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【デジタル円ブログ⑪】デジタル円の「上限」や「付利」(中編)
2025.02.14
はじめに
弁護士の川上貴寛です。
さて、このブログは、2021年7月から2024年6月まで日本銀行に出向し、デジタル円発行の検討に携わっていた私が、様々な観点からデジタル円の利用イメージやその法的論点について連載形式でご紹介していくものです。
その他このブログの目的等については、「【デジタル円ブログ】ブログ開始のご挨拶」をご参照ください。
さて、今回の記事は、以下の予告テーマのうち、「5.デジタル円の「上限」や「付利」」の中編です。前編や、過去記事であるテーマ1~4についても、以下のリンクから是非ご覧ください。
1.デジタル円の基本的な利用イメージと「法貨」であることの意義(前編)・(後編)
2.デジタル円の流通を担う「仲介機関」とは?担い得る業態と規制(前編)・(中編)・(後編)
3.デジタル円におけるプライバシーとAML/CFTのバランス(前編)・(後編)
4.デジタル円の「追加サービス」の内容と提供主体(前編)・(後編)
5.デジタル円の「上限」や「付利」(前編)
6.デジタル円の私法的性質(債権か、物権か、それ以外か)
7.「デジタル円偽造罪」は必要か?
前編のおさらい
前編では、デジタル円の「上限」や「付利」とは何なのかについて簡単にご説明しました。
上限とはデジタル円の保有額や取引額に上限を設けること、付利とはデジタル円にマイナスやプラスの金利を付すことなどをそれぞれ意味します。
なぜこうした現金にはない特性がデジタル円には必要なのか、直近の国内・国外での議論の状況など詳細については、前編をご参照ください。
そのうえで今回は、デジタル円における保有額や取引額の上限に関する法的論点について考えていきます。
デジタル円の上限を実現するためのオートチャージとオートスイング
デジタル円に上限(特に保有額上限)を設けるための重要な仕組みとして、「オートチャージ」と「オートスイング」という機能が検討されています。
「中央銀行デジタル通貨に関する実証実験「パイロット実験」の進捗状況(2024年4月)」では、それぞれの機能について以下のように説明されています(2.1)。
オートチャージ |
デジタル円の送金にあたり、送金額がウォレットの残高を超過する場合に、ウォレットに紐づく銀行預金口座などから自動でウォレットに対して不足金額の払出(チャージ)を行う機能 |
オートスイング |
ウォレットの残高が保有上限額を超過する場合に、ウォレットに紐づく銀行預金口座などに自動で超過金額の受入(出金)を行う機能 |
オートチャージは、皆さんも比較的馴染みが深いでしょう。
一部のQRコード決済サービス(「○○ペイ」と呼ばれるサービス)でも、支払のタイミングで残高が不足している場合には、連携している銀行預金口座などから自動で資金をチャージする機能が提供されていますが、オートチャージは、まさにこうした機能をデジタル円にも実装しようとするものです。
これに対してオートスイングは、オートチャージとは逆の機能です。
デジタル円に「10万円」という保有額上限が存在するとして、ある支払を受領することによってこの上限を超過してしまうとき、自動的に連携先の銀行預金口座などに超過分を送金(出金)する機能を指します。
このようなオートチャージとオートスイングという機能が設けられることは、利便性の観点からも望ましいですが、特に後者については、法的な観点からも重要であると考えられます。
すなわち、「【デジタル円ブログ②】デジタル円の基本的な利用イメージと「法貨」であることの意義」の(後編)で述べたように、デジタル円は「法貨」として、「債務者が金銭債務をその決済手段で弁済した場合には、債権者はその弁済の受領を拒むことができない」という効力(金銭債務の本旨弁済効)が与えられることになります。
しかし、債務者が債務弁済を行った結果として債権者のデジタル円ウォレットの残高が保有額上限を超過してしまう場合に、オートスイングのような機能が存在しないと、デジタル円での支払がエラーとなってしまう可能性があります。そうすると、法的には、債権者による受領遅滞が生じ(民法413条。①債務者によって債務の本旨に沿った弁済の提供があること、②債権者が弁済の提供の受領を拒絶し、又は受領不能であるという2つ要件が満たされるようにも思われます)、また、受領不能等を理由とする供託事由(民法494条1項各号)も生じている可能性があると思われます。
このような帰結は法的には一つの整理かもしれませんが、実際問題として、「誰でも、いつでも、どこでも」使える法貨といいつつ、債権者の「懐事情」(ウォレットの残高がどの程度保有額上限に迫っているか)という債務者には与り知らない事情によって弁済の効力が左右されてしまうようでは、なかなか安心してデジタル円を主たる決済手段として使うことができないように思います。
このような理由から、オートチャージとオートスイングを設けておくことによって、デジタル円に上限が存在することによって起こり得る不都合や不便をあらかじめ防止することが重要なのです。
保有額上限and/or取引額上限?
