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中国が米インフレ削減法をWTO提訴している事案の進展
2025.04.14
はじめに
米国のインフレ削減法(Inflation Reduction Act, IRA)につき、中国が米国をWTO紛争解決手続に付託している事案(DS623[1])で、2025年3月21日、米国の意見書が提出、公開された。約1年前の2024年3月に中国はIRAのいくつかの税額控除措置について、WTOにおける協議を要請し、紛争解決手続を開始した。中国はパネル設置要請に進み、その後の紛争の行方が注目されていたところ、今回、米国は、その反論内容をはじめて明らかにしたことになる[2]。
そこで、中国がWTO協定に整合しないとする米国の措置の内容を改めて確認したうえで、中国の主張及び米国の反論を整理し、若干の考察を行いたい。
対象措置
中国がWTO紛争解決手続において問題視したのは、IRA及びその実施細則に基づく、EV税額控除及び再生可能エネルギー投資・生産関連税額控除である。具体的には、下図に示すような措置の要件が、WTO協定に非整合的であるとした。
措置 |
措置の適用要件 |
EV税額控除 |
① 北米での最終組立要件 |
② 重要鉱物要件(米国又は米国と自由貿易協定(FTA)を締結している国で採掘・加工、または北米でリサイクルされたものの価格が一定の割合以上になること) |
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③ バッテリー部品要件(北米で製造又は組み立てられたものの価格が一定の割合以上になること) |
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④ 懸念される外国の事業体(FEOC[3])除外要件(FEOCにより採掘・加工・リサイクルされた重要鉱物やFEOCにより製造・組み立てられたバッテリー部品が含まれないこと) |
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再生可能エネルギー関連税額控除 |
米国産品使用要件(追加の税額控除を受けるための要件) |
中国の主張 [4]
まず、EV税額控除について、中国は、上記図の①乃至④の要件が、米国が他国を原産地とする同種の産品に与える有利な待遇を中国産品についても与えるものではないため、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)第1条1に定める最恵国恵国待遇義務に違反するとした。また、同①乃至④の要件により、中国産品に、同種の米国産品よりも不利でない待遇を与えていないとして、GATT第3条4の定める内国民待遇義務にも違反すると主張した。
再生可能エネルギー関連税額控除については、追加の税額控除を受ける要件として米国産品の使用を義務付けることにより、中国産品に、同種の米国産品よりも不利でない待遇を与えていないため、内国民待遇義務に違反する旨を主張する。
さらに、いずれの措置についても、物品貿易に関する投資措置としての内国民待遇義務(貿易に関連する投資措置に関する協定(TRIMs協定)第2条1、第2条2)にも違反し、また輸入品よりも国産品を優先して使用することに基づいて交付される補助金(国内産品優先補助金)として禁止される(補助金及び相殺措置に関する協定(SCM協定)第3条1項b号、第3条2)とした。
米国の反論
まず、EV税額控除が国内産品優先補助金であるとの中国の主張に対し、米国はEV税額控除がSCM協定上の「補助金」に当たることは争わないものの、国産品を使用せずとも補助金を受けることができるため、国産品優先補助金には当たらないとした。
次に、EV税額控除の適用要件のうち、FEOC除外要件については、安全保障の問題として安全保障例外(GATT第21条b号)に該当し、正当化されるとしたうえで、安全保障例外は自己判断的規定であるため、パネルの判断は米国が同規定を援用したとの認定に限定される旨を主張した。
そして、EV税額控除及び再生可能エネルギー関連税額控除いずれについても、米国の「公徳の保護のために必要」(GATT第20条a号)であり、一般例外として正当化されるとした。すなわち、中国は、EVや再生可能エネルギー分野で世界的優位に立つ要因となった中国の非市場的政策や慣行が不公正競争、強制労働、盗用や強制といった形で米国の「公徳」を侵害しているところ、その保護のために本件措置は「必要」であること、またこれらの措置は同様の条件のもと、差別的な方法又は国際貿易の偽装された制限となるような方法で適用されているものではないため、GATT第20条柱書にも反しないとする。
なお、安全保障例外及び一般例外はGATTに規定されており、これらの規定がTRIMs協定やSCM協定等、GATT外の物品に関する協定にも適用されるかどうかについては議論があるところ、米国は、これらのGATTの例外規定がTRIMs協定やSCM協定にも及ぶことは、協定の文言、構造や文脈から明らかであるとした。
若干の考察
トランプ政権への移行後、大統領令によりIRAで割り当てられた資金の支出を停止する[5]など、IRA自体がそのままの内容で存続するかも不透明とみられたが、米国は中国の主張に対し、措置の存否を争うのではなく、正面からWTO協定に整合しているとした。なお、今後仮に本件で問題となっているIRAの措置が撤廃された場合、いわゆる「失効した措置」としてパネルの審理や判断の対象となるかについては議論があり、米国としてはこの点について争うことも考えられる[6]。
