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英国現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015)の最新動向―2025年版ガイダンスの解説―
2026.01.22
はじめに
英国政府は、2025年3月24日、英国現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015、以下「現代奴隷法」)に基づくサプライ・チェーンの透明性に関する新たな法定ガイダンス(以下「新ガイダンス」)を公表しました。新ガイダンスは、2017年版ガイダンスを全面的に刷新するものであり、現代奴隷法に基づき公表が求められる奴隷及び人身取引に関する声明(以下「本声明」)について、初めて具体的な推奨記載事項を示し、かつ、開示事項をレベル1及びレベル2に区分するなど、内容面で大幅な変更が加えられています。
現代奴隷法は、英国で事業を行う海外企業にも域外適用されるため、本声明の公表義務を負う日本企業にとっても実務上の影響は小さくありません。本稿では、主として日本企業を念頭に置きつつ、新ガイダンスの内容と実務上の留意点を解説します。
現代奴隷法とは
現代奴隷法は、現代において奴隷的な状況で労働を強いられている人々(Modern Slavery(現代奴隷))に関する問題への対応を目的として、2015年に制定された英国法です。同法は主に以下を内容としています。
- 現代奴隷制及び人身取引の禁止
- 独立奴隷防止コミッショナーの設置
- 被害者の保護
- サプライ・チェーンの透明性に関する声明の公表義務
現代奴隷法は、英国において一部でも事業活動を行い、全世界ベースの年間売上高(グループ合算)が3,600万ポンド以上の企業等に対し、会計年度ごとに、現代奴隷制及び人身取引を防止するために講じた措置(又は講じていない場合はその旨)を記載した本声明を作成し、自社ウェブサイト等で公表することを求めています。この義務は、日本企業を含む海外企業にも適用されます。
現代奴隷法では、本声明において、以下の6項目の記載が推奨されています。もっとも、同法は、企業に対してこれらの措置を実際に講じること自体を義務付けているわけではなく、また、これらの項目の記載も形式的には任意とされています。したがって、特段の措置を講じていない企業であっても、その旨を本声明において明示すれば、法令上の要件は満たされます。しかしながら、企業に対する人権尊重の取組及びその開示に対する要請が高まっている状況の下では、現代奴隷制及び人身取引を防止する措置を何ら講じていない旨の開示を行うことはおよそ選択肢とはなり得ず、実務上はこれらの項目に沿って本声明を作成するとともに、その前提として声明の内容に即した実体的な対応を進めていくことが一般的となっています。
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声明における推奨開示項目 |
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① 組織構造、事業、サプライ・チェーン ② 奴隷・人身取引に関するポリシー ③ 事業・サプライ・チェーンでの奴隷・人身取引に関するデュー・デリジェンスのプロセス ④ 事業・サプライ・チェーンで奴隷・人身取引が発生するリスクがある部分と、当該リスクを評価、管理する手段 ⑤ 事業・サプライ・チェーンでの奴隷・人身取引に関する取り組を評価するための指標 ⑥ 従業員が利用可能な奴隷・人身取引に関する訓練や能力開発 |
① the organisation’s structure, its business and its supply chains; ② its policies in relation to slavery and human trafficking; ③ its due diligence processes in relation to slavery and human trafficking in its business and supply chains; ④ the parts of its business and supply chains where there is a risk of slavery and human trafficking taking place, and the steps it has taken to assess and manage that risk; ⑤ its effectiveness in ensuring that slavery and human trafficking is not taking place in its business or supply chains, measured against such performance indicators as it considers appropriate; ⑥ the training about slavery and human trafficking available to its staff. |
本声明は各事業年度を対象として作成され、法令上の公表期限はありませんが、新ガイダンスでは事業年度末から6か月以内の公表が望ましいとされています。また、過去の声明についても、進捗確認のため、ウェブサイト上での継続的な公開が推奨されています。
本声明は取締役会等の承認を受け、取締役等が署名する必要があります。また、ウェブサイトを有する場合は、ホームページ上の目立つ場所に本声明へのリンクを掲載する必要があります。
本声明を公表しない場合、国務大臣が高等法院において履行を求めることができ、裁判所命令に従わない場合には無制限の罰金が科される可能性があります。
新ガイダンスにおける推奨記載事項(レベル1・レベル2)
新ガイダンスでは、上記6項目それぞれについて、より具体的な推奨記載事項を示すと共に、開示事項について、レベル1(基礎的・基本的な開示)とレベル2(発展的・包括的な開示)という二層構造が新たに導入されました。
レベル1は、原則として初年度でも到達可能な水準が想定されている一方、レベル2では、前年からの進捗や改善状況を示すことが強く意識されており、年次比較や継続的改善の可視化が重視されています。この点に新ガイダンスの最大の特徴があります。
以下では、各項目の概要を示します。
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項目① |
組織構造、事業、サプライ・チェーン |
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レベル1 |
組織規模及び事業内容の概要、活動国及び主要取引主体の概要、調達、生産及び流通の基本構造、直接及び間接サプライヤーの概要、サプライ・チェーンの未把握領域の有無及び内容の説明など |
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レベル2 |
