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スタートアップとM&A-アーンアウト-
2025.06.06
はじめに
弁護士の藤井康太/彈塚寛之です。
日本では従来、スタートアップのエグジットはIPO(新規株式公開)が主流であり、グローバルな水準と比較しても、M&Aによるエグジット事例は多くないと言われてきました。しかしながら、スタートアップが真に日本経済の成長ドライバーとなるためには、M&Aを含めてエグジットの選択肢を増やし、スタートアップエコシステムにおける人材や資金の流動性を高めることが不可欠です。
そのような考え方を背景として、近年ではスタートアップをめぐるM&Aの機運が高まりつつあり、これに関する実務も発展してきている印象を受けます。
そこで、このシリーズでは、スタートアップとM&Aに関連するトピックについて、法的な観点から検討することを試みています。内容については、執筆者の個人的見解であり、当事務所の見解ではありませんのでご留意ください。
本ブログでは、「アーンアウト」について検討してみたいと思います。
なお、スタートアップをM&Aにより買収する手法には様々なものがありますが、日本においては株式譲渡型(スタートアップの株主が保有株式を買収者に譲渡する形式)のM&Aが多いため、本ブログでは、これを前提に検討しています。
アーンアウトとは
アーンアウトとは、M&Aの実行時に支払われる買収対価に加えて、実行後の一定時期に追加的な対価(アーンアウト対価)を支払う手法を言います。追加部分に関しては、買収後の対象会社の業績等をKPIとして達成条件を設定し、その条件がクリアされた場合に対価の支払が生じる建付けにすることが一般的です。
スタートアップを買収する際は、将来の業績の見通しも織り込んでその企業価値を算定し、買収対価を交渉することが一般的ですが、買収後の事業がどのように進捗するかの見通しについて買手と売手とで乖離があると、買収時点で対価の額を確定的に合意することが難しい場合があります。このような場合にアーンアウトを採用し、アーンアウト対価の支払がM&A実行後の業績等とリンクするようにアレンジすることで、買手と売手の間で乖離がある部分の決着をある意味では先送りでき、買収の交渉がスムーズに進められる可能性があります。
また、買収したスタートアップの事業を伸ばすためには、創業者や経営陣(スタートアップの株式を保有する経営株主)がM&A実行後も一定期間スタートアップに残留し、事業や経営にコミットしてもらうことが必要な場合があります。このような場合に、M&A実行後の業績等にリンクしたアーンアウトを採用することで、創業者等が買収後もインセンティブをもって参画してくれることが期待できます。
このように考えると、特に伸びしろが大きなスタートアップを買収する場面を想定すると、アーンアウトは、スタートアップのM&Aと相性が良いように思われます。
もっとも、スタートアップのM&Aでアーンアウトを活用するためには、現行の実務との関係上、いくつか留意すべき点がありそうです。
アーンアウト活用時の留意点
スタートアップには、ベンチャーキャピタル(VC)に代表されるような投資ファンドが出資し、株主として名を連ねていることがあります。そして、投資ファンドには通常、ファンドの存続期間(ファンド満期)があり、所定の期間内に投資リターンの回収及びファンド出資者への分配を行う必要があります。
ここで、もしファンド満期の直前に投資先のスタートアップがM&Aによるエグジットを迎えた場合、アーンアウト対価が支払われる時点(すなわち、M&Aの実行から一定期間後)では、ファンドが解散している可能性があります。そのため、スタートアップの既存株主に投資ファンドが含まれる場合、ファンド運営の観点からアーンアウトを採用することに支障がないか、買収交渉に当たって関係者間で慎重な調整が必要になります。
この点に関し、アーンアウト対価を受け取るまでファンドの存続期間を延長すれば良いと思われるかもしれません。しかし、アーンアウト対価は、設定された条件が達成されなかった場合には支払自体が生じないところ、受領できない可能性がある対価のために存続期間を延長することは容易ではないと思われます。
また、アーンアウトは、M&A実行後の創業者等によるコミットメントに対するインセンティブとして機能することが期待できますが、この側面を重視する場合、アーンアウト対価の支払先を創業者等に限定し、他の株主には支払われないようにするアレンジが検討されることがあります。関係者間で合意できるのであれば、このようなアレンジも可能です。
ただし、多くの投資ファンドには、ファンドへの出資者としてリミテッド・パートナー(LP)が存在し、ファンド運営者であるジェネラル・パートナー(GP)は、LPに対する善管注意義務に基づいてファンド財産の管理や処分を行う義務を負っています。そのため、GPとしては、アーンアウト対価を受領しないという選択が適切か(LPに対して合理的に説明できるか)という点を検討する必要があります。