米国は、最恵国待遇義務違反や内国民待遇義務違反については、差別的な措置ではないとの反論は行なわず、またEV税額控除が協定上の「補助金」に該当すること自体は争わなかった。これは協定解釈上該当することが明白であり、争いようがなかったといえよう。この点、「国産優先補助金」に当たるかについて、再生可能エネルギー関連税額控除については国産品の使用が要件となっているためこれを争わなかったが、EV税額控除については、北米にカナダやメキシコが含まれ、またFTAパートナーからの製品の使用によっても税額控除の要件を満たすことができるため、国産優先補助金には当たらないと主張した。これは米国が挙げた先例[7]にも合致する解釈といえる。
中国の主張に対し、米国がGATT第21条の安全保障例外を主張することは、最近の一連の紛争案件における米国の主張[8]や、本件に関する中国の協議要請に対するコメントで、安全保障の問題であるかどうかについては明言していなかったものの、その旨の留保を付していたことからすれば、ある程度想定内といえよう。その中で、措置全体についてではなく、FEOC除外要件のみにつき安全保障例外を主張したことについては、安全保障例外の主張を抑制的に用いる姿勢ともとらえられるが、環境保護を目的とする本件措置全体を安全保障目的であるというのはさすがに広すぎると考えたのではないかともいえる。
そしてGATTの一般例外による正当化につき、IRAを環境規制と位置づけ、GATT第20条第b号(人、動物又は植物の生命又は健康の保護のために必要な措置)や第g号(有限天然資源の保存に関する措置)に当たる旨を主張することも考えられたが、米国は対象措置いずれについても第a号の公徳例外で正当化されるとした。米国は、2018年に発動した通商法第301条に基づく対中追加関税措置をめぐり中国が米国をWTO紛争解決手続に付託した事案(DS543)でも公徳例外を主張した。同事案でパネルは結論として、米国の主張する知財の盗用や不正競争は「公徳」の概念に含まれうるとしたうえで、公的保護に「必要」であるとの立証ができていなかったとして同号による正当化を認めなかった。
今後は通常、パネル会合が行われ、さらに両当事国が意見書を提出したうえで、二回目のパネル会合を行った上でパネル判断へと進むことになり、しばらく時間を要することとなるが、本件の今後の両国の主張やパネルの判断が注目される。
対象措置 |
中国の主張 |
米国の反論 |
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EV税額控除 |
北米での最終組立要件 |
GATT1条1違反 GATT3条4違反 TRIMs協定2条1、2条2違反 SCM協定3条1(b)、3条2違反 |
✔ SCM協定違反については国産品優先補助金には該当しないため違反しない ✔ FEOC除外要件についてはGATT21条(b)による正当化 ✔ 全ての要件、違反につき、GATT20条(a)の例外による正当化(TRIMs協定及びSCM協定にもGATTの例外規定は適用される) |
重要鉱物要件 |
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バッテリー部品要件 |
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FEOC 除外要件 |
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再生可能エネルギー関連税額控除 |
米国産品使用要件 |
GATT3条4違反 TRIMs協定2条1、2条2違反 SCM協定3条1(b)、3条2違反 |
✔ GATT20条(a)の例外による正当化(TRIMs協定及びSCM協定にもGATTの例外規定は適用される) |
[1] DSはWTOに付託された事件番号を指す。
[2] 中国による協議要請後、米国はこれに対する簡単なコメントを発表し、IRAが世界的な気候変動危機に対応するとともにクリーンエネルギー関連技術への投資を促進するための画期的な手段であるとしつつ、安全保障の問題であるかどうかにかかわらずという形で安全保障例外を主張する可能性を示唆したものの、明言はしていなかった。
[3] Foreign Entity of Concern. 対象国である北朝鮮、中国、ロシア、イランに保有・支配され、または同国政府の管轄・指示に服する事業体をいう。
[4] 中国の意見書は公表されていないため、中国の主張内容はパネル設置要請書による。
[5] Unleashing American Energyと題する大統領令(2025年1月25日付)において、グリーン・ニューディールの終了の内容として、IRAに割り当てられた資金の支出の即時停止が命じられた。
[6] 近時のパネル判断(豪州の中国製品に対するAD及びCVD措置(DS603))では先例(タイーフィリピン産たばこに対する税関・財政措置(DS371))の履行確認パネル判断を参照し、これまでの傾向として、パネル設置前に措置が撤回された場合、パネルは認定を行なわず、パネル設置後に措置が撤回された場合には認定を行うが勧告はしない傾向があるとする。パネル設置後に失効した措置について過去の上級委やパネルが是正勧告をしなかったことは明確な協定違反であるという点は、米国の上級委批判の一因となっている(Report on Appellate Body of the World Trade Organization 64-68頁)ことから、仮に本件でこの点が問題となった場合でも、米国としてはパネルで審理、判断、そして是正勧告することにつき争わないのではないかとも思われる。
[7] U.S. First Written Submissionパラ37
[8] 米国‐香港製品に関する原産地表示(DS597)、米国‐232条措置(DS544、552、556、564)
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