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才口弁護士に聞いてみよう(15)
2021.11.01
TMIの顧問弁護士であり、最高裁判事の重責も務められた才口弁護士に聞く、現代の「仕事」と「生き方」のヒント。
先生は、約38年間、弁護士を務められた後、2004年から2008年までの間、最高裁判事を務められました。法曹として双方の職にあたったご経験上、裁判官と弁護士が「共通」する点と、「相違」する点でお感じになられたところをご教示ください。
裁判官も弁護士も司法にかかわる法曹であり、司法の本質や法曹の使命は不変です。
相違点は、かたや権力行使者、こなた権力対抗者であることでしょうか。
権力対抗者である弁護士から行使者である裁判官を経験して再び対抗者に戻った生き様をあれこれとつぶやき(呟き)ますのでご判読ください。
私も弁護士任官判事でした。
1965(昭和40)年頃から臨時司法制度調査会において、裁判の遅滞と国民感覚と乖離した裁判の是正が提唱され、「弁護士任官」制度の奨励と実施が始まりました。
下級審裁判官を対象とした制度であり、最高裁判事は別枠であったかもしれませんが、裁判の遅滞解消と国民感覚の反映という観点からは、最高裁判事にも同様の使命があります。
微力ではありましたが、私は「弁護士任官判事」であり、あったと認識しています。
ちなみに、私が退官した翌年である2009(平成21)年、日弁連は任官弁護士の実績等を検証して最高裁判事候補者の推薦手続の改正をしました。
異文化体験の約4年8カ月
私は、俗にいわれる「倒産弁護士」から、2004(平成16)年1月16日から2008(平成20)年9月2日までの約4年8カ月間、異文化の法曹の世界に身をおき貴重な体験をさせてもらいました。最高裁判事15人中の弁護士枠4人の一人となりました。
当時、全国52単位弁護士会会員合計約22,000名の弁護士の中、初代から136人目の最高裁判事として任命されたのです。本人は青天の霹靂、知る者は唖然とした人事でした。
第一小法廷に配属され、泉徳治判事(当所顧問弁護士)と同輩になりました。
最高裁は三つの小法廷からなり、各小法廷は5人の裁判官で構成されています。
私は第一小法廷に配属され、先任順に前行政官、前検察官、前民事・司法行政のキャリアー裁判官、前刑事のキャリアー裁判官、そして前弁護士の私で構成されました。その中のお一人が当事務所の顧問弁護士である泉徳治先生です。その後、前刑事のキャリアー裁判官が長官に栄進され、後任に前民事のキャリアー裁判官が着任されました。
なお、昨年まで当事務所の顧問弁護士であった今井功先生は、第二小法廷配属の前民事のキャリアー裁判官でした。
偶然に、第一小法廷の甲斐中辰夫、涌井紀夫両裁判官と私は司法研修所第18期同期生で、はからずも前検察官、前裁判官、前弁護士の三役揃い踏みとなり、甲論乙駁し“荒れる第一小法廷”として名を馳せました。
職務の実態は予測を遥かに超えるものでした。
最高裁判事の職務は、憲法適合性・違憲判断・判例変更に要約されます。当時の年間新受件数は、上告事件約6,000件、特別上告・許可抗告事件等約3,000件の状況でしたが、私が在任した約4年8カ月間に処理した事件数は、1万4,896件(年平均3,252件、月平均271件)です。これは分量にして異常、裁判の密度からして処理能力の超えるものでした。
これに司法行政の遂行と合わせれば、職務の実態は、事件記録との格闘、席の温まる暇がない日々というのが偽らない状況した。しかし、努力の結果、滞貨していた事件が迅速に処理され、「未済・既済事件の差が鰐の口のように大きく開いた」と評価される結果となったことは誇りとするところです。
私の見たこと、聞いたこと、知ったこと
異次元・文化の世界の体験で見るもの、聞くもの、知るものがすべて新鮮でした。具体的には最高裁判所の実態、官・民感覚の違い、各判事の個性、裁判の適正と迅速、裁判官人事、当時施行が迫っていた「裁判員制度」のあり方などです。