ここからは、オートチャージとオートスイングが設けられていることを前提に考えていきます。
デジタル円の「上限」といった場合には、保有額上限と取引額上限の2種類があり得ますが、改めて考えると、果たしてこれらは両方とも必要なのでしょうか。
(前編)で述べたとおり、もともと、デジタル円に上限が必要となるのは、デジタル円が銀行預金と大幅に入れ替わってしまうのではないかという問題を回避するためでした。
この目的に照らせば、世の中に存在するデジタル円の残高の総量さえ適切にコントロールできていればよく、デジタル円の取引額に対する制限は不要とも考えられます。
例えば、オートチャージとオートスイングが存在するという前提で、保有額上限が一律「10万円」に設定されていた場合を考えてみます。この場合には、取引額上限が「10万円」であろうと、「100万円」であろうと、はたまた無制限(上限なし)であろうと、
債務者側:支払時に不足する分を銀行預金等からオートチャージで補ったうえで送金する
債権者側:受領時に保有額上限を超過する分をオートスイングで銀行預金等に送金する
という流れは全く変わりません。
取引額がいくらであっても、無制限であっても、保有額上限が「10万円」であれば、世の中に存在できるデジタル円の残高はユーザ1人あたり10万円を超えることはない(合計で、「全ユーザ×10万円」になる)ので(※)、資金シフトの問題に対処する観点からは、保有額上限を適切な金額に設定してさえおけば(平たく言えば、「全ユーザ×保有上限額」という合計金額を「この金額であれば、銀行預金がデジタル円と入れ替わっても問題ない」と言える金額に抑えておけば)、取引額上限については考える必要がないということになります。
ちなみに、保有額上限が「10万円」で、取引額上限がそれを超える金額または無制限であるというのは直感的には少し違和感があるかもしれませんが、イメージとしては、「デジタル円でお金を受払する瞬間だけは無制限に使えるけれども、受払が終わったときには必ず10万円以内に収まる必要がある(超える分は銀行預金等に移す必要がある)」と理解すれば分かりやすいかもしれません。
※ 議論を簡単にする観点から、保有額上限が「ユーザ単位」で適用されることを前提として記述していますが、当然、「口座単位」という方法もあります。さらに口座単位とした場合には、複数口座を保有するユーザの場合にはそれらを名寄せして、ユーザ単位の保有額上限も適用する(口座単位とユーザ単位の両方)ということも考えられます。ただし、口座単位とユーザ単位の両方を適用するための名寄せに関しては、複数仲介機関間で情報連携が行われる可能性があるため、ユーザのプライバシーへの配慮も必要となります。
この点、日本銀行が2023年4月に公表した「中央銀行デジタル通貨に関する実証実験「概念実証フェーズ2」結果報告書」では、「プライバシーの観点からは、各仲介機関が保有するユーザの残高情報等が他の仲介機関に共有されるのは望ましくないという考え方」を踏まえて、「暗号化した状態でデータの演算処理が可能な準同型暗号を用いることで、情報が秘匿された状態を維持しながら別システムにおいて情報収集と判定処理を可能とするような、追加的工夫」について検証が行われ、「複数口座を前提とし、プライバシーに一定の配慮をしつつ、ユーザ単位で各種制限を行うことが、送金レイテンシを大きく劣化させることなく可能であることが示唆された。」と報告されています(3.2.1)。しかし同時に、「送金時に行う処理が増加することで、障害が発生し得る箇所は増えるほか、潜在的なデータ不整合の発生確率は高くなる」とも述べており、そのため、「マクロ的なCBDC流通量をコントロールする方策として、上記のような方法ではなく、シンプルに1ユーザの保有口座数に上限を設け、かつ1口座あたりの保有額や取引額・回数に上限を設けることで、各口座の残高情報等の合算を不要とする方法なども考えられる。」というように、口座単位で保有額上限等を設けるが、ユーザ単位の制限としては、保有口座数制限のみを適用し、都度の名寄せは行わない方法がよりフィージブルではないか、との案が示されています。
保有額上限の法的根拠
では、ひとまずデジタル円の「上限」としては保有額上限だけ設けることでよいとして、これは法的にはどのように実現できそうでしょうか?
