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【英国雇用法】英国平等法(Equality Act 2010)に基づくセクハラ防止義務の導入と実務対応のポイント(2)
2025.09.12
はじめに
英国平等法(Equality Act 2010)の改正により、2024年10月26日から雇用主には従業員等に対するセクハラを防止するための合理的な措置(reasonable steps)を講じる法的義務が課されることになりました。英国は日本に比べ、セクハラに関する規制や裁判所の判断が厳格であり、労働紛争が訴訟に発展するケースも多いことから、特に在英日系企業にとっては早期の対応体制整備が不可欠です。
前回のブログでは、英国法におけるセクハラの定義と判断基準を解説しました。今回のブログでは、新たに導入された防止義務の全体像を整理したうえで、平等と人権委員会(Equality and Human Rights Commission、以下「EHRC」)が公表した新ガイダンスを基に、企業が取るべき実務対応について詳しくご説明します。
セクハラ防止義務の概要
新たに導入されたセクハラ防止義務は、セクハラが実際に発生してから対応するのではなく、リスクを予見し、あらかじめ防止策を講じることを求める予防的かつ積極的な義務となります。従来の英国平等法の枠組みでも、雇用主が従業員によるハラスメント行為(セクハラに限られません)について使用者責任(vicarious liability)を免れるためには、あらゆる合理的な措置(all reasonable steps)を講じていたことが要件とされてきましたが、これはあくまで防御的な位置づけ(抗弁)にとどまり、防止策を講じる義務そのものは法律上明文で課されてはいませんでした。
今回の改正により、従来の抗弁とは別に、新たに雇用主にreasonable stepsを講じる義務が独立した法的義務として明文化されました。これに違反した場合には、雇用審判所で認められる損害賠償額が最大25%増額される可能性があるほか、EHRCがセクハラ事案の発生を待たずに調査や是正措置命令を行える権限を持つ点が大きな特徴です。もっとも、この義務違反だけを理由として従業員が雇用主に損害賠償請求を行うことはできず、あくまでセクハラ自体の不法行為責任が成立していることが前提になります。
また、reasonable stepsとして求められる基準は、抗弁としてのall reasonable stepsよりも低い水準にとどまると解されています(すなわち、reasonable stepsを講じていたとしても、それがall reasonable stepsを満たすとは限りません)。ただし、実務上は両者の要素が重なり合うため、例えば社内ポリシー整備、従業員研修、リスク評価、通報手続の整備などは、義務履行と抗弁立証の双方に有用となります。
本義務によって保護される対象の範囲は広く、会社の従業員だけでなく派遣労働者、自営業者、インターン、求職者なども含まれる可能性があります。さらに、会社が合理的な措置を講じて防止するべきセクハラは社内従業員によるものに限らず、顧客や取引先といった第三者によるものも含まれるため、外部関係者との接点が多い業種では一層の注意が必要です。
合理的な措置の考慮要素
合理的な措置の具体的内容は法律に明記されておらず、個別の事情に応じて判断されます。EHRCの2024年ガイダンスでは、以下の要素を総合的に考慮することが合理的とされています。
- 雇用主の規模や財務・人的リソース
- 業種や職場環境の特性(例:飲食業、金融業、教育機関など)
- 第三者との接触頻度や勤務形態
- 措置の実効性や想定される効果
- 代替手段の有無や比較可能性
- 措置に要するコスト・時間・混乱の程度
過去にセクハラ懸念が提起された場合には、それを踏まえた再発防止策を講じることが特に合理的と評価されます。さらに、以前に導入した措置の効果や結果も重要な判断材料となり、再発があれば追加的な対策を検討する必要があります。
EHRCは、結果的にセクハラを完全に防げなかった場合でも、当時の状況に照らして適切な措置であれば合理的と認められる可能性があることを強調しています。