なかでも15人の判事の個性や思考経路には興味深いものがありました。偏見かもしれませんが、概ね次のとおりの傾向があるように見受けました。
キャリアー裁判官は結論を定めて理由付をする。
検察官は現場に堪能な実務家。
行政官は法の忠実な執行者・テリトリーを守る者。
学者は結論を導くのに慎重。
弁護士は実務経験を武器に結論を急ぐ。
それぞれ、出自に特有の個性があり、全体として一つの最高裁判所を構成しているのです。
関与事件で思い入れのあるもの
最近の最高裁は違憲判決や注目すべき判例を多く言い渡しますが、在官当時、違憲判決は“64年間でわずか8件”などと司法消極主義を批判されていました。そこで違憲判決に前向きに取り組み、数多くの違憲判断をしました。例えば、違憲判決には至りませんでしたが、「一票の格差」問題は甲論乙駁を繰り返し選挙権の在り方に一石を投じ、現在も未だに係属中です。格差についての私の意見は「二倍違憲説」で、衆・参両院事件とも違憲の少数意見でした。
在外邦人選挙権違憲判決を2005(平成17)年6月4日に言い渡しました。立法不作為・怠慢を論拠に一人5,000円の慰謝料を国家賠償として認容したのが特徴です。
2008(平成20)年6月4日には国籍法第3条違憲判決を言い渡しました。本件は私が主任裁判官を務めた思い出深い事件です。「子供は親を選べない」が基本理念で、多数意見9人、意見1人、反対意見5人でした。半年後の12月5日には国籍法が改正され、最高裁が救済の府としてもの言う司法の一端を担いました。
その他には、破産管財人の善管注意義務について詳細に補足意見を述べ、祖父母の孫監禁事件につき最高裁として18年ぶりに執行猶予判決を言い渡して「温情判決」などと評されたりもしました。
ところで、2006(平成18)年7月14日に言い渡した金融派生商品である為替デリバティブ取引の私の補足意見について、昨今、事務所の後輩弁護士から意見陳述を求められることがしばしばです。この判決を契機として金商法の改正がなされ、意義と感慨を覚えます。
最高裁・裁判官の危機管理の状況
話が回想録っぽくなってきました。閑話休題、最後に裁判所の危機管理を「つぶやき」ます。
最高裁判所が霞が関から隼町の石造りの建物に移転して半世紀を迎えようとしています。
建築家岡田新一博士設計の庁舎は別名「奇岩城」とも呼ばれ、裁判棟は夏は涼しいが冬は寒い花崗岩の建物です。岡田博士のコンセプトは「スクエア」にあり、威厳のある建物ですが、内部はあまり見通しがよくない箇所が多いので、警戒を怠ることはできません。弁護士任官で先任の濱田邦夫判事も、在任中しばしば庁舎の危機管理に警鐘を鳴らしていました。その危機がわが身に降りかかったのです。
あるとき、凶器を携行した人物が、前触れもなく私を訪問しようとしたのです。何らか主張があったやには聞きましたが、真相は分かりません。幸いにもその関係者から、判事室に向かった者がいるため注意されたい旨の連絡があったため、大事には至りませんでしたが、彼は既に庁舎内に入るところでした。
ただでさえ異常なる量の職務に追われる判事が安心して職務に邁進できる環境を整えることは、何よりも大切なことです。私は、秘書官と顛末書を作成し、翌日の裁判官会議において危機管理の徹底を上申しました。それからしばらくして、裁判官室の出入口を含めて設備的なセキュリティが向上したことは、欣快の至りです。
翻って、裁判所、検察庁と異なり在野にある弁護士の執務環境の安全も、さらなる向上が図られることを願ってやみません。
このあたりで、多弁に過ぎた「つぶやき」(呟き)を沈黙しましょう。
司法にかかわる権力行使者と対抗者の共通点と相違点がお分かりいただけましたか。
裁判官や弁護士ら法曹に求められている司法の理念は不変であり、「裁判は国民のためにあるものである。」ことを銘記ください。
完
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