そのような背景もあり、アーンアウト対価の支払先を創業者等に限定することについて、投資ファンドからの同意を取り付けることが実務上難しい場合もあります。
加えて、一部の株主に対してのみアーンアウト対価を支払う場合、これがアーンアウト対価に関する税務上の処理との関係で支障とならないかという点についても、慎重に検討する必要があります。
みなし清算条項との関係
次に、アーンアウト対価をスタートアップの全株主に対して支払う場合、株主間における対価の分配方法が問題となります。
まず、実務上、特に優先株式の発行により資金調達を行ったスタートアップでは、出資者(株主)やスタートアップを当事者とした「株主間契約」が締結され、スタートアップの株式の取扱い等について合意が形成されていることが通常です。
そして、多くの場合、株主間契約には「みなし清算条項」と呼ばれるルールが規定されています。スタートアップがM&Aによるエグジットを迎える場合、買収対価はスタートアップの株主に対して支払われるところ、「みなし清算条項」は、その際の株主間での対価の分配ルールを定めたものです。
※みなし清算条項の詳細な解説は本ブログでは割愛しますが、日本においては、「買収対価を分配する際、まずは優先株式を保有する株主に出資額と同額を優先的に分配し、残額を全株主で持株比率に応じて分配する」という分配ルール(いわゆる1倍・参加型)にすることが典型的です。
※特にスタートアップの株主が多い場合、みなし清算条項は、株主間契約とは別建ての契約書(いわゆる「分配合意書」など)で合意されていることもあります。また、みなし清算条項は、契約書のみではなく、スタートアップの定款にも規定されていることがあります。
それでは、アーンアウト対価との関係で、この「みなし清算条項」はどのように適用されるでしょうか。
アーンアウト特有な点として、設定された条件が達成されなかった場合には、アーンアウト対価は支払われません。すなわち、条件が達成されなかった場合には、M&Aの実行時に支払われる対価(初期対価)のみが分配の対象となり、条件が達成された場合には、初期対価とアーンアウト対価の合計額が分配の対象となります。そして、条件が達成されるか否か(すなわち、分配の対象が何円になるか)は、初期対価の分配時点では分からないということになります。
他方、例えば、「みなし清算条項」において、買収対価の金額に応じて分配ルールが異なるような設計が採用されることがあります(買収金額が一定の閾値を超えた場合には優先分配額が低くなるなど)。また、「みなし清算条項」において「非参加型」が採用されている場合には、優先権を有する株主は、買収対価の金額次第で、優先株式を保有したまま分配に参加するか、普通株式に転換した上で分配に参加するか選択することになります。
このようなケースにおいては、どのようなルールに基づいて初期対価の分配を行えば良いでしょうか。
一つのフェアな考え方として、①初期対価の分配時点では、初期対価のみが分配対象である前提で分配を行い、②アーンアウト対価が生じた場合には、初期対価とアーンアウト対価の合計が分配対象である前提で分配計算をし直し、アーンアウト対価の分配時に、その分配額から初期対価における分配額を控除する、という方法が考えられます。
もっとも、日本において標準的な「みなし清算条項」においては、必ずしもこのような厳密な適用関係まで規定されていません。
そのため、スタートアップのM&Aでアーンアウトを活用する場合には、既存の株主間契約に規定されている「みなし清算条項」の具体的な内容を精査した上で、関係者間で適用関係の認識に齟齬が生じないよう、丁寧なフォローが必要になると思われます。今後、日本においても、アーンアウトを活用したM&Aの件数が増えていけば、株主間契約の締結時に、この点を意識した「みなし清算条項」が合意される例も出てくるかもしれません。
※ちなみに、米国の実務では、「みなし清算条項(Deemed Liquidation)」の中に「条件付き対価(Contingent Consideration)」という概念が規定され、アーンアウト対価が生じる場合でも適用関係が明確になるよう工夫されている例があります。
また、一般的な株主間契約においては、「株主がスタートアップの株式を保有しなくなった場合には、契約が終了する」という趣旨の規定が設けられています。すなわち、M&Aが実行された時点で株主間契約は終了するため、アーンアウト対価が支払われる時点では株主間契約は存在しないことになります。これを素直に解釈すると、株主間契約における「みなし清算条項」は、アーンアウト対価の分配時には適用されないという結論にもなりかねません。
この点の懸念を解消するため、株主間契約において、「株主間契約の終了前に発生した権利義務については、終了後も存続する」といった趣旨の規定が存在するかも、確認しておく必要がありそうです。
以上