なお、ガイダンス自体は法的拘束力を持つものではありませんが、雇用審判所が雇用主の義務違反や損害賠償額の増額の可否を判断する際に、ガイダンスの履践状況を重視するため、実務上は従うことが強く推奨されます。
EHRCの8ステップガイド
EHRCは、雇用主がセクハラを防止するために講じるべき合理的な措置について、ガイダンスを踏まえ、簡易に整理した8ステップガイドを公表しています。以下では、それぞれのステップについて解説します。
(1) 効果的な防止ポリシーの策定
セクハラ専用のポリシーを設けることが推奨されます。違法性の明示、典型的事例の列挙、懲戒処分の可能性、第三者ハラスメントへの対応方針を盛り込む必要があります。さらに虚偽申立てへの対応と同時に、申立者の不利益取扱いを禁止する規定を設けることが重要です。ポリシーは全従業員に周知され、多言語化やアクセシビリティ対応が望まれます。
(2) 職員の関与
従業員の声を反映させるために、定期的な面談やアンケートを実施し、制度見直しに従業員代表や労働組合を関与させます。スタッフネットワークやメンター制度も相談環境を整える手段として有効です。
(3) リスク評価と軽減措置
合理的な措置の中核的要素として、職場におけるリスク評価とその軽減措置の実施が位置付けられており、リスク評価を実施しない限り、セクハラ防止義務を満たしたとは言い難いとされています。セクハラのリスクを高める要因として、夜間勤務、単独勤務、在宅勤務、アルコールを伴う業務、客先常駐、雇用不安定性、多様性欠如などが挙げられます。これらを踏まえたリスク評価を行い、配置調整や監督体制強化、研修実施を進めることになります。
(4) 通報手続の整備
匿名・記名のいずれでも通報可能な複数の窓口を設けることが望ましく、加害者本人に直接伝える必要がない仕組みを整えるべきです。全ての苦情を一元的に記録し、傾向分析を行う体制を築くことが求められます。
(5) 研修の実施
従業員全体にセクハラ防止研修を行い、定義や典型事例、目撃時の対応、報告手順を周知します。管理職向けには、苦情処理、機密保持、報復防止、反訴対応などの実務的な研修を実施することが推奨されます。
(6) 苦情への対応
苦情を受けた場合には、迅速かつ公平で機密性のある対応が求められます。必要に応じて加害者の異動や警察への通報を検討するべきです。申立人が追及を望まない場合でも記録を残し、将来の防止策に反映することが重要です。
(7) 第三者ハラスメントへの対応
顧客や取引先によるセクハラにも雇用主が対応する責任があります。リスクが高い職種では事前に評価を行い、安全対策や報告ルートを整え、ゼロトレランス方針を外部関係者に示すことが望ましいとされております。
(8) 継続的な監視と評価
一度導入した措置で終わりとせず、苦情記録や従業員調査、退職面談を通じて有効性を検証し、必要に応じて制度を見直します。社会的背景や職場の変化に応じた継続的対応が不可欠です。
今後の動向
現政権である労働党は、防止義務の水準を現行のreasonable stepsから、抗弁として用いられてきたあらゆる合理的な措置(all reasonable steps)へと引き上げること、雇用審判所への申立期限を現行の3か月から6か月に延長することなどを含む改正法を国会に提出中であり、2025年秋の国会で成立する見込みです。これにより、雇用主が負う責任は一層厳格化し、企業はより高度な対策を講じる必要が生じる見込みです。
おわりに
セクハラ防止義務は、単なる形式的な対応にとどまらず、実効性のある仕組みを継続的に整備・改善していくことが求められます。ポリシー策定、従業員研修、リスク評価、通報制度、苦情対応、第三者対策などを包括的に行うことで、職場文化として「セクハラを許さない」姿勢を浸透させることが重要です。特に在英日系企業は、英国特有の厳格な規制環境を踏まえ、EHRCのガイダンスを実務に落とし込み、訴訟リスクや reputational risk の低減を図る必要があります。
弊所では、本稿でご紹介した8つのステップを踏まえ、在英日本企業の皆様に対し、ポリシー策定や研修支援、リスク評価の導入などを通じて、実効的なセクハラ防止体制の構築を引き続きご支援してまいります。