技術的には、単にユーザの残高が保有額上限を超える金額とならないような仕様とすればよいように思いますが、これを法的に根拠付けるためにはアイデアが必要です。
1つのアイデアは、保有額上限を法定してしまう方法です。
「1.デジタル円の基本的な利用イメージと「法貨」であることの意義」の(前編)でも触れたように、硬貨(コイン)には、その強制通用力が「額面価格の二十倍まで」(例:100円硬貨の場合には、20枚まで)に限られる(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律7条)点を参考に、デジタル円についても、法律(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律や、日本銀行法等)で、「ユーザの保有額上限は[○円/日本銀行が定める額]とする。」旨を規定することが考えられます。
ただし、硬貨の場合の強制通用力の制限とデジタル円の場合の保有額上限とは質的に異なるものであり(前者はあくまでも流通の場面での制限、後者は保有の場面での制限です)、その意味ではどこまで参考にできるのか定かではないうえ、ユーザの属性(個人か企業かなど)などに応じたきめ細やかで柔軟な設定が必要となった場合に、(下位法令や日銀による指定等への一定の委任を前提としてもなお)法律に基づくハードローによる対応が適切なのかどうかはよくよく考えてみる必要がありそうです。
もう1つのアイデアは、保有額上限を「ウォレット上の制限」と整理してしまう方法です。
これは、上記のように保有額上限を「法律上の制限」ではなく、デジタル円アプリを提供する仲介機関とユーザとの間の同アプリ提供に係る契約に基づく「契約上の制限」と捉えるものです。
この方法は、言い換えれば、「法律上、デジタル円を保有できる金額には上限はないけれど、世の中に存在するデジタル円用のお財布には、どれも一定の保有額上限が存在する」とも表現できます。
現金でも、法律上持ち運べる金額に上限はありませんが、どんな財布でも入れられるお札の枚数には物理的な上限があるので、せいぜい(どんなお金持ちでも)数十万円を携帯するのが精いっぱいだと思いますので、これと近いと言えるかもしれません。
数年前ではありますが、スウェーデンの中央銀行であるリクスバンクが行っていたCBDC(e-krona)のパイロット実験フェーズ2報告書(2022年4月公表)には、「the e-krona [...] could be considered to belong to the same asset class as cash」(e-kronaは現金と同じ資産クラスに属するとみなされる可能性がある)としたうえで、「If there is reason to limit the size of the holdings of the e-krona [...], such instruments could be introduced in the form of either limits on amounts [...] linked to the electronic wallet.」(e-kronaの保有額に制限を設ける理由がある場合、そのような手段は、電子ウォレットに紐づけられた金額上限という形で導入できる。)という記述があります。
これは、「CBDCを現金と同じ性質のものと捉えたとき、現金には存在しないはずの保有額上限のようなものは観念し得ないので、あり得るとすれば、それはCBDC自体ではなくそのウォレットに対する制限として整理すべきである」という考え方を示しているものと読むことができ、上記のようなアイデアを採用するにあたっては参考となりそうです。
おわりに~次回予告~
今回は主にデジタル円の「上限」について考えてみたので、次回は「付利」について検討したいと思います。
ご期待ください。
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