
在職老齢年金の廃止または見直し(支給停止の基準の緩和)については、負担に基づく給付を行うという保険原理の観点からも自然なものという面も確かにあるものの、現行の年金財政の仕組みのもとでは、将来の年金給付の水準に小さいながらもマイナスの影響を与える面もありますので(※3)、次期制度改正に向けた議論の行方は一筋縄ではいかないと見込まれます。
※3 現在の公的年金の財政は、保険料上限を固定した上で、積立金を活用しつつ概ね100年間で財政均衡を図る方式となっています。財政均衡期間における収入が固定されているため、財政の均衡を保つためには、給付水準を調整する必要があり、「マクロ経済スライド」という、平均余命の伸長や現役世代の減少という要素を反映して年金給付水準を自動的に調整するシステムが組み込まれています。
したがって、在職老齢年金を廃止又は見直した場合に、年金財政の収支均衡を図るためには、本来であれば、廃止又は見直しによって年金給付が増える分の保険料収入を確保しなければならないことになりますが、現在の公的年金制度では保険料の上限が固定されているため、収入を増やすことはできず、将来にわたって給付水準を調整することで支出を抑えることで、均衡を図る必要があるということになります。
この議論が企業の人事労務に与える影響としては、仮に在職老齢年金が廃止又は見直し(支給停止の基準の緩和)をされた場合には、高齢者の就業時間の延長が期待でき、働き手の確保に資する面と、その裏返しとして、高齢者に支払う賃金が増えた場合には、その分、社会保険料(厚生年金保険料・健康保険料)も増加する(※4)面の両面が想定されます。
※4 厚生年金を受け取り始めていても、70歳になるまでは厚生年金の被保険者として、保険料を支払う必要があります。なお、受け取り始めて以降に支払った保険料は、毎年、年金給付額に反映されることとなっています。健康保険も、75歳になるまでは、健康保険の被保険者として保険料を支払う必要があります。
標準報酬上限の引上げ
厚生年金保険では、保険料や将来の年金給付額の計算に関しては、いわゆる「標準報酬制」を用いています。
現在、厚生年金保険では、一番低い等級が88,000円(報酬月額93,000円以下)で、一番高い等級は650,000円(報酬月額635,000円以上)となっています。一方で、健康保険では、一番低い等級が58,000円(報酬月額63,000円以下)で、一番高い等級は1,390,000円(報酬月額1,355,000円以上)となっています。
厚生年金保険と健康保険とで標準報酬の上限が異なるのは、厚生年金保険は、保険料の算定基礎となる標準報酬の額が年金額に反映される報酬比例制度をとっているため、厚生年金保険の標準報酬月額の上限等級は、「給付額の差があまり大きくならないようにする」「高額所得者・事業主の保険料負担に配慮する」といった観点から、健康保険の標準報酬月額の上限等級より低く設定しているため、とされています。
厚生年金保険の標準報酬月額の上限については、現行制度は負担能力のある被保険者に対して実際の負担能力に応じた保険料負担を求めることができていないとして、負担能力に応じた負担を求める観点や、所得再分配機能を強化する観点から、現行のルール(※5)を見直して、上限の上に等級を追加するような制度改正を行うべきとの指摘が存在します。
※5 現行のルールにおいても、被保険者全体の賃金の上昇に対応して等級を改定するため、各年度末時点において、全被保険者の平均標準報酬月額の2倍に相当する額が標準報酬月額の上限を上回り、その状態が継続すると認められる場合には、政令で、上限の上に等級を追加できることが法定化されています。このルールに基づき、これまで、令和2年9月に現在の上限となる等級(65万円)が追加されています。
厚生年金保険における標準報酬の上限が健康保険よりも低いことの理由で述べたとおり、厚生年金保険は、報酬比例の年金制度であるため、高所得者の標準報酬を引き上げれば、その分高所得者の将来の年金額が増えるため、所得格差を拡大するのではないかという指摘があります。
一方で、厚生年金保険料は、実質的には国民年金(基礎年金)の保険料分も包含しているため、標準報酬の上限を引き上げた場合の増収分が全て報酬比例の厚生年金の支出となるわけではなく、また、標準報酬上限を引き上げた場合の増収分は直ちに給付に回るわけではなく給付に反映されるまでの間は積立金として運用されるため、年金積立金運用益が増加することから、標準報酬上限の引上げは、厚生年金財政全体にプラスの影響があり、このことが「所得再分配機能の強化」とされています。
「厚生年金の標準報酬月額の上限(現行65万円)の見直しを行った場合」のオプション試算を行う令和6年の財政検証結果の公表後に、この標準報酬の引上げについても議論が行われることが見込まれますが、これは、前で述べた両面からの議論がなされると考えられます。その際に忘れてはならないのが、事業主の負担の観点です。
標準報酬の上限を引き上げた場合、年金財政にプラスの影響があり、高所得者も自らの保険料負担は増えるものの将来の年金額は増加します。したがって、被保険者全体にはプラスの影響があるといえます。一方で、企業にとっては、既に標準報酬で650,000円~1,390,000円の間の従業員については、その標準報酬で計算した健康保険料は既に負担していることと同様に、厚生年金の保険料負担が生ずることになります。
このため、標準報酬上限の引上げについても、今後の議論を見守る必要があります。仮に上限を引上げる改正がなされた場合には、今まで65万円の上限の標準報酬が適用されていた層について、改めて標準報酬を算定し直し、その分の保険料を支払う必要があるため、留意が必要です。
終わりに
公的年金の制度改正は、一見すると政府で検討している社会保障政策に見えるものの、実質としては企業の人事労務や財務に少なからず影響を与えるものです。
次期年金制度改正の議論で大きな論点となっているものとしては、「被用者保険の更なる適用拡大」のほかには、「基礎年金の拠出期間延長・給付増額」「マクロ経済スライドの調整期間の一致」があります。
この2点は、企業への直接的な影響はあまりみられないものの、「基礎年金の拠出期間延長・給付増額」は、60~65歳の間、個人が企業に勤めるのか、自ら個人事業主となるのか(完全に引退するのか)の選択に影響を与える可能性もあります。
本稿が、企業の人事労務等に少なからぬ影響を与える年金制度改正について、関心を持っていただく機会となれば幸いです。
以上
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