サプライヤー及び下請業者との取引関係の詳細なマッピング、労働供給チェーンの構造、移住労働者の出身国及び経由国、仲介業者又はブローカーの関与状況、原材料段階まで含む間接サプライヤーの詳細なプロファイルなど |
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項目② |
奴隷・人身取引に関するポリシー |
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レベル1 |
従業員行動規範及びサプライヤー行動規範の概要、責任ある調達方針の内容、移住労働者に関する採用手数料負担禁止方針、国際基準との関係性の説明など |
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レベル2 |
各ポリシーの要約、具体的な実施方法及び適用範囲、監視及び執行の仕組み、定期的な見直し体制、従業員及び取引先への周知及び理解確保の取組など |
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項目③ |
事業・サプライ・チェーンでの奴隷・人身取引に関するデュー・デリジェンスのプロセス |
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レベル1 |
現代奴隷制の防止及び軽減を目的とした主な取組の概要、デュー・デリジェンスの基本方針及び社内体制、労働者が懸念を申し立てるための苦情メカニズムの概要、救済手段の有無及び内容など |
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レベル2 |
実施した措置の具体例、苦情メカニズムの運用方法及びアクセス手段、救済プロセスの詳細、発見された事案の件数、是正措置の内容及び結果など |
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項目④ |
事業・サプライ・チェーンで奴隷・人身取引が発生するリスクがある部分と、当該リスクを評価、管理する手段 |
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レベル1 |
現代奴隷リスクの特定及び評価方法、使用する情報源、優先的に対応すべきリスク領域、脆弱な労働者グループの特定など |
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レベル2 |
リスク評価の定期的な見直し状況、取締役会等によるレビュー体制、リスクレジスタの整備状況、優先リスクに対する対応方針及びレバレッジ活用の検討状況など |
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項目⑤ |
事業・サプライ・チェーンでの奴隷・人身取引に関する取り組みを評価するための指標 |
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レベル1 |
現代奴隷制対応に関する目標設定、主要業績評価指標の設定状況、定量的及び定性的データを用いた進捗測定方法など |
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レベル2 |
業界特性を踏まえた目標設定、短期、中期及び長期の行動計画、指標に基づく継続的なモニタリング及び改善の状況など |
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項目⑥ |
従業員が利用可能な奴隷・人身取引に関する訓練や能力開発 |
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レベル1 |
従業員、調達担当者、経営層及びサプライヤー向け研修の概要、研修内容及び目的、実施頻度及び対象者の範囲など |
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レベル2 |
役割及びリスクに応じた研修プログラムの設計及び実施状況、非政府組織、労働組合又は当事者の知見を取り入れた研修開発、研修効果の評価方法など |
新ガイダンスは、従前のガイダンスと比較すると、企業が現代奴隷制防止のために講じた措置について、より具体的かつ実証的な開示を求める内容となっています。もっとも、現代奴隷法自体は改正されておらず、本声明における6項目の記載や、新ガイダンスに基づくレベル別開示はいずれも引き続き任意である点に変わりはありません。
しかしながら、英国政府のガイダンスは、本声明の作成実務において強い影響力を有しており、今後は英国企業を中心に、新ガイダンスを踏まえた開示が徐々に定着していくものと考えられます。
日本企業における実務上の対応
現代奴隷法の適用対象となる日本企業においては、従来、同法が推奨する6項目に沿って簡素な本声明を作成する対応が一般的でした。一方、2025年版の新ガイダンスでは、これら6項目がレベル1・レベル2に細分化され、具体的な記載例や考慮要素が詳細に示されています。
現時点では、企業に対し、新ガイダンスに基づく形式的なレベル区分での記載が直ちに義務付けられているわけではなく、日本企業においても当年度の本声明において即座に全面対応することが必須とまではいえません。
もっとも、EUを含む各国で企業の人権尊重及びサプライ・チェーンにおけるリスク管理とその開示に対する要請が急速に高まっている中、英国で事業を行う日本企業についても、英国の同業他社、取引先、投資家などの開示水準との比較において、より具体的かつ実質的な記載が事実上求められていくことは避けられないと考えられます。
なお、英国政府・公的機関と取引を行う場合は、現代奴隷制及び人身取引の防止のためより具体的な取り組みが求められる場合があり(例えば、National Health Service (NHS))、また民間企業でも、取引先に対して自社ポリシーの遵守やDD協力など一定の措置及び開示を求める場合が多くなってきています。
この点、新ガイダンスのレベル1に示された項目や主要措置は、従来型の声明作成や実務対応を見直す上で有用な指針となります。日本企業としては、現時点から、将来的な規制動向も見据えつつ、新ガイダンスの内容を分析し、自社の本声明及び実際の取組とのギャップを把握した上で、段階的に対応を準備・開始していくことが望まれます。
さらに現代奴隷法については、推奨記載事項の義務化や、本声明のオンラインレジストリへの登録義務化(いずれも現時点では任意)といった制度強化に向けた議論が従前から継続しています。ESG政策に比較的積極的な労働党政権下においては、これらの制度強化が実現する可能性も現実的なものとなっています。
弊所では、これまで日本企業に対し、現代奴隷法の適用有無の分析、本声明の作成支援、並びに現代奴隷制及び人身取引の防止に関する実体的な取組についての助言を行ってまいりました。今後も、関連法令及びガイダンスの動向を注視しつつ、実務に即した最新情報を提供してまいります。
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